兵藤一也
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個人情報 | |
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本名 | 兵藤 一也 ひょうどう かずや |
愛称 | カズヤ |
生年月日 | 1978年4月27日(30歳) |
国籍 | 日本 |
身長 | 172cm |
体重 | 78kg |
チーム情報 | |
所属 | 日本競輪選手会群馬支部 |
期別 | 82期 |
分野 | 競輪 |
役割 | 選手 |
特徴 | 追込 |
プロ所属チーム | |
1999- | 日本競輪選手会群馬支部 |
主要レース勝利 | |
共同通信社杯競輪 2005 | |
最終更新日: | |
2008年2月23日 |
兵藤 一也(ひょうどう かずや、1978年4月27日- )は、日本競輪選手会・群馬支部に所属する競輪選手。佐野日本大学高等学校出身。日本競輪学校第82期生。同期には荒井崇博らがいる。師匠は父親で元競輪選手(32期)の兵藤信雄。
目次 |
[編集] 経歴
1999年4月17日、宇都宮競輪場でデビューし1着。またこの開催では完全優勝も果たす。
デビューしてから2年後の2001年8月に開催されたふるさとダービー(富山競輪場)で決勝へと駒を進める(8着)。その後、2004年の共同通信社杯競輪(3着)、翌2005年の東日本王座決定戦(3着)でも決勝に駒を進めた。同年10月、松山競輪場で開催された共同通信社杯競輪決勝では、山崎芳仁-佐藤慎太郎の福島勢の3番手につけ、直線で同大会連覇目前の佐藤をゴール前、8分の1輪差交わして優勝。
翌2006年以降はGIでも決勝へと進出するケースが増え、2006年は高松宮記念杯競輪(3着)、全日本選抜競輪(7着)、翌2007年は日本選手権競輪(2着)、全日本選抜競輪(4着)という実績を残した。
また2007年に開催されるKEIRINグランプリへの出場を決めた他、同年12月27日より新たに実施されることになったS級S班18名の中にも入った。上記の実績を見る限り、あともう少しでGIタイトルを掴むところまでこぎつけている。
[編集] 競走スタイル
デビューしてから一貫して追い込みを身上としてきた選手であるが、デビューしてから4~5年目あたりまでは時折、鋭い捲りも放っていたこともあった。しかし現在は自力で競走するケースはほとんど見られず、時折見せる厳しい位置取りなど、マーク選手としての板がすっかり身についてきた。
[編集] エピソード
2006年の寛仁親王牌での2日目、最終コーナーで相互接触による車体故障を生じさせた後、ゴール直前で外側から内側へゆっくり蛇行した後にゴールせず落車したが、審判から敢闘義務違反と見咎められ失格となり、後の裁定で短期の斡旋停止に処せられたことがある。