全日本フォークジャンボリー
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全日本フォークジャンボリー(ぜんにほんふぉーくじゃんぼりー)は、日本初の野外フェスティバル。岐阜県恵那郡坂下町(現在の中津川市)にある椛の湖(はなのこ)の湖畔にて、1969年から1971年にかけて3回開催された。中津川フォークジャンボリーという名でも良く知られている。
フォークシンガーや、日本に生まれたばかりのロックシンガー等、アンダーグラウンドやサブカルチャーを代表するミュージシャン達が舞台に立ち、また、アマチュアミュージシャンの飛び入りステージが準備された。
中津川労音事務局長の笠木透(1937年生まれ)や事務局次長の安保洋勝(1938年生まれ)、近藤武典らが「フォーク・ジャンボリー実行委員会」を設立し、企画・演出・開催した。1960年代後半より中津川市などで高石ともやらとフォークコンサートを開くなか生まれてきた企画であった。
この頃、地方興行といえば興行師や興行会社が仕切るものであった。それに従わず、自分達の手で開催したこのイベントには、共感した若者達が日本各地から集まり、当時の世相を反映した社会現象のひとつとして捉えられている。
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[編集] 開催の記録
[編集] 第1回
1969年8月9日(土)午後6:00開幕、10日(日)午前9:30閉幕
入場料 : 500円
参加者 : 約2,000~3,000人
出演 : 五つの赤い風船(中川イサト、長野たかし、西岡たかし、藤原秀子)、岩井宏、遠藤賢司、岡林信康、上条恒彦、ジャックス(早川義夫、木田高介、谷野ひとし、つのだひろ)、高石ともや、高田渡、田楽座、中川五郎
[編集] 第2回
- 日時
- 1970年8月8日(土)午後1:45開幕、9日(日)午後12:00閉幕
- 参加者
- 約8,000人弱
- 入場料
- 800円
- 出演
- 赤い鳥、浅川マキ、アテンションプリーズ、五つの赤い風船、岩井宏、インスタンツ(モンタ頼命、中川イサト他)、遠藤賢司、大田ぼう、岡林信康、小野和子、加藤ヒロシとP36、加川良、金延幸子、上久保雄志、グループ愚、ケニーパイル、斉藤哲夫、シバ、杉田二郎と一億分の4、スルク大舞踊合唱団、ソルティーシュガー、高田渡、高橋キヨシ、高橋照幸、田楽座、のこいの子、はしだのりひことマーガレッツ、はっぴいえんど、藤原豊、松岡実とニューディメンション、南正人、村上律、山平和彦、リチャードパイン&カンパニー、六文銭、アマチュアグループ(なぎら健壱、ひがしのひとし、酒井萠一、バラーズ、他)その他
[編集] 第3回
- 日時
- 1971年8月7日開幕、9日閉幕
- 参加者
- 約20,000人~25,000人
- 出演
- あがた森魚とはちみつぱい(鈴木慶一、鈴木博文、本多信介、渡辺勝)、浅川マキ、五輪真弓、遠藤賢司、岡林信康、加川良、金延幸子、かまやつひろし、カルメン・マキ、ガロ、はしだのりひことクライマックス、斉藤哲夫、ザ・ディランII、シバ、シュリークス、高田渡と武蔵野タンポポ団、Dew、友川かずき、友部正人、中川イサト、中川五郎、なぎら健壱、長谷川きよし、はっぴいえんど、日野皓正クインテット、ブルース・クリエーション、本田路津子、三上寛、ミッキー・カーチス、安田南、山平和彦、山本コータロー、吉田拓郎、乱魔堂、六文銭、その他
[編集] 記録映画
- 「だからここに来た - 全日本フォーク・ジャンボリーの記録」
- 第2回の模様を収録した記録映画。監督:中本達男、野村光由、制作:秦政明、カラー16mm作品、90分。
[編集] 関連項目
- 近藤武典 - 岐阜県内の小中学校の教職員として働く傍ら、1950年代から演劇や音楽などの団体を立ち上げた。「ブテンさん」と慕われていた。全日本フォークジャンボリーでは実行委員長を務める。1976年に53歳で他界。