佐藤観次郎
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佐藤 観次郎(さとう かんじろう、1901年8月19日 - 1970年3月3日 )は、愛知県出身の日本の政治家、ジャーナリストである。衆議院議員8期(日本社会党所属)、中央公論編集長を務めた。愛称は『サトカン』。
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[編集] 来歴
1901年、愛知県に生まれる。旧制海城中学校、早稲田大学政治経済学部を卒業する。大学卒業後、中央公論社に入社。1933年には中央公論編集長となり、検閲が激しく厳しい時代であったが、1944年まで見事に務めた。1947年の第23回衆議院議員総選挙に愛知県第3区から出馬し、初当選。日本社会党に所属した。1949年の第24回衆議院議員総選挙で惜敗するも、1952年の第25回衆議院議員総選挙で返り咲き、以後、第25回~第31回衆議院議員総選挙は連続当選を果たす。衆議院文教委員長などを歴任した。
[編集] 人物像
[編集] 一族
[編集] 家族・親族
- 息子:佐藤観樹(元衆議院議員で自治大臣・国家公安委員会委員長を務めた)
[編集] 年譜
- 1901年(明治34年) 愛知県に生まれる。旧制海城中学校、早稲田大学政治経済学部を卒業。卒業後、中央公論社に入社。
- 1933年(昭和 8年) 中央公論編集長となる。(~1944年まで)
- 1947年(昭和22年) 第23回衆議院議員総選挙に愛知県第3区から出馬し、初当選。
- 1949年(昭和24年) 第24回衆議院議員総選挙に愛知県第3区から出馬し、惜敗。
- 1952年(昭和27年) 第25回衆議院議員総選挙に愛知県第3区から出馬し、返り咲き、2期目当選。
- 1953年(昭和28年) 第26回衆議院議員総選挙に愛知県第3区から出馬し、3期目当選。
- 1955年(昭和30年) 第27回衆議院議員総選挙に愛知県第3区から出馬し、4期目当選。衆議院文教委員長に就任。
- 1958年(昭和33年) 第28回衆議院議員総選挙に愛知県第3区から出馬し、5期目当選。
- 1960年(昭和35年) 第29回衆議院議員総選挙に愛知県第3区から出馬し、6期目当選。
- 1963年(昭和38年) 第30回衆議院議員総選挙に愛知県第3区から出馬し、7期目当選。
- 1967年(昭和42年) 第31回衆議院議員総選挙に愛知県第3区から出馬し、8期目当選。
- 1970年3月3日(昭和45年) 死去。従三位勲一等瑞宝章。
[編集] 主な著書
- 『文壇えんま帖―一編集長の手記』 学風書院 1952年
- 『編集長の回想』 東京書房 1958年
- 『代議士編集長』 雪華社 1962年
- 『新しい世界にふれて』 河出書房新社 1963年
- 『新しい世界の窓』 経済往来社 1966年
- 『つり自慢』 つり人社 1968年