伊達重村
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伊達 重村(だて しげむら、1742年5月23日(寛保2年4月19日) - 1796年5月27日(寛政8年4月21日))は、陸奥国仙台藩の第7代藩主で、伊達氏の第23代当主。第6代藩主・伊達宗村の長男。正室は広幡長忠の娘(近衛内前養女)。子は伊達斉村(次男)、娘(井伊直富正室)、娘(伊達村寿正室)、娘(池田治道正室)、娘(土屋英直継室)、娘(伊達村幸室)。
幼名は儀八郎。通称は藤次郎。号は徹山。初名は國村、のち重村。宝暦6年(1756年)、父・宗村の死により家督を相続し、藩主となった。官位は従四位上、左近衛権中将、左兵衛督、陸奥守。なお、薩摩藩主島津重豪をライバル視した官位昇進運動を積極的に行っている。宝暦10年(1760年)5月19日、慶賀使の来日にともなう重豪の中将昇進を警戒し、自らの昇進も願っている。その後、重豪が実際に中将に昇進すると田沼意次などの幕閣や大奥に積極的に働きかけて、御手伝普請などを務め、ようやく少将から中将への昇進を実現させた。なお、島津重豪の曾孫、島津斉彬は重村の曾孫でもある。
父と同じく学問を好み、和歌をよくし、また武勇を愛したと言われている。重村が藩主の時代、東鳴子温泉に御殿湯が設けられた。また、重村の時代に釣師鰈(いしがれい)は仙台藩の名産品となった。
「仙台七夕まつり」が、旧暦の7月6日に行なわれるようになったのは、重村の娘が7日に亡くなったからだと言われている。寛政2年(1790年)、次男・斉村に家督を譲って隠居し、寛政8年(1796年)に55歳で死去した。
[編集] 系譜
- 正室:惇姫 年子(近衛内前猶子、広幡長忠娘)
- 女
- 女(井伊直富室)
- 某
- 側室:西川氏
- 伊達総三郎
- 側室:大原氏
- 女(伊達村寿室)
- 側室:安田氏
- 側室:喜多山郷子
- 伊達斉村
- 女
- 側室:加藤氏
- 女
- 側室:浜尾氏
- 女
- 側室:西村氏
- 女(伊達村幸室)
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