伊藤隆 (歴史学者)
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いとう たかし 伊藤 隆 |
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生年月日 | 1932年10月16日(75歳) |
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出生地 | |
ジャンル | 歴史学者 |
主な作品 | |
『昭和初期政治史研究』 『昭和期の政治』 『大正期「革新」派の成立』 『近衛新体制』 |
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伊藤 隆(いとう たかし、1932年(昭和7年)10月16日 - )は、日本の歴史学者、政策研究大学院大学リサーチフェロー、東京大学名誉教授。専攻は日本近現代史。日本近代史、とりわけ昭和戦前期研究の重鎮。一次史料の発掘を精力的に行った。
目次 |
[編集] 略歴
- 1958年(昭和33年):東京大学文学部国史学科卒業
- 1958年(昭和33年):私立高千穂高等学校教諭
- 1961年(昭和36年):東京大学大学院人文科学研究科国史学専攻修士課程修了
- 1961年(昭和36年):東京大学大学社会科学研究所助手
- 1968年(昭和43年):東京都立大学法学部助教授
- 1971年(昭和46年):東京大学文学部助教授
- 1981年(昭和56年):東京大学文学部教授
- 1993年(平成5年):亜細亜大学日本文化研究所教授
- 1996年(平成8年):埼玉大学大学院政策科学研究科教授
- 1997年(平成9年):政策研究大学院大学教授(2005年(平成17年)まで)
[編集] 人物
1970年代まで強い影響力を保っていた(天皇制ファシズム論に代表される)理論枠組み先行のマルクス主義的歴史研究においては、満州事変から太平洋戦争の終戦に至る日本近代史の過程は「当時の支配層が一体となり、対外侵略・ファッショ化を推進したもの」という理解がなされていた。
これに対して、伊藤は政策当事者らの日記などの一次史料の発掘・読解と、それに基づいて各政治集団を「進歩(欧化)―反動(復古)」、「革新(破壊)―漸進(現状維持)」という二つの対立軸から分類する研究手法を採用した。伊藤は東大助手時代の1966年に発表した論文「ロンドン海軍軍縮問題をめぐる諸政治集団の対抗と提携」を端緒として、第一次世界大戦から太平洋戦争の終戦までの日本近代史を「一体となった支配勢力は存在せず、国内政治過程において革新的な勢力が現状維持的な勢力に勝利を収める過程」と位置づけることで、日本のファシズム論に否定的分析視角を提示した[1]。特に1976年には『思想』誌において「昭和政治史研究への一視角」と題する論文を発表、日本近代史研究で用いられる「ファシズム」概念は定義が不明確であり、学問的な概念とは言えないと評価したことから、歴史学者粟屋憲太郎や、政治学者の山口定などを相手として、いわゆる「ファシズム論争」を展開することとなった[2]。
伊藤の提示した実証研究重視の手法は少なからぬ理論的問題を抱えていた天皇制ファシズム論の衰退に拍車をかけ、かつ、天皇制ファシズム論の提示する歴史研究において絶対的とされた戦争責任の相対化を生じさせた[3]。
また、このような研究手法に不可欠なものとして伊藤が進めた一次史料の整理は、その後の日本近代史研究の発展に寄与することとなった。近年も個人が所蔵する私文書・日記類の収集・整理・刊行や、オーラル・ヒストリーの記録整理を行っている。
近年は徐々に右派・保守派との関与を強めている。そして自らの研究やその来歴を「左翼の歴史家と論争してきた」ものと主張して[1]、「新しい歴史教科書をつくる会」にも発足より参加。理事を務め、同会でも数少ない専門の歴史研究者として重きをなした。しかし、同会の設立目的である歴史教科書の作成後も活動を継続し、その渦中内紛が続いた同会に嫌気がさしたことを語り、2006年5月に理事を辞任する。翌6月、八木秀次らと共に新団体「日本教育再生機構」の設立に代表発起人として関与。
慰安婦問題に対して日本の責任を否定する立場であり、アメリカ合衆国下院121号決議に反対している。チャンネル桜が中心となって在日アメリカ大使館に手渡した抗議書にも賛同知識人として名を連ねた[4]。
また、沖縄戦での集団自決について、日本軍が関与したとの断定的記述をしないよう高校教科書検定で検定意見が出された際、教科書調査官や検定審議委員が伊藤の研究グループに属していたり門下生であった事が話題となった[5]。国会においてもこの問題が取り上げられている[6]。
[編集] 脚注
- ^ 著書『昭和初期政治史研究』がこれに該当。
- ^ 著書『昭和期の政治』に収録。寄せられた反論への伊藤による応答論文「『ファシズム論争』その後」(1988年発表)は著書『昭和期の政治[続]』に収録。「ファシズム論争」のその後の学問的評価については、加藤陽子「ファシズム論」『日本歴史』700号(2006年)などを参照されたい。
- ^ ただ研究において戦前日本の侵略性を否定したわけではなかった。
- ^ 抗議書への賛同者一覧
- ^ 現職調査官「つくる会」元理事と共著 「集団自決」検定審議会琉球新報
- ^ “靖国史観”教科書の人脈 検定に強い影響力しんぶん赤旗
[編集] 著書
[編集] 単著
- 『昭和初期政治史研究――ロンドン海軍軍縮問題をめぐる諸政治集団の対抗と提携』(東京大学出版会, 1969年)
- 『日本の歴史(30)十五年戦争』(小学館, 1976年)
- 『大正期「革新」派の成立』(塙書房, 1978年)
- 『昭和十年代史断章』(東京大学出版会, 1981年)
- 『昭和期の政治』(山川出版社, 1983年)
- 『近衛新体制――大政翼賛会への道』(中央公論社[中公新書], 1983年)
- 『昭和史をさぐる(上・下)』(光村図書出版, 1984年)
- 『昭和期の政治[続]』(山川出版社, 1993年)
- 『昭和史の史料を探る』(青史出版, 2000年)
- 『近代日本の人物と史料』(青史出版, 2000年)
- 『日本の近代(16)日本の内と外』(中央公論新社, 2001年)
[編集] 共著
[編集] 編著
- 『日本近代史の再構築』(山川出版社, 1993年)
- 『山県有朋と近代日本』(吉川弘文館, 2008年)
[編集] 共編著
[編集] 編纂史料
- 『現代史を創る人びと(全4巻)』(中村隆英・原朗共編, 毎日新聞社, 1971-1972年)
- 『真崎甚三郎日記(全6巻)』(伊藤ほか編, 山川出版社, 1981-1987年)
- 『海軍大将小林躋造覚書』((野村実共編, 山川出版社, 1981年)
- 『大正初期山県有朋談話筆記 政変思出草』(入江貫一著, 山川出版社, 1981年)
- 『本庄繁日記(全2巻)』(伊藤ほか編, 山川出版社, 1982-83年)
- 『井川忠雄日米交渉史料』(塩崎弘明共編, 山川出版社, 1982年)
- 『徳富蘇峰関係文書(全3巻)』(伊藤ほか編, 山川出版社, 1982-87年)
- 『陸軍 畑俊六日誌』(照沼康孝共編, みすず書房,1983年)
- 『重光葵手記』(渡辺行男共編, 中央公論社, 1986年)
- 『続重光葵手記』(渡辺行男共編, 中央公論社, 1988年)
- 『牧野伸顕日記』(広瀬順晧共編, 中央公論社, 1990年)
- 『東條内閣総理大臣機密記録 東條英機大將言行録』(伊藤ほか編, 東京大学出版会, 1990年)
- 『尾崎三良日記(全3巻)』(尾崎春盛共編, 中央公論社, 1991-1992年)
- 『石射猪太郎日記』(劉傑共編, 中央公論社, 1993年)
- 『海軍 加藤寛治日記』(伊藤ほか編, みすず書房, 1994年)
- 『松本学日記』(広瀬順晧共編, 山川出版社, 1995年)
- 『二・二六事件 判決と証拠』(北博昭共編, 朝日新聞社, 1995年)
- 『明治人による近代朝鮮論』(伊藤ほか監修, 20巻中7巻で刊行中止, ぺりかん社, 1997年-)
- 『有馬頼寧日記(全5巻)』(尚友倶楽部共編, 山川出版社, 1997-2003年)
- 『巣鴨日記』(笹川良一著・伊藤ほか校訂, 中央公論社, 1997年)
- 『情と理――後藤田正晴回顧録(上・下)』(御厨貴共編, 講談社, 1998年/講談社+α文庫,2006年)
- 『鳩山一郎・薫日記(上・下)』(季武嘉也共編, 中央公論新社, 1999年)
- 『現代史を語る――内政史研究会談話速記録(5巻)』(監修, 内政史研究会編, 現代史料出版, 2000-2007年)
- 『高木惣吉 日記と情報(上・下)』(みすず書房, 2000年)
- 『渡邉恒雄回顧録』(御厨貴共編, 中央公論新社, 2000年/中公文庫, 2007年)
- 『政治とは何か――竹下登回顧録』(御厨貴共編, 講談社, 2001年)
- 『石橋湛山日記 昭和20年-31年(上・下)』(みすず書房, 2001年)
- 『最高戦争指導会議記録・手記』(重光葵著・武田知己共編, 中央公論新社, 2004年)
- 『表舞台 裏舞台──福本邦雄回顧録』(御厨貴共編, 講談社, 2007年)
- 『笹川良一と東京裁判(1)続・巣鴨日記』(笹川良一著, 中央公論新社, 2007年)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 伊藤が代表を務める近代史史料の収集・編纂プロジェクト