人体盗
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人体盗、は教会の墓地から隠密に屍骸を掘り出し医学校の解剖学講義実習のために売ること。この職業の人と墓場荒らしは「死体盗掘人」と呼ばれる[1]。
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[編集] 連合王国における状況
西暦1832年の解剖に関する法律以前は、連合王国での解剖のための合法的な遺体の入手は法廷での死刑並びに解剖の宣告のみであった。このような刑を言い渡されるものは、往々にして激甚な犯罪を犯したものであった。食べ物を盗めば、収監される一方、殺人犯は死刑と解剖の刑の可能性がある。これらの刑罰は医学校と私立の解剖学校(1832年以前は免許が要らなかった)に十分な検体を提供できなかった。1700年代には、微罪で幾百もの死刑がされたが、19世紀になると毎年55名のみの絞首刑となった。しかし、医学校の拡充により500体が必要であった[2]。
電気冷蔵庫の出現迄は、屍体は速やかに腐敗分解し、使い物にならなくなった。そのような訳で、職業医学者は新鮮な臓器筋肉その他をの不足分を得るために手を染めることとなる。
屍体を盗むことはコモンローにおいては微罪であり、重罪ではないから罰金か懲役程度で、流刑や死罪になることはない[3]。当局が必要悪には目をつぶる傾向にあるので、この商売は、金になるものであった。
あまりにも世の中に蔓延したので、死者の親族友人が埋葬まで監視し、その後も墓地の監視を続けることがよくあった。鉄の棺桶、墓地まわりのモルトセイフと呼ばれる鉄柵(エディンバラのグレンフライアーズ教会には比較的よく残っている)も行われた。オランダでは、貧しい家庭、身寄りのない者には葬儀屋が埋葬に関する法律違反の罰金を払った上、多少の金銭を払い、屍体の医師への転売が行われた。
木製のスコップ(金属製より静かである)で新規の埋葬地の頭側を掘り、棺に当たったら(ロンドンでは墓は極めて浅い)それを壊し、紐をかけ引き出すのが一つの方法である。彼らは、重罪にならぬよう宝石衣服その他には手を付けないよう慎重であった。
医学誌「ランセット」には他の方法が記載されている[4]。頭方向に6-8メートル離れたところの草地にマンホール程度の大きさの穴を掘り、地下1.5メートル程度でトンネルを掘り棺に向かうようにし、屍体をトンネル方向に引き出すのである。草地は埋め戻すので、墓を監視している人々は、離れたところにある多少の埋め跡には気がつかないであろう。この論文は、幾多の空の棺が見つかったことが、本項目が頻繁に行われた証左とする。
1827年 - 1828年には新しい屍体は高く売れたのでエディンバラの死体盗掘人のバークとヘアーは戦略を変更し、殺人をすることとした。彼らの犯罪行為と、それを模倣したロンドンバーカースという輩どもがいたために1832年に解剖に関する法律が設けられた。これにより、引き取り手のない遺体と、親族により献体された遺体が解剖学のために用いることができるようなり、解剖教師を免許制としたため事実上この風習は無くなった。連合王国における現在の学術目的の屍体利用は、人体組織局の管轄である。
[編集] 他の国
大英帝国の他の地域、カナダでも広く行われていた。宗教的慣習、保存方法がなかったことにより医学生は新しい屍体の入手が困難であった。医学生は頻繁に死体盗掘に頼った。
パリでの研究中、ヴェサリウスは仲間の学生とともに墓暴きをするのが常であった。
おおよそ月当たり312体が雇われた人足から供給された。
[編集] 文学
- チャールズ・ディケンズの二都物語のジェリー・クランチャーは夜間屍体盗掘をする。
- ロバート・ルイス・スティーヴンソンの短編「屍体盗掘人」はよく知られている。また、ボリス・カーロフにより、映画化された。
- 2006年のペット・ショップ・ボーイズの初めてのシングルアルバム「基本」のボーナストラックの「屍体盗掘人」の歌。これは、サラ・ワイズの本「イタリアの少年、人殺しと墓盗人」による(ロンドン・バーカーズ参照)。
- 最近の著作では、ジェイムス・ブラッドレイの「屍体盗掘人」、ヒラリー・マンテルの「大オブライエン」とアン・リナルディの「闇の入手」が触れている。
- ハワード・フィリップス・ラブクラフトの小説「チャールズ・ウォードの奇怪な事件」では、ヘルベルト・ウエストという屍体盗掘人が登場する。
- 映画「血の回廊」では、クリストファー・リーが、屍体盗掘人ジョーの役を演じている。
- メル・ブルックスの「ヤング・フランケンシュタイン」では、フレデリック・フランケンシュタインとイガーが生き返るために胴体を掘り出す。
- レディオヘッド2007年の「虹の中で」の2番目の曲は「屍体盗掘人」
- テレビの人気番組「家」では、医学生仲間が医学研究目的で墓から屍体を持ち出す。
[編集] 現在の状況
稀ではあるが、現在でもこのような報告はある。連合王国のよく知られたものに南スタフォードシャーのリッチフィールド近郊のヨクサル教会からグラディ・ハモンドの遺骸が盗まれた。ハモンド婦人の遺骸は、学術研究用モルモットを繁殖させる認可施設、ダーレーオークス農場に反対運動をしている、動物の権利活動家にて持ち去られた。ハモンド婦人は、農場主ひとりの義理の母であった。4年にわたるスタットフォードシャー警察の捜査で、4人の「新教会モルモットを救う会」の首謀者(男3名、エドバストンのケリーウィトバーン、ウェルバーハンプトンのジョン・スミス、マンチェスターのジョン・エブライトと女1名、スタフードシャーのジョセフィーヌ・マヨ)が恐喝の疑惑で投獄された。男は12年、女は4年の刑期である。警察の発表によるとハモンド婦人の屍体(そのものは、彼らからの情報に基づき警察により回収された)盗も罪状に含むとのことである。
同種移植[5] のために、移植外科からは今でも需要があるので、現代版「屍体盗掘人」が供給している[6]。このようにして得られた組織は、医学的に不安定であり、安全ではない。アリステア・クークの骨格は、「屍体盗掘人」により火葬の前に切りきざまれた[7][8][9]。
[編集] ニュージーランド
西暦2007年から2008年にかけ、よく知られるようになったものがある。ジャック・タカモアが2007年8月に死去した、20年以上連れ添った配偶者はクライストチャーチに埋葬したかった。彼の親族は、配偶者の許可を得ること無くベイ・オブ・プレンティのKutarereに埋葬した。同年12月にティナ・マーシャル=マクメナミンはロウワーハットに埋葬される手はずであったが、実の父親がルアトリアに埋葬した。2008年3月に、イバメイナガホロはハミルトンに埋葬されるよう遺書を書いた、しかし20年間あったことのない娘が葬儀に現れタウマルヌイに埋葬した。協議の後ハミルトンに戻され埋葬された。
ニュージーランドの法律によると、屍体には所有権が及ばないため「屍体盗掘」は違法ではなく警察は動くことができない。
[編集] 詳細な資料
- J B Bailey, editor (1896). The Diary of a Resurrectionist. London. Contains a full bibliography and the regulations in force in foreign countries for the supply of bodies for anatomical purposes, as of its date of publish.
- Vieux Doc (docteur Edmond Grignon) (1930). En guettant les ours : mémoires d'un médecin des Laurentides. Montréal : Éditions Édouard Garand. Digitized by the National Library of Quebec. French language.
- "Waking the Dead: how to steal a dead body", Blather.net.
- Burch, Druin (2007). Digging up the Dead: The Life and Times of Astley Cooper, an Extraordinary Surgeon. Chatto & Windus, London.
- C W Herr, editor (1799). The Horrors of Oakendale Abbey. Mrs Carver. Gothic novel about the terror inflicted upon a young woman when she is locked inside a crumbling Abbey used by resurrection men and body snatchers. Published by Zittaw Press.
- Richardson, Ruth (2001). Death, Dissection, and the Destitute. Contains excellent information regarding the Anatomy Act and the Resurrectionist's influence upon the urban poor.
- Roach, Mary (2003). "Stiff: The Curious Lives of Human Cadavers". Contains humorous information regarding the study of anatomy before the Anatomy Act.
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ この記述には、パブリックドメインの百科事典『ブリタニカ百科事典第11版』本文を含む。
- ^ East London History accessed 24 Jan 2007
- ^ The Rex. vs Lynn case 1728, made taking a body from a churchyard, a misdemeanour
- ^ The Lancet, 147(3777), 185-187 (1896)
- ^ Aaron Smith, "Tissue from corpses in strong demand" CNNMoney.com October 5, 2005, retrieved 18 May 2006
- ^ Aaron Smith, "Body snatchers tied to allograft firms?", CNNMoney.com October 7, 2005, retrieved 18 May 2006
- ^ "Alistair Cooke's bones 'stolen'", BBC news online 22 December 2005, retrieved 18 May 2006
- ^ Sam Knight, "Bodysnatchers steal Alistair Cooke's bones", Times online December 22, 2005, retrieved 18 May 2006.
- ^ "Four charged over US bones theft", BBC news online 23 February 2006, Retrieved 18 May 2006.