中沢啓治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウィキポータル |
漫画作品 |
日本の漫画作品 |
漫画家 |
日本の漫画家 |
漫画原作者 |
漫画雑誌 |
カテゴリ |
漫画作品 |
漫画 - 漫画家 |
プロジェクト |
漫画作品 - 漫画家 |
中沢 啓治(なかざわ けいじ、1939年3月14日 - )は、日本の漫画家。広島県広島市舟入本町(現在の広島市中区舟入本町)出身。現在は埼玉県所沢市に在住。
自身の被爆体験を元にした代表作『はだしのゲン』等で戦争、特に原子爆弾を取り上げている。
[編集] 人物
1945年8月6日、国民学校1年生だった時に広島で被爆。自身は建物の塀の影に入って奇跡的に助かるが(『はだしのゲン』の原爆投下時のエピソードとほぼ同じである)、父、姉、弟を失った。父は日本画家だった。
長田新が被爆児童の手記を集めて1951年に刊行した『原爆の子』の「序」に中沢の手記の一部が引用される形で掲載されている。
終戦後、手塚治虫の『新宝島』を読んで感動し、漫画家になることを決意。その後、漫画の投稿を何度も行い、中学卒業後に看板屋で数年勤めた後、1961年に上京。2年後の1963年(自伝「おれは見た」では半年後という事になっているが、どちらが正しいかは不明)、『スパーク1』(『少年画報』)でデビュー。
上京当初は周囲の原爆被爆者に対する差別の視線から、自らが被爆した過去を語りたがらず、専ら少年向け漫画誌に原爆とは無縁の漫画を描いていた。転機となったのは1967年の母の死で、初めて原爆を題材とした漫画『黒い雨にうたれて』を描き始めるが、最初はどこの出版社からも掲載を断られ、描き上げてから2年の時を経ての公開となった。
新人の頃は、一峰大二、辻なおきのアシスタントを経験した事がある。
『はだしのゲン』は、33歳の時、出版社の企画で描いた自伝の漫画『おれは見た』に感動した編集長に長期連載を勧められ始まったもので、広島の原爆で父、姉、弟を喪った主人公の少年、中岡元(なかおか げん)が逞しく生きる姿を描いている。主人公・元の姉と妹の名前は作者自身の姉と妹の名前をそのまま使用しており、弟の名前も似たもので、自伝的要素が強い。ただし、作中と違い、中沢は原爆投下直後の父や姉、弟の死を直接には見ておらず、後に実際に立ち会った母から聞かされている。また母親の死の際も立ち会ってはいない。これは中沢が当時漫画家になるために上京していたからである。母親は『はだしのゲン』作中では戦後すぐの1949年(昭和24年)に死亡しているが、実際は1967年(昭和42年)に死亡している。この時の状況は他作品にも描かれているが、母が骨髄性白血病を併発していたがために火葬後、遺骨は崩れて砂粒のようになっており原形を留めていなかった、と中沢自身が語っている。
尚、中沢の漫画は全て一人で描いている(ただし、仕事に追いこまれている時は中沢の妻に手伝ってもらうことがある)。これは中沢がベルトコンベア式(つまりアシスタントを雇って作業する)の作業方法を嫌っており、どんなに苦しくても自分一人で描くというポリシーを持っているためである。また、中沢には漫画家の友達がおらず、違う職業の人しか顔を合わせない。理由は、自分の顔を見られることが嫌(原爆漫画家と同業者からレッテルを貼られているためそれを不快に思っている)だからだそうだ。原爆関連の作品については、単行本未収録の物が多い事からも窺うことはできる。
中沢自身が原爆投下を直に経験したせいか、今日の自衛隊のあり方を含めて各種の戦争において批判的立場を取っている。原爆を投下したアメリカとその相手国の日本の双方を批判している他、自衛隊に関しても「環境保護をするべきだ」などと語っており、軍用機の保持は不要であるという旨の発言をしている。故に左派的な人物と受け取られがちであるが、中沢自身が終戦前後の惨状を目の当たりにした事が、強く影響を与えたと思われる。
在日米兵が日本人女性に対してレイプ事件を起こすシーンを幾つもの作品にて描写している事からも、反米的な漫画家と捉えられる事も少なくない。しかしながら、『はだしのゲン』の作中にて、捕虜の米軍兵士が被爆死した姿を見て、主人公のゲンが哀れんでいるシーンも描写しており(米兵の死体に対して被爆者たちが石を投げつける)、反米主義者と決め付けるのは短絡的である。実際、アメリカの黒人差別問題を正面から取り上げて作品にした事もある。
また、はだしのゲン作中ではゲンが天皇の「戦争責任」を追及するシーンも散見される。
2001年頃から約30年前から患っていた糖尿病を悪化させ視力が低下、細い線が描けなくなり、以後漫画を描いていない。『はだしのゲン 第二部 東京編』は執筆開始の目処は立っておらず、ネーム(または原作)のみの段階で構想を練っていたという。だが、その後は「ゲンのその後は読者自身が考えてほしい」と中沢自身が語っているため、第二部が(原作のみでも)執筆される可能性は希薄になっている。
現在は原爆のすさまじさをどうしても実写で伝えたい、と原爆漫画の第一作「黒い雨に打たれて」の映像化を準備中。
[編集] その他の作品
- おれは見た(『はだしのゲン』の原型となった中沢啓治の自伝漫画)
- 黒い雨にうたれて
- 黒い河の流れに
- 黒い鳩の群れに
- いいタマ一本
- オキナワ
- ある日突然に
- ゲキの河(戦前の広島市が舞台の作品)
- チエと段平
- ある恋の物語
- おはよう
- 野球バカ
- あの街この街
- グズ六行進曲
- げんこつ岩太(ギャグが中心となった作品であり、彼の作品としては異色作)
- ユーカリの木の下で
- 広島カープ誕生物語(後に大幅に脚色がなされアニメ映画『かっ飛ばせ!ドリーマーズ~カープ誕生物語-』の原案となった。)
- 悪太郎
- お好み八ちゃん(1999年には、中沢自身による製作・脚本・監督で実写映画化された。)
- いつか見た青い空
- 男なら勝利の歌を
- カレーバカ
- われら永遠に
- 進め!!ドンガンデン
- 冒険児ジム
- 怪獣島の決戦 ゴジラの息子
- クロがいた夏(絵本。1990年にアニメ化されている。)
- むらさき色のピカ(作画担当)
ほか多数