不文律
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不文律(ふぶんりつ)とは、明言されていない・もしくは明文化されていない規則のこと。近年では「暗黙のルール」など言うこともある。
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[編集] 概要
ある一定集団内独特のものであることも多い。これらのルールは、集団において明示されていないものの、相互の合意により一定範疇内で決定付けられるものである。しかし明文化(文章・文言の形で編纂された状態)はされておらず、専ら曖昧な相互の了解の上に成立する部分もあるため、お互いに細部の見解で異なるものを持つ場合もあり、これが誤解や遺恨を産むケースも少なくない。
汎社会的な不文律には道徳ないしタブーがあり、小さい集団内においては場の空気や雰囲気といった曖昧模糊とした概念もあり、そのいずれもが明示されていないことから、一種の排他性を生む傾向も否定出来ない。
なお、人間という極大な区分においては人道という概念もあり、こちらは古今東西の思索家・哲学者・科学者や宗教家といったさまざまな人たちが明文化を試みている。しかしその根底には、必ずしも「明文化はされていないが、“人間”としての共通認識として共有する何か」に立脚しており、またこの概念をさらに明文化・ないし曖昧性の排除を行ったものとしては、法律も存在している。
この他にはマナーといったものもあるが、こちらはしばしば明文化が試みられており、文化性の一端としての研究も進んでいる。
[編集] ルールの成立と理由
明文化されず「不文律」にされている理由には、いくつかの原因が考えられる。
[編集] 明示することで特定の誰かを傷付ける恐れがある場合
例としては、差別にかかわることが挙げられる。所定の属性を列記して、「これらの属性(身体的特徴・あるいは学歴・出自など)を持つ人を差別してはいけない」と書くことは簡単であるが、そのリストから漏れた人の不利益が問題となるほか、リストに明記された属性を持つ人は名指しされたも同然であるため、それらの人にとっては不快感を被りかねないためである。例として、放送禁止用語などはある意味明示されたリストの一つであるが、放送禁止用語のリストに出ている言葉は放送業界以外の他の局面でも避けられる傾向が強い。
[編集] 社会常識と考えられる事柄
これらは、明文化しなければ理解できない人がいるとは予想していない場合。いわゆる“一般常識”と呼ばれている事柄は、これをいちいち説明すると冗長であるため、明記されないことが多い。
例えば自動車教習所では、「走行中によそ見をしてはいけない」とは教えるが、「走行中に屋根によじ登って踊ってはいけない」とまでは教えない。“常識”の範疇では、まずそんなことをしでかす者はいないためである。ただし近年では製造物責任法のように、常識では考えられない事故や事例でも想定して対応するケースも増えており、工業製品の梱包に使われているビニール袋にまで、「かぶらないで下さい」と印刷されている。
その結果、電化製品・その他の商品の説明書の冒頭には、これらの警告・禁忌などを記したページ部分の記述がやたらに増えるといった弊害も起きている。
[編集] 慣習によるもの
長年、その分野では不文律の慣習として維持され、なにかの機会に明文化した場合に他の慣習とのすり合わせが困難になる場合。たとえば町内でのルールがこれに当たるが、理知的に整合性が検討されていない部分を含むことから、新住民には理解が困難なものも少なくない。特に、それまで大都市近辺にありながらそれなりの地縁に支えられた小規模なコミュニティに過ぎなかった地域が、宅地開発やニュータウン建設などでどっと人口が増加した場合、流入してきた新住民と古くからの住民との対立が起きる例は少なくない(例、浦安市など)。
他の例では、本土から離島に移住してきた者と古来から住み続けている住民との関係(例:沖縄県などに点在する島)や、あるいは工場労働者として来日してきた外国人と昔からその地域に居た住民との間での様々な点に於ける対立(例:日系ブラジル人労働者と地元住民)などがあげられる。
また近年、日本のプロ野球からメジャーリーグに進出する選手は多いが、その一方でメジャーリーグに厳然と存在する「アンリトゥンルール(Unwritten rules)」に触れたとされ、ある種の“報復”やその他ぞんざいな扱いを受けたとされるケースが、しばしば問題となる事がある。一種の「文化衝突」であるとも言える。
[編集] ルールの学習
不文律は、長年その場所に参加すること、もしくは人からの注意で獲得される。しかし、いつまでも不文律が身に付かない場合には、思想信条によってそれに抵抗をしている場合や、地元民との交流の拒否・拒絶、ないしは広汎性発達障害の可能性がある。
[編集] 不文律の問題点
不文律は、危機的な状況には耐えられないことと、異分野からの新参者には理解しがたいという問題がある。こういったルールの多くは職人的世界で培われたルールであるがため、グローバル化が進む現代社会やビジネスの現場では「不文律」がそぐわないケースが増えてきている。
近年、日本の多くの企業では、情けより契約を重視する傾向にパラダイムシフトしつつある。
これら不文律は、時として変化に弱く、時として閉鎖的であり、事なかれ主義・官僚主義を前提としている面がある。不文律に依存しすぎた場合、バブル崩壊前の日本や、戦前の全体主義に陥ったかつての日本のような過ちを、再び繰り返す羽目に陥る恐れがある。