マナー
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マナー(manner)とは行儀・作法の事を指す(出典:『広辞苑』・『大辞林』他)
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[編集] 概要
マナーの多くの様式は、四角四面に解釈して適用するマニュアルではなく、人間が気持ちよく生活していくための知恵である。マナーは国や民族、文化、時代、宗教のさまざまな習慣によって、形式が異なる。ある国では美徳とされている事が、他の国では不快に思われることもある。例えば日本ではげっぷをすれば不快に思われるが、アラブ諸国では食後にげっぷをするのが礼儀とされている、など。他には日本では食事の際に飯椀を食卓に置いたままで食べるのは「犬食い」と呼ばれ批判されるが、韓国では逆に手で保持すると「乞食みたいで卑しい」と批判される(つまり現地では「犬食い」こそ正しい作法)、など。
「他者を気遣う」という気持ちを所作として形式化し、わかりやすくしたものが形式としてのマナーである。
[編集] 整った形式が存在しているマナー例
[編集] テーブルマナー
食事の際のマナーを「テーブルマナー」と呼ぶ。食事が洋食か和食であるかによってマナーは異なる(出典:『マナーと常識事典』自由国民社)。
「熱い食べ物をふーふーして食べない。」などすべての食事においてのマナーも存在する[要出典]。 「麺類は、啜って食べるもの。息を吹きかけて冷ますのは、むしろマナーに適う」との意見もある[要出典]。
[編集] 和食
- 箸のタブー
- 握り箸:握り拳でお箸を扱わない。(箸をきちんと操れないと、往々にしてこうなる)
- 渡し箸:お碗の縁にお箸を乗せない。
- 刺し箸:食べる物にお箸を突き刺さない。
- 迷い箸:お箸を卓上で彷徨わせない。
- 違い箸:長さの違うお箸を使わない。
- その他は嫌い箸を参照のこと。
(出典:『生活基本大百科』part6「テーブルマナー:日本料理」)
[編集] 洋食
- ナイフとフォークのマナー
- 食物を切る時は右手でナイフを、左手でフォークを持つ(左利きの人も同じ 但し食べる時はこの限りではなく、持ち替えてよい)。フォークとナイフは外側に置かれている物から使う。
- 皿の上にナイフとフォークをクロスさせて(または「ハ」の字を描くように)置くと”まだ下げてはいけない”のサイン、並べて置くと“もう下げてよい”のサイン。
- 他にも、スープを音を立てて吸わない、皿に口をつけない、物を噛む時に喋ってはいけない、など。
(出典:『生活基本大百科』part6「テーブルマナー:洋食」)
[編集] パブリックマナー(公共のマナー)
- エレベーターが利用階まで来るのを待っている間、ドアの正面で待つのではなく、横に立って降りる立場の邪魔をしないようにする。(出典:『生活基本大百科』)
- レディーファースト:欧米諸国、特にイギリスやフランスから伝わったマナー。女性をエスコートする際、さまざまな場面で尊重したり、危険から守るなどして扱うこと(出典:ジャン・セール著『ふらんすエチケット集』白水社)。
- 携帯電話は、図書館や映画館、また電車の中などの公共の場所においては電源を切るかマナーモードにしておく(出典:『冠婚葬祭・暮らしのマナー大百科』)。
[編集] 国旗掲揚・降納の国際マナー
国旗掲揚、降納の際の立ち振る舞い、国旗の並べ方などにも国際的なマナーが成立している。(参考:国旗#国際的な慣習)
[編集] マナーの問題点
[編集] マナーのマニュアル化
マナーとは「他者を気遣う」という気持ちの現れであり、相手を不快にさせないよう個人個人が考えを巡らして行動すべき物である。しかし、「他者を気遣う」ということよりマナーをマニュアル化し、マニュアルに沿って行動しているかどうかでマナーの善し悪しを判断してしまう場合がある。例えばビジネス・マナー等でそういった傾向が見られ、その結果、命令や規範がなければ行動できない、マニュアルに載っていること以外の対応力に欠け「考える」ことをしないといった弊害が見られる(出典:「ザ・アール」宮本映子取締役による「できる人のビジネスマナー」月刊総務)。
[編集] マナーのルール化
最近の日本人は「マナーの心」を忘れルールに頼る傾向がある。例えば、あいさつをマナーでなくルールとして強要・押しつける組織も存在する。マナーはあくまでも個人が自発的に守るものでありそれ故罰則はないが、ルールは違反するとペナルティーが課せられる。つまり「マナーの心」は置き去りにされマナーを守らないのがマナー(ルール)違反と言うことになる。(出典:『反社会学講座』ちくま文庫)
[編集] 誤ったマナー
エスカレーターはそもそも歩くものではない。エスカレーターを歩くというのは大変危険な行為である[1]。 正規の使用法としてはステップの中央に乗り動かないこととされる。また、エスカレーターの機構そのものを痛め易くするため、片側を空けるよう推奨するのはあまりよくない。(出典:『マナーと常識事典』自由国民社)
また、マナーとはその集団の成員が快適に生活していくための一手段に過ぎない。しかし、時にマナーは絶対視され、その行為が好ましくないから不快に感じるのではなく、マナーを守らないからという理由でその行為が不快に感じられることがある。また時に、文化などによるマナーの違いを理解せず、自身のマナーを他者に押しつける行為や、マナーを守らないからといってその人間の全人格を否定するような言動が見られるが、これらは「他者を気遣う」というマナーの本質から外れた行為である。
たとえば、よく書籍などで示されるマナーは「エスカレーターは歩く人のために片側をあける(関東では右側・関西では左側)」「電車の中で物を食べてはいけない」「道端に座り込んではいけない」などである。
また「電車の中で物を食べてはいけない」であるが、新橋-横浜間に鉄道が開通されたのと同じような時期に、すでに弁当が売り出された(おにぎりとたくあん)。もともと電車の中というのは食事をしていい場所であったが、近年の都市化により「混雑した車内では食事は控える」というのが一般的なマナーとなっている。しかしこれは「電車内で食事をしてはいけない」ということではない。現に地方や田舎では、電車の中で物を食べるのは一般的に見られる光景である。「道端に座り込んではいけない」というのも、欧米諸国や日本特有のマナーであるといえる。そもそも日本でも、戦前や戦後すぐ人々が道端に座り込むという光景が日常的に見られた。日本も都市化し生活が欧米化したため「道端に座り込むのは美しくない」というのが一般的な認識としてひろまったが、農村社会では道端に座り込むというのは日常的に見られた風景である。
マナーとはそもそも「理念」ではなく「生活の知恵」に相当するもので現実に随伴するものであり、田舎の電車と都会の混雑した電車では同じ食事をするという行為においても結果の現れに相違がある。食べこぼしによる汚染や周囲の人間に押されて食器をひっくり返す危険や場合によっては食べ物の悪臭が問題を起こす度合いの相違である。 行為が及ぼす結果は状況によって左右されるのであり同じ座り込みという行為ひとつとっても「行為が同一であれば環境を無視してよい」という立場において田舎の電車と都会の電車のどちらにすわりこんでもよいという理論は 道路に座りこんでも線路にすわりこんでもよい という結論を同一の公式によって導くことになる。現実に線路上の座り込みを許容する社会は存在しない。 以上の理由によりマナー条項の正当性に対して異議を申し立てる際に時間軸や環境条件を無視して行為の正当性を主張すると議論が成り立たない。