ヴェアヴォルフ
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ヴェアヴォルフ(Werwolf)は、第二次世界大戦末期におけるナチスの計画で、ドイツの連合軍に占領された地域で連合軍に対するゲリラ攻撃によってドイツ国防軍を支援するための部隊である。本来はドイツ語で「狼男」を意味する。
Werwolf (ヴェアヴォルフ)の語は werewolf (英:ワーウルフ、狼男)と同一語源のドイツ語で、 lycanthropy (ライカントロピー、狼化)という意味であり、さらに「戦狼」を意味する Wehrwolf (ヴェーアヴォルフ)の語呂合わせでもある。“Werwolf”は運動の名前として好まれていたが、“Wehrwolf”もしばしば使用された。日本語では、「人狼部隊」又は「狼人部隊」と訳される。
[編集] 概要
ヴェアヴォルフの元々の計画は、ナチスの「アルプス国家要塞」を攻撃する準備中の連合軍の兵站列車を略奪するゲリラ軍としての役割を果たすことであった。当初は約5000人の人員をSSとヒトラーユーゲントから採用し、ゲリラ戦術の特別な訓練を積んだ。占領後も引き続き資金援助が確保されれば、前線の中隊はさらに設立すらされただろう(全てが発見され、八ヶ月以内で終了した)。しかしながら、アルプス要塞は更に雄大な別の妄想に過ぎなかったことがますます明らかになっており、ヴェアヴォルフはまずテロリストの組織に改変され、次いで戦争の最後の数週間のうちにハインリヒ・ヒムラーとヴィルヘルム・カイテルによって大部分が解体された。1945年3月23日、ヨーゼフ・ゲッベルスは「ヴェアヴォルフ演説」として知られる演説を行い、その中で彼は全てのドイツ人に最後まで戦うよう呼びかけた。組織されたヴェアヴォルフの部分的解体は「ヴェアヴォルフ」演説の影響と結合し、現実のヴェアヴォルフによる攻撃は、狂信的ナチスあるいはSSの小集団による単独行為と比べてその後の攻撃に相当な混乱を引き起こした。
典型的なヴェアヴォルフの戦術には、狙撃に放火、サボタージュ、そして暗殺を含んでいたが、ポーランドではさらに市民の虐殺やソ連軍隊に対する少々本格的な攻撃も行っていた。西部占領地域において彼らが最も多く犠牲を出した単独の攻撃は、44名を殺した爆撃である。彼らによる最もめざましい戦果は、フランツ・オッペンホフ博士(新しい反ナチのアーヘン市長にして、最も著名なドイツの左派政治家)、ジョン・ポストン陸軍少佐(陸軍元帥バーナード・モントゴメリーの連絡将校)、そして恐らくバーザリン将軍(ベルリンのソヴィエト司令官)であった(ラジオのプロパガンダは最上級のユダヤ人米国士官モーリス・ローズ将軍の暗殺をも主張していたが、ありがちなことに、彼の暗殺者は、彼が誰であるか全く知らない普通の兵士であった)。
ヴェアヴォルフについてしばしば見落とされてきた一面は、ヒトラーユーゲントの成員はまた、戦争よりも長く生き延びさせようと目論まれた、新しい政治的青年運動の発展の原因ともなったということであり、そしてそれは「ネオナチズム」と呼ばれる。現代ドイツのネオナチ集団には、「ヴェアヴォルフ(人狼)」あるいは「ヴェーアヴォルフ(戦狼)」と自称するものもある。
近年、ヴェアヴォルフの歴史はアメリカ主導のイラク占領に関する議論において利用されてきた。この議論に関連したヴェアヴォルフについての見地は、以下のようなものである。
- ヴェアヴォルフは主にナチ政府の戦略であった。ドイツ降伏後の一ヶ月で衰退した。ドイツ人は戦争に倦んでいた。
- 戦争の努力として、ロシアによる占領を回避するために西洋の敗北を受け入れる戦略によってヴェアヴォルフは切りつめられた。
- ヴェアヴォルフはナチのプロパガンダによって慎重に仕組まれた神話的な評判を帯びていた。その精神的存在感は、とりわけ降伏後になって確認された事件を上回っていた。
- 連合国の大国は、幾分かはその反乱を恐れて、ドイツの沈静化と復興に多大な資源を費やした。
- それにも関わらず、ヴェアヴォルフはその他の歴史上重要なゲリラ反乱、例えばベトナムやイラクのそれよりも遙かに弱体だった。
[編集] 創作におけるヴェアヴォルフ
平野耕太の漫画作品『HELLSING』に登場する、ナチス残党の敵組織「ミレニアム」の一部幹部達がヴェアヴォルフと呼ばれている。ナチス関連ではあるが、史実としてのヴェアヴォルフとはまったく関係性は無い。
PCゲーム Dies irae -Also sprach Zarathustra-
[編集] 参考文献
- Biddiscombe, Perry, Werwolf! The History of the National Socialist Guerrilla Movement, 1944-1946.
- 平井正『ヒトラー・ユーゲント』(中公新書)