ロアルド・ホフマン
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ロアルド・ホフマン(Roald Hoffmann、(1937年7月18日 - ガリツィア・ズウォチュフ(現ウクライナ・ゾーロチウ))は、ポーランド生まれのアメリカの化学者。量子化学で化学反応におけるウッドワード・ホフマン則を明らかにし、1981年度のノーベル化学賞を福井謙一とともに受賞した。
ポーランド(現在ウクライナ)のユダヤ系の家庭(父ヒレル・ザフラン、母クララ・ローゼン)に生まれ、探険家ロアール・アムンセン(ロアルド・アムンゼン)にあやかって名づけられた。第二次世界大戦で一家はまずソ連占領下に置かれ、1941年からはドイツ占領下に置かれて強制収容所に送られた。彼と母は父の努力で脱出し匿われたが、父は殺された。母はパウル・ホフマンと再婚した。
1946年に一家はポーランドを脱出し、オーストリア、ドイツなどを経て1949年にアメリカへ移住した。コロンビア大学を1958年に卒業、ハーヴァード大学大学院でウィリアム・リプスコムについて学び、1962年に博士号を取得した。
有機化合物・無機化合物の両方を研究対象とし、拡張ヒュッケル法(彼が1963年に提唱した)などの計算機化学的方法を発展させた。またこれを用いて、ロバート・バーンズ・ウッドワードとともに、有機化学反応の立体選択性を予測する法則であるウッドワード・ホフマン則を明らかにした。
科学に関する啓蒙書を書いているほか、詩人としても2巻の詩集を出している。また科学的発見をテーマとする劇 "O2 Oxygen" を書いている。
ウッドワード・ホフマン則の業績により、1981年にノーベル化学賞を福井謙一とともに授与された。現在コーネル大学教授。
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