レオナルド・ナシメント・ジ・アラウージョ
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レオナルド | ||
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名前 | ||
本名 | レオナルド・ナシメント・ジ・アラウージョ | |
愛称 | レオ | |
カタカナ | レオナルド | |
ラテン文字 | LEONARDO Nascimento de Araújo | |
基本情報 | ||
国籍 | ブラジル | |
生年月日 | 1969年9月5日 | |
出身地 | リオデジャネイロ州ニテロイ | |
身長 | 177cm | |
体重 | 71kg | |
選手情報 | ||
ポジション | MF、DF(左サイドバック) | |
利き足 | 左足
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代表歴 | ||
出場 | 60 | |
得点 | 8 | |
レオナルド・ナシメント・ジ・アラウージョ(Leonardo Nascimento de Araújo 1969年9月5日-)はブラジル出身のサッカー選手、サッカー関係者。
17歳でプロのキャリアをスタートし、フラメンゴ、鹿島アントラーズ、ACミランなどでプレー。レオの愛称で親しまれた。ブラジル代表としては、1994年、1998年と2度のワールドカップに出場し、優勝と準優勝を1度ずつ経験した。2003年に現役を引退後はACミランの副会長補佐を務めた。
目次 |
[編集] 来歴
1987年、フラメンゴでプロデビュー。その後バレンシアを経てサンパウロFCへ移籍。第14回トヨタカップではトニーニョ・セレーゾのゴールをアシストし、クラブ世界一に貢献した。
1994年、ワールドカップ(W杯)アメリカ大会では左サイドバックとしてプレー。決勝トーナメント1回戦のアメリカ戦でのプレーが相手選手顔面への肘打ちと判定され、退場および4試合の出場停止処分となったため決勝の舞台には立てなかったが、卓越したテクニックで観衆を魅了した。クラブの面では、大会前にフラメンゴ時代の偉大な先輩であるジーコから誘われ、鹿島アントラーズに入団。Jリーグ通算49試合出場で30得点という成績を残した。
1996年、フランスの名門パリ・サンジェルマンに移籍、パリで1年程プレーした後、ACミランに入団。1998年-1999年シーズンでは股関節炎によりフル出場とはいかなかったが、27試合12得点を記録し、リーグ制覇に大きく貢献した。
1998年W杯フランス大会では全試合に出場。しかし決勝で、地元フランスの前に0-3の敗戦を喫する。
4年間のイタリアでのプレーの後、ブラジルに帰国。その後1度は現役を引退するものの、ベルルスコーニ会長、ガッリアーニ副会長からの要望により、2002年10月にACミランの選手として現役に復帰する。
2003年4月に再度引退するが、副会長補佐としてミランに籍を残し、カカの獲得などに尽力する。その後、2003年にACミランの出資により設立された慈善財団ファンダツィオーネ・ミランのゼネラルセクレタリーを務める[1]かたわら、テレビ解説者としてもサッカー界に関わる。
[編集] アラカルト/エピソード
- 1994年アメリカW杯では、出場停止処分により大会最後まで出場できなかった事を悔やみ、4年後のW杯で優勝することを心に誓った。しかし、その1998年フランスW杯では決勝でフランスに敗戦。前半のみの出場となったが、終了間際にベンチで見せた涙が悔しさを物語った。
- 鹿島時代、3回のリフティングでディフェンダーを振り切った末のダイレクトシュートは神業シュートと語り草となっている。
- 1996年パリ・サンジェルマンから移籍の話が舞い込み、サッカー選手として移籍したい気持ちがありながら、鹿島を離れ難い心境からジーコに相談。ジーコはその気持ちを察し、レオナルドの将来を考え移籍を勧めた。7月、カシマサッカースタジアムでの退団セレモ二ーでは自ら日本語で「感動をありがとう!」と涙ながらに言い残した。
- ACミランでの4年間の後、ブラジル帰国を決めた2001年、ミラノでのホーム最終戦では、選手全員に「ありがとう、レオ」のTシャツを着て送り出された。去り際に残した「(移籍しても次は)イタリアでは絶対にプレーしない。マルディーニやバレージがいなかったとしても、ミラン相手に戦えない」という言葉は、ミラノ市民を大いに涙させた。
- 2005年頃、右腕に日本語で「全てに感動を」というタトゥーを入れた。「これで本当に日本とつながっている気がする」と語っている[2]。
[編集] 所属クラブ
- 1984年-1987年 - フラメンゴ ユース(若年代)チーム (以降ブラジル)
- 1987年-1989年 - フラメンゴ
- 1990年-1991年 - サンパウロ
- 1991年-1993年 - バレンシア (スペイン)
- 1993年 - サンパウロ (ブラジル)
- 1994年-1996年 - 鹿島アントラーズ (日本)
- 1996年-1997年 - パリ・サンジェルマン (フランス)
- 1997年-2001年 - ACミラン (イタリア)
- 2001年 - サンパウロ (以降ブラジル)
- 2001年-2002年 - フラメンゴ
- 2002年-2003年 - ACミラン (イタリア)
[編集] 個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1987年 | フラメンゴ | 18 | 0 | ||||||||
1988年 | フラメンゴ | 18 | 0 | ||||||||
1989年 | フラメンゴ | 16 | 0 | ||||||||
1990年 | サンパウロ | 18 | 0 | ||||||||
1991年 | サンパウロ | 22 | 1 | ||||||||
スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1991年-1992年 | バレンシア | プリメーラ | 37 | 3 | |||||||
1992年-1993年 | バレンシア | プリメーラ | 34 | 3 | |||||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1993年 | サンパウロ | 13 | 0 | ||||||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1994年 | 鹿島 | - | J | 9 | 7 | 0 | 0 | 1 | 0 | 10 | 7 |
1995年 | 鹿島 | - | J | 28 | 17 | - | 3 | 1 | 31 | 18 | |
1996年 | 鹿島 | - | J | 12 | 6 | 10 | 5 | - | 22 | 11 | |
フランス | リーグ戦 | リーグ杯 | フランス杯 | 期間通算 | |||||||
1996年-1997年 | パリSG | ディヴィジョン・アン | 32 | 7 | |||||||
1997年-1998年 | パリSG | ディヴィジョン・アン | 2 | 0 | |||||||
イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1997年-1998年 | ミラン | セリエA | 27 | 3 | |||||||
1998年-1999年 | ミラン | セリエA | 27 | 12 | |||||||
1999年-2000年 | ミラン | セリエA | 20 | 4 | |||||||
2000年-2001年 | ミラン | セリエA | 22 | 3 | |||||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2001年 | サンパウロ | 12 | 0 | ||||||||
2002年 | フラメンゴ | 8 | 3 | ||||||||
イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2002年-2003年 | ミラン | セリエA | 1 | 0 | |||||||
通算 | ブラジル | 125 | 4 | ||||||||
スペイン | プリメーラ | 71 | 6 | ||||||||
日本 | J | 49 | 30 | 10 | 5 | 4 | 1 | 63 | 36 | ||
フランス | ディヴィジョン・アン | 34 | 7 | ||||||||
イタリア | セリエA | 97 | 22 | ||||||||
総通算 | 376 | 69 |
[編集] 出場大会
- 1993年 - トヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップ (優勝)
- 1994年 - FIFAワールドカップ アメリカ大会 (優勝)
- 1997年 - コパ・アメリカ (優勝)
- 1997年 - FIFAコンフェデレーションズカップ (優勝)
- 1998年 - FIFAワールドカップ フランス大会 (2位)
[編集] 代表歴
- 1994年 - FIFAワールドカップブラジル代表
- 1998年 - FIFAワールドカップブラジル代表
[編集] 関連情報
[編集] 執筆書籍
- 『レオナルド自伝 - いつも感動とともに』、1999年、ビクターエンタテインメント、ISBN 4893891596
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- ファンダツィオーネ・ミラン公式サイト (イタリア語)
[編集] 参考文献
- Leonardo Araújo 112223182版、 2007年3月3日 01:58 (UTC)、ウィキペディア英語版
- Leonardo Nascimento de Araujo 6774722版、 2007年2月4日 20:57 (UTC)、ウィキペディア イタリア語版
[編集] 脚注
- ^ 出典:Leonardo, a legend with big plans and high ideals 、 2005年4月25日付、 FIFA.com
- ^ 出典:「元鹿島レオナルド氏が代表分析、オシム日本飛躍のカギはJの活性化」、 2006年11月1日 06時02分付、『スポーツ報知』
ブラジル代表 - 1994 FIFAワールドカップ 優勝メンバー(4度目) | |
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1 タファレル | 2 ジョルジーニョ | 3 R.ローシャ | 4 ロナウダン | 5 マウロ・シルバ | 6 ブランコ | 7 ベベット | 8 ドゥンガ | 9 ジーニョ | 10 ライー | 11 ロマーリオ | 12 ゼッチ | 13 アウダイール | 14 カフー | 15 マルシオ・サントス | 16 レオナルド | 17 マジーニョ | 18 パウロ・セルジオ | 19 ミューレル | 20 ロナウド | 21 ヴィオラ | 22 ジウマール | 監督 パレイラ |
ブラジル代表 - 1998 FIFAワールドカップ | |
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1 タファレル | 2 カフー | 3 アウダイール | 4 ジュニオール・バイアーノ | 5 サンパイオ | 6 ロベルト・カルロス | 7 ジオヴァンニ | 8 ドゥンガ | 9 ロナウド | 10 リバウド | 11 エメルソン | 12 カルロス・ジェルマーノ | 13 ゼ・カルロス | 14 ゴンサウヴェス | 15 アンドレ・クルス | 16 ゼ・ロベルト | 17 ドリヴァ | 18 レオナルド | 19 デニウソン | 20 ベベット | 21 エジムンド | 22 ジーダ | 監督 ザガロ |