モーリス・クーヴ・ド・ミュルヴィル
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モーリス・クーヴ・ド・ミュルヴィル(Maurice Couve de Murville、1907年1月24日 - 1999年12月24日)は、フランスの官僚、政治家。シャルル・ド・ゴール大統領の下で、1968年から1969年まで首相を務めた。 マルヌ県ランス出身。生家は、1925年までクーヴ家を名乗っていたが、彼の父の代になって、ド・ミュルヴィルを付け加えた。
1930年会計検査院に入る。1940年ヴィシー政権が成立すると対外財務担当長官に就任する。1943年3月に米軍が北アフリカに進出すると、ヴィシー政権から離れ、自由フランスに投じた。ヴィシー政権の高官では数少ない一人である。クーヴ・ド・ミュルヴィルは、スペイン経由でアルジェに逃亡し、ここでアンリ・ジロー将軍の指揮下に入った。1943年6月7日フランス国民解放委員会(CFLN)財政担当委員に就任した。2ヶ月後、シャルル・ド・ゴールと合流し、1945年フランス共和国臨時政府(GPRF)で大使級となりイタリアに派遣された。
戦後、1950年駐エジプト大使、1954年北大西洋条約機構(NATO)担当大使、1955年駐米大使、1956年駐西独大使を歴任する。 1958年ド・ゴールが政権に復帰すると、外務大臣に任命される。以後、ミシェル・ドブレと交代するまで10年の長きにわたり外相職にあって、ドゴール主義に基づく独自外交を展開した。1968年蔵相を短期間務めた後、ジョルジュ・ポンピドゥの後任として首相に就任する。ポンピドーが大統領に当選し、首相をジャック・シャバン・デルマスと交代した。
その後もド・ゴール派の議員として活躍し、共和国民主連合、共和国連合に所属した。1986年に上院議員(元老院議員)となり、1995年まで務めた。1999年パリで死去。92歳。
[編集] 関連図書
[編集] 著作物
- Une politique étrangère, 1958-1969 (1971). ISBN unknown
- Le Monde en face (1989). ISBN 2-259-02222-7
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