メリー・ホプキン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
メリー・ホプキン(Mary Hopkin, 1950年5月5日 - )は英国の歌手。ウェールズ出身でウェールズ語を母語に育ち、民謡歌手として音楽活動に入り、地元のインディーズ・レーベルでいくらかの録音を残した後、ツイッギーに見出されて、ビートルズのアップル・レコードと契約。アップル所属時代は、その容姿や美声から「アップルの歌姫」と呼ばれていた。
ポール・マッカートニーがプロデュースしたシングル「悲しき天使 Those Were the Days 」は1968年8月30日にイギリスで発表され、有名なスター、サンディ・ショーと競作する格好となったにもかかわらず、彼女の録音が全英シングル・チャートの首位に輝き、全米シングル・チャートでも第2位を射止めた。
1969年2月21日に、やはりポール・マッカートニーのプロデュースによるアルバム第1作「ポストカード」を発表。アルバム・セッションに参加したドノヴァンから3曲をカヴァーしているほか、ジョージ・マーティンやハリー・ニルソンの作品も1曲ずつカバーしている。
シングル第2作は、レノン=マッカートニー作詞・作曲(事実上はポール・マッカートニー単独の作)の「グッドバイ」で、1969年3月28日に発表され、全英シングルチャートで第2位に輝く(当時の第1位はビートルズの「ゲット・バック」であった)。「グッドバイ」はビートルズの海賊盤で出回ったことがあるものの、公式にビートルズが発表したことはなかった。
シングル第3作には、ドリス・デイの著名な曲「ケ・セラ・セラ Que Sera, Sera (Whatever Will Be, Will Be) 」をマッカートニーが用意。彼が新たなリフレインを書き足し、素晴らしいバックトラックが制作されたが、完璧なポップソングとして仕上がっていたため、ホプキン側が発売に難色を示し、結果、ミッキー・モストのプロデュースによる「夢みる港 Temma Harbour 」に変更された。この一件によりマッカートニーとの関係は悪化し、以降マッカートニーはホプキンのプロデュースから撤退する。
1970年3月23日にシングル第4作「しあわせの扉 Knock Knock Who's There 」を発表し、再び全英シングル・チャート第2位を獲得。同年、英国を代表してユーロヴィジョン歌唱コンクールに出場した際、この楽曲によって第2位を獲得、惜しくもアイルランドの歌手ダナに敗れた。
また1970年には来日して大阪万博にも出場し、その美声を響かせた。
1971年には、アルバム第2作「大地の歌 Earth Song/Ocean song 」を発表。メジャーデビュー以前の音楽性であったブリティッシュ・フォークの香りが漂う作品となり、当人もこのアルバムで、メジャーデビュー後初めて自らの音楽性との合致点を見いだしたという。
同年、「大地の歌」をプロデュースしたトニー・ヴィスコンティと結婚してからは音楽界を引退し、もっぱら主婦業に務めたが、1977年にデビッド・ボウイのアルバム「ロウ」のバック・ヴォーカルに参加している。1981年にヴィスコンティと離婚。
ヴァンゲリスによる映画『ブレードランナー』のサウンドトラックで、「Rachel's Song」を歌っている。2005年には、ドリー・パートンのアルバム「Those Were the Days」にも参加している。