ミスター・ビッグ (イギリスのバンド)
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ミスター・ビッグ(Mr.Big)は、イギリスのロック(ポップ・ロック)バンドで、1970年代と1990年代に活動した。ディッケンことジェフ・ペインによって結成され、1977年にヒットした『恋するロミオ(Romeo)』が最もよく知られている[1]。バンドとしての活動期は、1972年から1978年にかけての第1期と、1990年から1998年にかけての第2期に分けられる。
[編集] バイオグラフィ
ミスター・ビッグのメンバーは元々、バーント・オーク(Burnt Oak)という名前で1960年代後期から一緒にプレイしていた。ミスター・ビッグというバンド名での最初の演奏は、1972年、ロンドン、オックスフォード・ストリートのマーキー・クラブ(en:Marquee Club)で、マネージャーがチラシにバーント・オークの代わりにミスター・ビッグという名前を使ったからだった。マネージャーはビラの変更を拒み、以後バンドはその名前で活動することになった[2]。
1974年、ミスター・ビッグはエピック・レコードと契約し、3枚のシングルをリリースした。どの曲もヒットには至らなかったものの、Ayesha Broughの『Lift Off』というテレビのポップ音楽番組と、BBCの警察ドラマ『Softly, Softly: Taskforce』に(俳優兼歌手のポール・ニコラウス(en:Paul Nicholas)をリード・シンガーに迎えて)出演した。
1975年、モット・ザ・フープルのマネージャーのボブ・ハーシュマンがミスター・ビッグのマネージャーを引き受けることになった。EMIに移籍してリリースしたファースト・アルバム『甘美のハード・ロッカー(Sweet Silence)』は、これまでのシングルで得られなかった好評を博した。このアルバムのプロモーションために、マイク・マンスフィールドの『Supersonic』や『Superpop』に出演した。11月には、クイーンの『オペラ座の夜』ツアーをサポートした。
1976年、ミスター・ビッグは自身のUKツアーを行い、さらにスウィートのヨーロッパ・ツアーをサポートし、デンマークやオランダのテレビに出演し演奏した。それからカリフォルニア州ロサンゼルスで、ヴァル・ギャレイをプロデューサーに迎えて、セカンド・アルバム『フォトグラフィック・スマイル(Mr Big)』をレコーディングした。
1977年、ミスター・ビッグは2月から4月にかけて、トム・ペティ、ジャーニー、カンサス、ザ・ランナウェイズと一緒にアメリカ・ツアーを行った。一方、アルバム『フォトグラフィック・スマイル』からシングル・リリースされた『恋するロミオ』が、BBCの一時的放送禁止措置にもかかわらず、UKシングルズ・チャート(en:UK Singles Chart)で第4位になった。この曲は日本、オーストラリア、アメリカ合衆国、ヨーロッパの一部の国でも好セールスをあげ、南アフリカ共和国のバンドがカバーもした。続けて第2弾シングル『故郷への慕情(Feel Like Calling Home)』をリリースしたが、前作ほどの成功は得られず、チャートも35位止まりだった[1]。ミスター・ビッグはイギリスやヨーロッパのテレビに出演し、自身のUKツアーも行った。
1978年、モット・ザ・フープルのイアン・ハンター(en:Ian Hunter (singer))をプロデューサーに迎えてサード・アルバム『Seppuku』をレコーディングし[3]、再びUKツアーを行った。アルバムからシングル・リリースした『Senora』をBBCの『トップ・オブ・ザ・ポップス』で演奏するが、ほどなくしてバンドは解散してしまった。
ディッケンとベーシストのピーター・クロウザーはブロークン・ホーム(Broken Home)というバンドで活動を続けた。2枚のアルバムをリリースし、1980年にはレディング・フェスティバルに出演、さらにノルウェーとドイツで小ヒットを飛ばした。ディッケンは名前を使い分けてさまざまなミュージシャンとコラボレートする一方、ソロでもアルバムをリリースし、ミスター・ビッグ・グレイテスト・ヒッツ・ツアーを行った。新生ミスター・ビッグのメンバーは、旧メンバーであるディッケンとエディ・カーターに、ベース、キーボード、パーカッションの新メンバーから成っている。一番新しいアルバム『レインボー・ブリッジ(Rainbow Bridge)』がリリースされたのは1996年のことである。
[編集] 脚注
- ^ a b Roberts, David (2006). British Hit Singles & Albums, 19th, London: Guinness World Records Limited, p. 371. ISBN 1-904994-10-5.
- ^ CD『ミスター・ビッグ/フォトグラフィック・スマイル』のライナーノート(解説・赤岩和美)には別の説が紹介されている。デイリー・ミラー紙で、ヨーロッパのポルノ・キング(別名ミスター・ビッグ)逮捕の新聞記事が大きく出ていたのを見て、メンバー自ら改名した、ということである。
- ^ このアルバムは当時未発表だったが、2001年になってようやくリリースされた。
[編集] 参考文献
- 東芝EMI株式会社のCD『ミスター・ビッグ/フォトグラフィック・スマイル』のブックレット - 解説・赤岩和美、対訳・山本安見。