マルク州
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州の標語: | |
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州都 | アンボン |
知事 | Karel Albert Ralahalu |
面積 | 54,185 km² |
人口 | 1,277,414 (2003) |
民族 | アンボン人, ルモリ人, ヌアウル人, ラナ人, メラネシア人, ジャワ人, ミナハサ人, 中国系インドネシア人 |
宗教 | イスラーム (49,1%), プロテスタント (42,5%),カトリック (7,7%), その他 (ヒンドゥー教, 仏教) (0,7%) |
言語 | インドネシア語 |
時間帯 | WIT (UTC+9) |
公式サイト | www.malukuprov.go.id/ |
マルク州 (Maluku ) はインドネシアの州。州域はマルク諸島(モルッカ諸島)から遠く南方に広がる。州都はアンボン島のアンボン(Ambon)である。すべてのマルク諸島の島々は1950年から1999年まで一州を形成していたが、1999年に北部の県が北マルク州として分離した。
目次 |
[編集] 行政区分
マルク州は7つの県と1つの市部に分けられている。
[編集] 県
- ブル県 Buru - (ナムレア: Namlea)
- アル諸島県 Kepulauan Aru - (ドボ: Dobo)
- 中部マルク県 Maluku Tengah - (マソリ: Masohi)
- 南東マルク県 Maluku Tenggara - (トゥアル: Tual)
- 西部南東マルク県 Maluku Tenggara Barat - (サウムラキ: Saumlaki)
- 西部セラム県 Seram Bagian Barat - (ダタラン・フニポプ: Dataran Hunipopu)
- 東部セラム県 Seram Bagian Timur - (ダタラン・フニモア: Dataran Hunimoa)
[編集] 市
- アンボン - Ambon
[編集] マルク宗教抗争
マルク州はもともとキリスト教徒とイスラム教徒が共存してきた地域であったが、1999年1月14日にアルー諸島のドボにおいて両者の間に争乱が発生。この争乱は5日後にアンボン市に波及し、イスラム教徒のブギス人とキリスト教徒のアンボン人が、お互いの住居や商店に焼き討ちを行った。この対立は同じ日のうちにカイ諸島、サパルア島、ハルク島、セラム島などに飛び火。この年の年末までに4000人の死者と40万人の難民が発生した。
この内戦の発生時、お互いの対立を意図的に煽る者や情報が組織的に準備されたとの情報があり、インドネシア軍が国政に対する影響力を維持する為に、ワヒド政権への揺さぶりをかける目的で仕組んだものではないかとの指摘がある[1]。
[編集] 注
- ^ 尾本恵市、笹岡正俊、新妻昭夫、弘末雅士「マルク「宗教抗争」はなぜ起きたのか」『海のアジア4:ウォーレシアという世界』岩波書店、2004年
[編集] 関連項目
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