フリードリヒ・リュッケルト
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ヨーハン・ミヒャエル・フリードリヒ・リュッケルト(Johann Michael Friedrich Rückert 1788年5月16日 - 1866年1月31日)は、ドイツの詩人、東洋学者。
[編集] 経歴
シュヴァインフルトに生まれ、エルランゲンとベルリンの東洋学の教授で、ゲーテの『西東詩集』以来ドイツ文学に感じられるようになった東洋的要素をさらに推し進め、東洋文学をドイツ語に翻訳することで抒情詩のスペシャリストと言われるまでになった。
その後田舎の静かな生活を愛するあまり退職して田舎に引退した。 稀にみる語学の天才で、70種類の言語を習得したと言われる。古典文化の言語の研究にも携わり、さまざまな形式を駆使し、ドイツ語による詩の中でも最も美しいもののいくつかが彼の手によって生み出されている。
[編集] 詩集
- 『愛の春』
- 『東方のバラより』
[編集] 音楽への影響
リュッケルトの東洋的な香りを持った時に神秘主義的な美しい詩の数々は多くの作曲家を魅了し、リート史上もっとも作曲家から愛された詩人の一人である。 最初に作曲した有名な作曲家はフランツ・シューベルトであり、『君は憩い』、『僕の挨拶を』、『愛と美がここにあったことを』など5曲と数は少ないがいずれもリュッケルトの持つ詩の雰囲気を見事に音楽に表しており、どの曲もシューベルト歌曲の代表作と言えるものである。このため、シューベルトがあと数年生きていたらリュッケルト歌曲の世界はもっと広がっていただろうと惜しまれている。
もっともリュッケルトに傾倒した作曲家はロベルト・シューマンである。シューマンの「歌の年」と言われる1840年には妻クララへの思いを込めるようにハイネと同様、リュッケルトの詩による歌曲が多数生まれている。『献呈』、歌曲集『愛の春』、歌曲集『ミンネの歌』など。
後期ロマン派において重要なのはグスタフ・マーラーであろう。代表作『リュッケルトの詩による五つの歌曲』と歌曲集『亡き子を偲ぶ歌』がリュッケルト歌曲の代表作の一つとして知られている。
他にもカール・レーヴェ、ヨハネス・ブラームス、フランツ・リスト、フーゴー・ヴォルフ、リヒャルト・シュトラウス、プフィッツナー、マックス・レーガーなどリート作曲家でリュッケルトに曲をつけなかった人を探すのが困難なほどである。