フォルモスス (ローマ教皇)
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フォルモスス(Formosus、? - 896年4月4日)は、第111代ローマ教皇(在位891年-896年)。
枢機卿であったときに、東フランク王アルヌルフをイタリア王として戴冠する。しかし、時の教皇ヨハネス8世の反発を買い、破門に処せられている。教皇に就任すると、896年、イタリアに侵攻したアルヌルフに対して、西ローマ皇帝として戴冠した。しかし、このような行為は大きな反発を招き、反対派に擁立されたボニファティウス6世に位を追われた。
死後も、教皇ステファヌス7世によって、墓が暴かれ、遺体がテヴェレ川に流されている。フォルモススの名誉が回復されたのは、教皇ロマヌスのときであり、教皇テオドルス2世のときに、テヴェレ川から遺体が引き揚げられ、バチカンに葬られた。
また、熱心に布教活動を行い、ブルガール人をキリスト教に改宗させた。
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