ピエール・ギュヨタ
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ピエール・ギュヨタ(Pierre Guyotat、1940年1月9日-)は、フランス孤高の小説家。 近代文学が囚われていた“心理的要素”、“論理的要素”から文学を解放し、現代のロマネスクを探求した。 徹底した唯物論的姿勢を貫きながらも、独自の詩情を手放さず、読み手の視覚に直接イメージを投げかけるその記述が特徴。
目次 |
[編集] 略歴
1940年1月9日フランスのロワール県ブール=アンジャンタールで生まれ、9歳で性に目覚める。宗教学校を経たのちリヨンとパリで教育を受け、ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール紙の編集者になる。1960年から62年までアルジェリアで兵役(アルジェリア植民地戦争)に服すが、反抗兵とし投獄され、懲罰部隊へ入れられる。この戦争体験がギュヨタの想像力に強烈なイマージュを焼きつけ彼を作家にしたと言われている。27歳の時にその体験を元に書き綴った小説、『五十万人の兵士の墓』を刊行、アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ、ミシェル・レリスらに賞賛される[1]。その後、1970年に『エデン・エデン・エデン』がメディシス賞にノミネートされ、選考委員のクロード・シモン、ミシェル・ビュトール、ロブ=グリエらヌーヴォー・ロマンの作家が強く推すも落選、クロード・シモンがその抗議として辞表を公開提出する。ミシェル・フーコーも同書を絶賛し、序文[2]にはミシェル・レリス、ロラン・バルト、フィリップ・ソレルスが寄稿するが、猥褻文書として即発禁処分に。同時期に共産党へ入党。フォルクスワーゲン・タイプ2で旅に出てサハラ砂漠を何度も横断する。重度の鬱病になり1981年には危機的状況におちいる。2000年にはジャン=リュック・ゴダールの映画、『二十一世紀の起源』の中で自分のテクストを朗読。
[編集] 主な作品
- 『馬にのって』(ドナルバン名義)未訳
- 『アシュビー』 未訳
- 『五十万人の兵士の墓─反乱の雅歌篇』1967年 榊原晃三 訳(二見書房)
- 『五十万人の兵士の墓─残酷の黙示録篇』1967年 榊原晃三 訳(二見書房)
- 『エデン エデン エデン』1970年 榊原晃三 訳(二見書房)(ペヨトル工房)
[編集] 関連項目
[編集] 註
- ^ 「あなたはこの本で、実に感嘆すべき作品をお書きになりました。…あなたの作品は詩的で、その精神と文体においては、他のどの作家よりも、われわれすべての師であるロートレアモンの世界に近い作品です」マンディアルグ
- ^ 「まったく稀有の事だが、その文章は幻覚をおこさせる力を持っている」レリス
- ^ 中上は対談『俺達の舟は、動かぬ霧の中を、纜を解いて、─』の中で、村上龍の処女作『限りなく透明に近いブルー』に対し、その性描写におけるギュヨタの影響を指摘している。