パラディン
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パラディン(Paladin)は、「パラティン(palatine)」、そしてラテン語の「パラティヌス(palatinus)」から派生した語で、中世および初期近代ヨーロッパの多くの国で見られた、一定の高位にある騎士である。ゲームやファンタジーでは「聖騎士」と訳される。
本来パラディンは、古代ローマ皇帝ディオクレティアヌスによって、侍従として、また親衛隊(praetorian guard)と呼ばれる宮殿の護衛兵として作られた。中世初期には意味が変わり、ローマ教皇に仕える高官と、神聖ローマ帝国の「パラティン伯(count palatine)」と呼ばれる高位の貴族になった。同種の称号は19世紀のハンガリーで、また20世紀の初頭のドイツ帝国、イギリスでも使われた。
中世文学の「フランスの主題」では、シャルルマーニュの家臣として知られていた十二勇将が、パラディンと呼ばれていた。この用法にもとづいて、現代ファンタジーのパラディンは、高潔な「聖騎士」を指すようになった。なお、このようなファンタジーにおける架空のパラディンについて、日本ではしばしば「聖騎士」などを始めとする独自の訳語が当てられている。
[編集] 派生語
パラディンの称号は時代を超えて様々な言語で使われ、異なる綴りが生じた。パラディンの語源はラテン語で「パラティウム(Palatium)に属するもの」を意味するパラティヌス(palatinus)である。パラティウムはローマの七つの丘の一つであり、オクタヴィアヌスの頃から皇帝の館が置かれていた。パラティウムにある住まいも、パラティヌスと呼ばれた。パラティヌスは欧州諸言語で「宮殿」を意味する言葉の語源となり、ここからパラディンは「宮殿の高官」との意味も持つようになった。ラテン語は中世を通じて筆記において支配的な言語であったため、この語の意味はほとんど変化しなかったが、綴りは言語によって変化した。ラテン語のpalatinus(複:palatini)から中期フランス語のpalaisinに、ノルマン王朝とともに英語のpaladinとpaladineが生じた。中世初期のドイツにおけるパラディンは、王の選挙候である宮中伯( 独:Pfalzgraf、英:count palatine)だった。彼には、かれの扶養の基礎となる領地として、プファルツ(独:Pfalz、英:palatinate)が与えられた。 英語の「paladin」は、イタリア語形の「paladino」から近代英語に借用されたものである。これは後期中世の「フランスの主題」の論述の大部分は、ルドヴィーコ・アリオストやマッテオ・マリア・ボイアルドといった、イタリア人によってなされたからである。