パックインミュージック
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パックインミュージックは、TBSラジオ(当時は東京放送が運営)をキーステーションにJRN各局で、1967年7月31日~1982年7月31日まで放送されていた深夜放送。愛称パック。
当初は、日産自動車の1社提供だった(後にTDKの1社提供。その後は、複数社スポンサー(PT)へ)。
目次 |
[編集] 放送時間
- 1967年7月31日~1969年10月4日:月曜(火曜)~土曜(日曜)24:30~29:00
- 1969年10月6日~1972年4月8日:月曜(火曜)~土曜(日曜)25:00~27:00<第1部>/27:00~29:00<第2部>(※番組前半を第1部、後半を第2部に分割)
- 1972年4月10日~1974年8月30日:月曜(火曜)~金曜(土曜)25:00~27:00<第1部>/27:00~29:00<第2部>(※土曜の放送枠が廃止され、以降、平日のみの放送となる。尚、空いた土曜日の枠には「ヤングタウンTOKYO・桂三枝の深夜営業」が当てられた)
- 1974年9月2日~1982年7月31日:月曜(火曜)~金曜(土曜) 25:00~27:00(※第2部廃止により、放送時間縮小)
[編集] パーソナリティ
[編集] 第1部
[編集] 火曜(月曜)
- 1967,08-1968,09-増田貴光/戸川昌子
- 1968,10-1969,03-福田一郎/野村道子
- 1969,04-1971,09-福田一郎/中村律子
- 1971,10-1977,09-小島一慶(←1971,03まで土曜(金曜)担当)
- 1977,10-1980,09-林美雄(←水曜(火曜)から移動)
- 1980,04-1981,09-近田春夫
- 1981,10-1982,07-ばんばひろふみ/兵藤ゆき
[編集] 水曜(火曜)
- 1967,08-1968,06-八城一夫/やまのべもとこ
- 1968,07-1968,12-八城一夫/沢知美
- 1969,01-1969,03-八城一夫/広川あけみ
- 1969,04-1970,03-八木誠/若山弦蔵
- 1970,04-1971,03-桝井論平(←日曜(土曜)2部より昇格)
- 1971,04-1975,09-愛川欽也(→木曜(水曜)へ移動)
- 1975,10-1977,09-林美雄(→火曜(月曜)へ移動)
- 1977,10-1978,03-宮内鎮雄
- 1978,04-1982,07-西田敏行
[編集] 木曜(水曜)
- 1967,08-1969,03-田中信夫/北浜晴子
- 1969,04-1972,03-北山修
- 1972,04-1972,09-吉田拓郎(よしだたくろう)
- 1972,10-1974,03-南こうせつ(南高節)
- 1974,04-1975,09-小室等
- 1975,10-1978,06-愛川欽也(←水曜(火曜)から移動)
- 1978,07-1978,09-(※週替り)
- 1978,10-1979,09-河島英五
- 1979,10-1981,09-おすぎとピーコ
- 1981,10-1982,07-翔(横浜銀蠅)/横山めぐみ
[編集] 金曜(木曜)
[編集] 土曜(金曜)
- 1967,08-1968,03-なべおさみ/星加ルミ子
- 1968,04-1969,03-ケン田島/裕圭子
- 1969,04-1969,09-ロイ・ジェームス/藤田恒美
- 1969,10-1970,09-大村麻梨子
- 1970,10-1971,03-小島一慶(→1971,10より火曜(月曜)担当として復帰)
- 1971,04-1978,03-山本コータロー
- 1978,04-1979,09-宮内鎮雄(←水曜(火曜)から移動)
- 1979,10-1980,03-阿部敏郎
- 1980,04-1981,03-星セント・星ルイス
- 1981,04-1982,07-九十九一
[編集] 日曜(土曜)<1967,07~1972,04>
[編集] AM 27:00-29:00<1967,07,31~1969,04,23 火曜(月曜)~日曜(土曜)>
- 乾宣夫のマジックピアノ(27:00-27:10)※このコーナーのみ、1972,4,8まで続いた。
- 牟田悌三のまじめでいこう(27:10~27:30、1967,7,31~1968,9)
- 竹脇無我のヤングマン専科(27:10~27:30、1968,10~1969,4,23)
- 夜がささやく(27:30~28:00、1967,7,31~9)
- ナイトファンタジー(27:30~28:00、1967,10~1969,4,23)
- 歌謡曲ララバイ(28:00~28:30、1967,7,31~1968,9)
- あおい輝彦のビートパーティー(28:00~28:30、1968,10~1969,4,23)
- サンライズトーキョー(28:30~29:00、1967,7,31~9)
- 朝のダイヤル(28:30~29:00、1967,10~1969,4,23)
[編集] 第2部<1969,10~1974,08>
[編集] 火曜(月曜)
- 1969,10-1970,03-宮内鎮雄
- 1970,04-1971,03-米沢光規
- 1971,04-1972,03-石川顕(←土曜(金曜)から移動)
- 1972,04-1973,03-宮内鎮雄(再)
- 1973,04-1973,12-小林節子
- 1974,01-1974,09-広田綾子
[編集] 水曜(火曜)
[編集] 木曜(水曜)
- 1969,10-1970,03-麻生雅子
- 1970,04-1971,03-郷司淑子
- 1971,04-1974,08-馬場こずえ(→「歌うヘッドライト」でも続投)
[編集] 金曜(木曜)
- 1969,10-1970,03-遠藤泰子(→水曜(火曜)へ移動)
- 1970,04-1970,05-久米宏(結核発病のため、短期間で降板)
- 1970,05-1974,08-林美雄(→1975,10より水曜(火曜)担当として復帰)
[編集] 土曜(金曜)
- 1969,10-1970,03-二村義子
- 1970,04-1970,09-松永邦久
- 1970,10-1971,03-石川顕(→火曜(月曜)へ移動)
- 1971,04-1974,08-吉田真由美
[編集] 日曜(土曜)<1969,10~1972,04>
- 1969,10-1970,03-桝井論平(→水曜(火曜)1部へ移動)
- 1970,04-1972,04-宮内鎮雄(→火曜(月曜)へ移動)
[編集] 特色・エピソード
- 開始当初~1969年4月23日までは、午前24時30分~27時までが生放送(「パックにリクエスト」)で、27時~29時は録音番組を放送していた。同年4月24日から、第1部のパーソナリティが、27時以降も引き続き担当し、同年10月より、25時~27時、27時~29時の2部制となった。
- 日産自動車一社提供時代は、CMソング「世界の恋人」のインストバージョンが流されていた。
- 1969年からは、番組の会報誌「パック・ニュース」が刊行されていた頃があった。
- 本番組では、木曜の深夜=金曜未明に行われる放送は「金曜」と称していた。以下でも、その原則に従って記す。
- 林美雄(水曜日)は、山崎ハコ等のアングラ的な香りのする歌手を積極的に紹介し、また歌手としての原田芳雄を広く世に知らしめた。ニュース番組のパロディ「苦労多かるローカルニュース」なども人気を集めていたが、TBS夜の番組「夜はともだち」の新設に伴い、火曜日担当の小島一慶とともに、そちらに移った。小島はこの異動にかなりのショックを受けたが、最後にパックに残りたければ残ってもいいと言われ、憤然として移った、と自ら語っていた。林のニックネームは「ミドリブタ」。オープニグ・テーマは、ブッカー・T & The MG's の「タイム・イズ・タイト」であった。
- 愛川欽也担当の木曜日は、頻繁にゲストが立ち寄るということが、売りであった。特に常連化していたのはうつみ宮土理である。他に黒柳徹子、奥山晄伸、永六輔ほか。また下ネタをオブラートに包んだ投書のコーナーも人気で、「ポール」「テトラ」「ジンジロゲ」等の婉曲語を生んだ。「マルキン深夜劇場」「カトリーヌコーナー」などのコーナーがあった。オープニングでは、愛川がかつて声優を務めたテレビ番組の主題曲で、ネルソン・リドル楽団演奏の「ルート66」が流された。またエンディングでは、ジョニー・ピアソン・オーケストラ演奏の「渚のシルエット」をバックに、愛川が崎南海子の詩を朗読した。
- 野沢那智、白石冬美(金曜日)のナチチャコパック(訛ってナッチャコ、または金パ)は、「御題拝借」というリスナーからの投書のコーナーが中心であったが、達者な投書と読む野沢那智の芸により、絶大な人気を博し、そこから『もう一つの別の広場』などの書籍も生まれた。エンディングテーマはレイモン・ルフェーブル・オーケストラ演奏の「シバの女王」であった。
- TBSラジオが、改編による終了を発表した際には、リスナーが撤回を求めて、TBS本社へデモをかける騒ぎになった。
- 1974年8月を以て、第2部は廃止され、代わってその時間帯には「いすゞ歌うヘッドライト~コックピットのあなたへ~」がスタートしたが、水曜2部担当の滝良子、木曜2部担当の馬場こずえについては「歌うヘッドライト」でも、そのまま続投という形で、パーソナリティーを担当した。
- その他主なコーナーは、「恥の上ぬりコーナー」(山本コウタロー)、「火パ・怒りを込めて振り返れ」(小島一慶)、「下落合本舗」(林美雄 - パロディCMの案を募集していた)、「ユア・ヒットしないパレード」(林 - 「いい曲だけど、何となく消えてしまいそうな曲」を中心に紹介していたコーナー)など。「ユア〜」からは、このコーナーをきっかけに南佳孝の『モンロー・ウォーク』がヒットするという現象も生まれた。
[編集] ネット局
- 北海道放送(JRN/NRNクロスネット)
- 山形放送(JRN/NRNクロスネット) - 1977年打ち切り、裏番組の「オールナイトニッポン」に移行。
- 新潟放送(JRN/NRNクロスネット) - 1976年打ち切り、裏番組の「オールナイトニッポン」に移行。
- 北陸放送(JRNフルネット【当時】) - NRNとのクロスネットになっても暫く放送されていたが、1982年の放送終了前に打ち切り、裏番組の「オールナイトニッポン」に移行。
- 山陽放送(JRNフルネット【当時】)
- 四国放送(JRN/NRNクロスネット) - 1977年打ち切り、裏番組の「オールナイトニッポン」に移行。
- RKB毎日放送(JRNフルネット)
- 大分放送(JRN/NRNクロスネット) - 1979年打ち切り、裏番組の「オールナイトニッポン」に移行。
- 琉球放送(JRNフルネット) - 1976年ネット開始
[編集] 関連番組
この番組が終了した後の1983年4月から1985年9月頃まで、日産自動車は深夜枠「NISSANミッドナイトステーション」を提供した。
当初は、電話リクエスト形式の音楽番組を、旬のタレントが日替わりで担当する体裁だったが、後期は萩本欽一率いるお笑いタレント集団「欽ちゃんファミリー」が、日替わりで担当するようになった。ちなみに初期の「SURF&SNOW」も「NISSANミッドナイトステーション」の一部でもあった。
また、1992年4月には、同番組の復活を目指した「パックインミュージック21」がスタートしたが、思うような人気は得られず、1993年9月に終了している。
その後、2001年4月から2003年3月まで、毎月第3日曜深夜2:00~5:00(月曜未明)の3時間、愛川欽也や白石冬美らによる「月刊愛川欽也・キンキンのパックインミュージック」が放送された。
2006年12月29日には「甦る伝説 那智・チャコ・パック」と題して、野沢那智と白石冬美、当時の番組スタッフで、復活放送が行われた。
[編集] 外部リンク
[編集] 番組の入れ替わり
TBSラジオ系 月~金 24:30~29:00(1967~1969年) | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
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|
パックインミュージック
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25:00~27:00:パックインミュージック第1部
27:00~29:00:パックインミュージック第2部 |
TBSラジオ系 月~金 25:00~29:00(1969~1974年) | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
パックインミュージック(24:30~29:00)
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パックインミュージック第1部(25:00~27:00)
パックインミュージック第2部(27:00~29:00) |
25:00~27:00:パックインミュージック
27:00~29:00:いすゞ歌うヘッドライト |
TBSラジオ系 月~金 25:00~27:00(1974~1982年) | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
25:00~27:00:パックインミュージック第1部
27:00~29:00:パックインミュージック第2部 |
パックインミュージック
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