山崎ハコ
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山崎 ハコ (やまさき はこ、1957年5月18日 - ) は、大分県日田市出身の歌手、シンガーソングライター、女優、文筆家。
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[編集] 経歴
本名、安田 初子(やすだ はつこ、旧姓・山崎)。
大分県日田市出身、父親の仕事の関係で、中学卒業を待ち祖母と暮らす。卒業後、両親の待つ横浜へ。横浜学園高等学校在学中、コンテストに出場がきっかけで1975年にアルバム『飛・び・ま・す』で歌手デビュー。150センチあるかないかの小柄で痩せた体躯からは想像もできないパワフルな声量・表現力を誇る歌唱と、暗く鋭く愛から社会を抉る歌詞で、デビュー当時、中島みゆきのライバルと言われた事もある。1975年12月、TBSホールの『パック祭り』に出演。大反響となり、TBS『パックインミュージック』を中心に、“深夜放送のマドンナ”と言われ始める。1979年4月~80年3月 ニッポン放送『オールナイトニッポン』火曜日のDJを担当。その後もリリースやコンサート活動を続け、女性フォークシンガーとして活躍する一方で、エッセイの執筆、演劇出演など多彩な活動を行う。現在も全国のライブハウスを渡り歩くなど、精力的に活動している。
幼少時代から慢性膵炎の持病を抱えており、「酒・タバコどころか(膵臓に負担過大のため)ラーメン・コーヒーも口にできない」(本人談)体質である。それゆえ度々ダウンすることもあったが、彼女の歌唱や楽曲制作への意欲は病に負けるどころか、むしろ力強く、多岐に渡り精力的な活動を展開している。また活動拠点をずっと横浜に置き続けているのも、彼女のこだわりである。
永年独身を通していたが、演奏・作編曲など長く仕事を共にしたギタリストの安田裕美と結婚。結婚後も良好な公私のパートナー関係であり続けている。
[編集] 箱女
日本テレビ『進ぬ!電波少年』の企画「電波少年的箱男」で、箱男・川元文太を励ますために楽曲を提供した。彼女が選ばれた理由は名前が「ハコ(=箱)」だから。彼女が作った曲はのちにひきこもりの若者を励ます歌として番組内で室井滋が歌う企画があった。
[編集] その他のエピソード
- 「暗い・寒い歌」として『週刊少年ジャンプ』掲載の『ついでにとんちんかん』でよくネタにされていたために前記で述べた作品で知ったと言う当時小学生だった読者が多かった。
- 『呪い』についてはラジオ番組『大槻ケンヂのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)で、「一番暗い曲」の称号を貰った経緯があり、その出来事がテレビ番組で話題にされたこともある。しかし、本人は暗い曲を歌っているつもりは無いと言う。本作は漫画『ちびまる子ちゃん』でも採り上げられた事があり、本人自身の役で声優を務めた。
- 漫画『課長バカ一代』で、主人公の八神のほか連載末期のメインキャラ4人全員が山崎ハコのファンだったというネタが描かれた事がある。
- 一切、ボイスレッスンを引き受けなかった山崎ハコだが、唯一、芸術家筒井はじめへの指導をしている。
- 携帯電話公式サイト週刊モバイルよむ!で、ハコスタイルの原点、自身の幼少時代を赤裸々に明かし、さらに活動を広げている。
- 1998年に所属事務所が倒産したことで一時期ホームレスにも近い極貧生活をしていたこともある。その為にマネージメント、所属事務所、営業活動などは全て自分で行い、生活のためにアルバイトで生計を立てていた。しかし、バイト先の有線放送でたまたま自分の曲がかかったときに「自分は歌わなくてはいけない」と本格的な歌手復帰を決意し、2008年に完全復帰を果たし、新曲「BEETLE」を発売することが決定した。
- 1997年に「わっしょいニッポン」が『みんなのうた』で放送された事がある。
[編集] レコード・CD
[編集] シングル
- 流れ酔い唄
- 地獄「心だけ愛して」
- ララバイ横須賀
- 男のウ井スキー
- 織江の唄 - 映画『青春の門』(1981年)テーマ・ソング
- 幻想旅行
- 雨に唄えない
- 風の歌
- 町よ
- テル・ア・ライ
- ANOU
- 気分を変えて
- 蛍
- アカシアの雨がやむとき
- 私が生まれた日
- たどりついたらいつも雨ふり
- わっしょいニッポン
- たずね人-冒険者-
- 希望
- やさしい歌
- 刹那の夢
- BEETLE - ドキュメンタリー映画『東京ソーダ水』主題歌およびTBS系『徳光和夫の感動再会"逢いたい"』2008年1月 - 3月期エンディングテーマ
[編集] アルバム
- 飛・び・ま・す(1975年10月1日)
- 綱渡り(1976年5月25日)
- 藍色の詩(1977年3月18日)
- 山崎ハコ ファーストライブ
- 流れ酔い唄(1978年6月10日)
- 人間まがい(1979年5月21日)
- 山崎 ハコライブII 歌在りて
- 軌跡
- 歩いて
- 茜(1981年4月25日)
- 幻想旅行(1981年11月5日)
- 幻想旅行II(1982年4月5日)
- 硝子の景色
- 風の色(1983年2月21日)
- ダージリン
- てっせんの花
- 光る夢(1985年5月25日)
- 時は流れて(1985年11月25日)
- なわとび(1986年6月1日)
- 私の幸せ(1986年11月25日)
- SA・SU・GA(流石)(1990年2月23日)
- 日本詩集-遠い町 遠い空(1990年4月25日)
- ベスト
- 流行歌(はやりうた)が聞こえる(1991年12月16日)
- メンフィスまで(1992年5月21日)
- 十八番(1994年9月21日)
- 私が生まれた日(1995年5月24日)
- ハコのお箱(1995年9月27日)
- 唯心(1996年6月21日)
- 山崎ハコ BEST(1996年11月21日)
[編集] ミニアルバム
- 飛びます・・・17歳
[編集] ラジオ出演
- 山崎ハコの本日おハコ(ラジオ沖縄、アール・エフ・ラジオ日本(2007年7月から再び放送開始)。過去にKBS京都も放送していた)
- 山崎ハコの夢歌さがし(山形放送、信越放送、岐阜放送)
- 山崎ハコのオールナイトニッポン(ニッポン放送、火曜2部、1979年4月~1980年3月)