ハビエル・カスティリェホ
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基本情報 | |
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本名 | フランシスコ・ハビエル・カスティリェホ |
通称 | El Lince de Parla(パルラの山猫) |
階級 | ミドル級 |
国籍 | スペイン |
誕生日 | 1968年3月22日(40歳) |
出身地 | マドリード州パルラ |
命日 | |
死地 | |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 69 |
勝ち | 62 |
KO勝ち | 41 |
敗け | 7 |
引き分け | |
無効試合 |
フランシスコ・ハビエル・カスティリェホ(Francisco Javier Castillejo、1968年3月22日 - )は、スペインのプロボクサー。元WBC世界スーパーウェルター級および元WBA世界ミドル級の2階級制覇チャンピオン。闘争心溢れるボクシングを展開し、前へと相手を押し込みながら力強いパンチで仕留める。「El Lince de Parla(パルラの山猫: Linceは英語のLynx)」の異名を持つ。マドリード州、パルラ出身。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] マイナータイトル時代
1988年7月22日、20歳でプロデビュー。デビュー当時はウェルター級であり、1990年10月19日にはスペインウェルター級タイトルを獲得する。その後階級をスーパーウェルター級にあげ1993年4月24日にはフリオ・セサール・バスケスの持つWBAスーパーウェルター級タイトルに挑戦するが失敗する。メジャータイトル挑戦には若干経験不足と考えたのであろうか、カスティリェホはマイナータイトル獲得を目指す。1994年1月11日にEBUヨーロッパスーパーウェルター級タイトル獲得した。同タイトルは4度防衛した後、1995年1月3日に王座陥落する。しかし、スペインスーパーウェルター級タイトルを獲得した後、1998年7月2日にEBUタイトルに再度挑戦し、12回TKOで勝利し、2度目の戴冠を果す。
[編集] メジャータイトル時代
地域タイトルを長く守った後の1999年1月29日にカスティリェホは2度目のメジャータイトル挑戦を行いキース・ムリングスを2-0判定で下しWBCスーパーウェルター級タイトルを獲得する。同タイトルは5度防衛したが、2001年6月23日にオスカー・デ・ラ・ホーヤの挑戦を受ける。このタイトルマッチはオスカー・デ・ラ・ホーヤの5階級制覇[1]を賭けた試合となり、どうしても試合前の注目度はデラホーヤに集中した。そして結果も圧倒的大差の判定で敗れ、王座も陥落し格好のデラホーヤの引き立て役になってしまった。
しかし、敗れた後2002年1月11日には空位のEBUヨーロッパ連合ミドル級タイトルを獲得し、同年7月12日にローマン・カルマジンを3-0判定で下し、WBCスーパーウェルター級暫定王者となる。同タイトルは1度防衛したあとに返上し、階級をミドル級にあげた。
既に30代後半になっており「カスティリェホのキャリアは終わり」と誰もが考えたが、彼は自分の経験を活かした新たなボクシングスタイルを身に付け、2006年7月15日にフェリックス・シュトルムとシュトルムの本拠地ドイツでタイトルマッチを行い、見事に10回TKOで勝利してWBAミドル級タイトルを獲得し2階級制覇を成し遂げた。
2006年12月2日の初防衛戦でアルゼンチンの新鋭、マリアノ・カレラに11回TKOで破れた。しかし、カレラがドーピング検査をパスできず、勝利を剥奪されたため辛くもチャンピオンベルトはカスティリェホの手元に残ることになった[2]。同タイトルは2007年4月28日に行われた前王者のフェリックス・シュトルムとの再戦で、12回3-0判定で敗れて奪取された。
[編集] 獲得タイトル
- 全スペインスーパーウェルター級・ミドル級王座
- EBUヨーロッパスーパーウェルター級王座
- EBUヨーロッパ連合ミドル級王座
- WBC世界スーパーウェルター級王座
- WBA世界ミドル級王座
[編集] 脚注
- ^ オスカー・デ・ラ・ホーヤは最終的に2004年6月5日にミドル級も制覇することにより、史上初の6階級制覇を成し遂げる。
- ^ インターナショナルヘラルドトリビューン 2007年2月23日より
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
前王者 キース・ムリングス |
第20代WBC世界スーパーウェルター級王者 |
次王者 |
前王者 |
第29代WBA世界ミドル級王者 |
次王者 |