ナックルボール
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ナックルボール (Knuckle ball) は、投手が投げた殆ど回転しないボールが、打者に届くまでの間に不規則に変化しながら(揺れながら)落ちてゆく変化球である。かつてはその名の通り手を『げんこつ』状にして投げていたため、この名前がついた。略してナックルともいう。
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[編集] 投法
ナックルボールの投法を確立したのは、1910年代のシカゴ・ホワイトソックスで活躍した、エディ・シーコット(Eddie Cicotte)であるとされる。基本的な投法は存在するが、投手により幅がある。基本の握りとして、手の甲を上にし親指と小指でボールを真横から挟み、残りの指を上から突き立てるものが普遍的で、ここではこの握りを3本指と呼ぶ。ボールを指から離す際に、手首を固定しボールに突き立てた指で弾き回転を殺しながら投げる。この球種は遅い球である必要があるため、また回転を安定させるため、下半身をあまりダイナミックにせずに、また大きく振りかぶらず投げる。
バリエーションとして、薬指を小指と共に寝かせ2本指を突き立てる2本指と呼ばれる握りや、全ての指を寝かせる握りもある。またボールを握る際に指を縫い目に付けるか離すかなど、投手によって様々な投法がある。
一般的に2本指では球速が速く、制球がしやすくなるが変化に乏しいと言われる。3本指のグリップでは大きな変化が期待できるが制球が難しくなるという特徴がある。
特殊な握りとして、阪神の渡辺亮投手などの2シームに中指と薬指を立てて人差し指を伸ばして握る握りもある。
[編集] 特徴
この変化球は打者はもちろん、受ける捕手や投げている投手本人ですら全く予想のつかない変化をする。そのため、投手には打者との駆け引きではなく一途にナックルボールを投げ込むいう精神状態が要求される。
時として現代の「魔球」と形容されることがある。ただしその変化は打席に立っていないと分かりにくく、たまに投げる牽制球の方がむしろ球速があるように見えるほど球速が遅い(100-110km/h前後)ため、テレビ等を通して見ている者にとってはただのスローボールのように見える。
また、ナックルボールは縫い目の凸部となだらかな皮の部分の空気抵抗差を利用して変化を操るため、表面の凹凸がはっきりした新しい硬式ボールほど大きい変化が期待できる。そのため全体的に表面に凹んだ模様に覆われ凹凸がはっきりと分かれていない軟式のボールでは投げることができないとされているが、実際には投げる投手はいる。
このボールにはいくつかの大きな欠点がある。まず変化が非常に微妙なために球場の地理的な影響(風向き・強さ、天候、湿度など)を受けやすく、常に安定して狙った位置に投げ入れるには非常に高い技術が要求されること。後述のような特殊な投法のために他の球種と混ぜて打者を幻惑できないこと。さらに弾道が通常の変化球などと異なり予測不能なため、キャッチャーは完全に捕球するまではボールから目を切れず、早めの送球体制も取れない。加えて球速の遅さも手伝い非常に盗塁を許しやすいことなどがある。そのため、ナックルボーラーは牽制球の技術にも長けていなければならない。
以上のような欠陥のために、その変化が打者に対して効果的であるにも関らず、投げる投手が非常に限定されており、一般に目にする機会は数ある変化球の中でも群を抜いて少ない。
[編集] 変化の原理
ナックルボールはほとんど回転がない球種であり、その回転はバッテリー間で1/4回転ほどが理想とされている。そのため、縦方向の平均的な変化に着目した場合、直球のようなマグヌス効果による揚力はほとんど働かず、下方向に落ちる変化球である。
一方で、ナックルボールはその回転数の少なさによりボールの回転エネルギーが少なく、投手の手から離れて捕手のミットに納まるまでの短い間に空気抵抗を受け回転方向が断続的に変化する。このため、回転による弱いマグヌス効果と縫い目の出っ張りが影響する大きな空気抵抗の双方が時間と共に変化し、打者の手元に届くまでに揺れるような変化を起こす。これらの理由により、打者が弾道を予測することを妨げる。
[編集] ナックルボーラー
ナックルボールは全力で腕を振らないフォームから投じられるため肩や肘にかかる負担が少ない。そのためナックルボーラーは総じて選手寿命が長く、40歳後半まで現役で活躍する選手も少なくない。
ナックルボーラーでない投手はリリースポイントを故意にばらつかせることで打者のタイミングを外す技術が普遍化しているのに対し、ナックルボーラーはリリースポイントを一定にしないと弾道が大きくばらつき、コントロールできなくなる。そのため、ナックルボールがもっとも普及している米国メジャーリーグでは、通常の投球スタイルを持つ投手がナックルを投げることはまれである。逆にナックルを投げるピッチャーはそれを多投することが多く、ナックルボールを習得し投げるということは、一般的にナックルボール以外の球種をほとんど投げなくなるという結果を生んでいる。その特殊な投球フォームのみならず、通常とは異なるナックルボールに適した爪の長さや強さを維持するため、あるいは後述の専用捕手の存在のために、ナックルボール以外の球種を投げる機会が減ることになる。
過去のメジャーではフィル・ニークロとその弟であるジョー・ニークロが典型的なナックルボーラーとして長い間活躍した。近年ではティム・ウェイクフィールドが代表的なナックルボーラーの一人として知られている。日本では巨人の前田幸長、元広島のジャレッド・フェルナンデスが有名。
- ※ニューヨーク・ヤンキースのマイク・ムッシーナ等が投げるナックル・カーブは名前や握りこそ似ているが全く別物の変化球である。ナックル・カーブを参照のこと。
[編集] ナックルボーラー専用捕手
ナックルボーラーが登板する場合は、ナックルボールの捕球が得意な捕手がバッテリーを組むことが多い。例を挙げると、ボストン・レッドソックスのティム・ウェイクフィールドが投げるときは、正捕手のジェイソン・バリテックではなく、決まってダグ・ミラベリがバッテリーを組んでいる。ミラベリがウェイクフィールドとバッテリーを組むときは野球用のキャッチャーミットを使わず、クッション量が少なく捕球面積が大きい女子ソフトボール用のミットを使っている(通称ピーチ・バスケット)。
[編集] ナックルボールに関するエピソード
- ロブ・マットソンやフィル・ニークロは60km/h台のナックルも披露した。
- 捕球の難しさを示す有名なエピソードに、1987年に記録されたテキサス・レンジャースのジーノ・ペトレリの1イニング4捕逸がある(ピッチャーはチャーリー・ハフ)。
- 2005年のシーズンオフ、ナックルボール専用捕手のミラベリがサンディエゴ・パドレスにトレードされたので、2006年開幕1ヶ月の間は、他の捕手がウェイクフィールドとバッテリーを組んだのだが、その間のウェイクフィールドの防御率は9.00を越えていたので、レッドソックスは急いでミラベリをトレードで復帰させた。
- アマチュア時代の上原浩治は国際試合に限定して使用していた。
[編集] 日本プロ野球における例
過去緩急差の見せ球として利用する投手は日本球界にも少なからず存在したものの、この球を本格的な決め球とした投手は皆無といえる。ナックルでストライクを狙って取ることができた投手や、ニークロ兄弟ほどの大きな変化をさせる投手は登場していない。
現役投手では前田幸長が唯一ナックルボールの握りを使いこなし実績を挙げている投手であるが、彼が放つ球は多少ランダム変化の加わるチェンジアップというほうが正しい(フォークが苦手なのでナックルの握りを代替として使い出したという)。
香月良太は柳川高校時代に投げていたが、決め球にするにはやや変化量・制球も弱く、また高校時代の最後の試合(対智弁和歌山)で試合中に指のまめを潰したこともあってか、社会人以降は封印した。2006年三木均もナックルをマスターしたといわれている。また、渡辺亮は、2006年の秋期キャンプから2007年の春期キャンプにかけてナックルボーラーを目指して練習を重ねていたが、実戦で主な武器として使用するには至っていない。
小宮山悟は80km/h台の球速でナックルのように揺れながら落ちるシェイクと言う球種を使う。シェイクは特異なフォームから投げることや揺れながら落ちるというところはナックルに似ているが握りは全く違う変化球である。
なお、外国人選手においては1998年に近鉄バファローズに入団したロブ・マットソンが130km/h代半ばの速球に110km/h程度のナックルボール、カーブ、60km/h台のスローボールなどを組み合わせ9勝を挙げたものの、翌年攻略され解雇されている。2007年、投球の6~7割がナックル、速球は120km/h前後というスタイルのジャレッド・フェルナンデスが広島東洋カープに入団したが、その年に解雇されている。
[編集] ナックルボールを投げる主な選手
[編集] 引退選手
- ホイト・ウィルヘルム(Hoyt Wilhelm)
- フィル・ニークロ(Phil Niekro)
- エディ・シーコット(Eddie Cicotte)
- ジョー・ニークロ(Joe Niekro)
- フレディ・フィッツシモンズ(Freddie Fitzsimmons)
- ジェシー・ヘインズ(Jesse Haines)
- チャーリー・ハフ(Charlie Hough)
- トム・キャンディオッティ(Tom Candiotti)
- スティーヴ・スパークス(Steve Sparks)
- 梶本隆夫(元阪急。現役最晩年に習得も実戦で披露しようと思った矢先に引退勧告を受ける)
- 渡辺省三(元阪神。時折投げていた超スローボール「省やんボール」はナックルだったと言われている)
- ジーン・バッキー (Gane Bacque、元阪神・近鉄)
- 猪俣隆(元阪神・中日)
- 廣田浩章(元巨人他)
- ロブ・マットソン(Rob Mattson、元近鉄)
- 河野博文(選手生活晩年の1996年のオフ、テレビの企画でドジャースのナックルボーラー、トム・キャンディオッティから習得し、それなりの完成度のものを披露していたが、使う機会には恵まれず)。
- 天保義夫(元阪急)
(元広島)
[編集] 現役選手
- ティム・ウェイクフィールド / Tim Wakefield(レッドソックス)
- チャーリー・ヒージャー / Charlie Haeger(ホワイトソックス)
- R A ディッキー / (マリナーズ)
- 前田幸長(巨人)(上記にもあるように彼のナックルは無回転ではなく、ナックルの握りでのチェンジアップであるとよく言われる。)
- 三木均(巨人)
- 青木勇人(広島)
- 渡辺亮(阪神)(実戦では未使用)
[編集] ナックルボールについての研究
福岡工業大学の溝田武人教授が、流体力学の研究の一環としてナックルボールを研究し、論文を発表している。
[編集] メディア
[編集] ゲーム
- 実況パワフルプロ野球に出てくる阿畑が『アバタボールXX号』(内容はナックル:XXは適当な数字)を投げる。ちなみにこのゲームで登場するナックルはランダムでカーブ、フォーク、シンカーのどれかの方向に変化するというものであったが、「13」からは揺れる球に設定変更した。
[編集] 漫画
漫画でナックルボールが出る時は、「ボールが増える」「ボールが分裂する」という表現が使われることが多い。
- ハロルド作石の「ストッパー毒島」では、外野手だったウェイク国吉がナックルボーラーとして再生、後半戦は先発ローテーションに入って活躍する。なお、名前からもわかるように、ティム・ウェイクフィールドがモデルである。
- 柳沢きみおの「男の自画像」では、36歳の元プロ野球選手である並木雄二がナックルボールをひっさげて球界に復帰し、活躍する。
- さだやす圭の「なんと孫六」の主人公である甲斐孫六のウイニングショット「孫六ボール」はナックルをベースにしており、それを独自にアレンジしたものだと思われる(俗にツーシームを駆使した高速ナックルとも呼び声が高い)。
- 満田拓也の「MAJOR」では、海堂高校の特待生である左投手、阿久津が歓迎試合で相手打者の佐藤寿也の策略にハマり、ナックルを多投し、スタミナと握力の限界の末、打ち込まれてしまうという描写がある。これによれば恐らく阿久津は正統派のナックルボーラーではなく、あくまでもナックルを得意球(決め球)の一つとしてみていると考えられる。ちなみに阿久津のように高校生の頃から普通、一定の握力がないと投げられないかなり難易度が高い変化球であるナックルを投げているのは現実空想関係なく、非常に稀な存在といえよう。
- ながとしやすなりの「ミラクルボール」では、勝者の会の福本左京がナックルボーラーである。左京は中学生であり、中学生でナックルボールを投げられるというのは現実世界では非常に稀な存在である。また、この作品は小学生向け雑誌のコロコロコミックで連載されているため、この作品によって小学生にもナックルボールの存在が知られるようになった。
- 水島新司の「ドカベン プロ野球編」では、西武ライオンズの犬飼知三郎が、オリジナルのナックル「ドックル」を使用する。捕手の山田太郎は初めその変化に捕球することができなかったが、目だけでボールを追って最後の変化の時にミットだけ出せばいいというのを考案し捕球することに成功する。
- 魔球KOBE (Dreams)
甲子園一回戦で、神戸翼成の生田が投げた得意球。通常のナックルでは考えられないスピードで変化する、高速ナックル。ナックルを投げるには強靭な指の力が必要とされるが、生田は140km/h以上のスピードで変化するこの球を体得するため、高速回転するバイクの後輪に板を当て、それを指で支えるという、狂気の特訓を課した。(結局9対6で負けたが)
[編集] 小説
- ポール・ロスワイラーの「赤毛のサウスポー」では史上初の女性メジャーリーガー、レッド・ウォーカーが活躍するが、彼女の決め球の一つがナックルボールである。