ジャレッド・フェルナンデス
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ジャレッド・フェルナンデス Jared Wade Fernandez |
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基本情報 | |
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出身地 | アメリカ合衆国ユタ州 |
生年月日 | 1972年2月2日(36歳) |
身長 体重 |
185cm 102kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1993年 (MLB) |
初出場 | 2007年4月8日 |
経歴 | |
■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手 |
ジャレッド・フェルナンデス([フルネーム:Jared Wade Fernandez(ジャレッド・ウェード・フェルナンデス)] 1972年2月2日 - )は、アメリカ合衆国ユタ州出身の広島東洋カープに所属していた元プロ野球選手である。
目次 |
[編集] 来歴
1993年、ボストン・レッドソックスに入団。シンシナティ・レッズ、ヒューストン・アストロズ、ミルウォーキー・ブルワーズに所属。 2007年に広島に入団。日本球界では珍しい本格的ナックルボーラーで、投球の大半(75%以上ともいわれる)においてナックルボールを使用する「ナックルの伝道師」。ブラウン監督は主に先発としての起用を考えていたが、ナックルボールは肩の疲労が少ない球種であるため、中1日でのロングリリーフも可能で、投手陣が疲弊しやすいカープにとっては貴重な存在であった。
2007年4月8日の東京ヤクルトスワローズ戦で来日初登板初先発を果たすが、5回途中10失点でKO。デビュー戦は乱調に終わった。しかし、4月28日の阪神タイガース戦ではKOされた長谷川昌幸の後を投げ4回無失点。天谷宗一郎の逆転本塁打もあり日本球界での初勝利を挙げた。5月4日の阪神戦(阪神甲子園球場)でも先発し2勝目をあげたが、この試合で本塁ベースカバーに入ろうとした際にふくらはぎを負傷した。
復帰戦は、5月26日交流戦での対ソフトバンク戦。3勝目はならなかったが、下記の通り来日前から憧れていた王貞治監督の前で好投した。その後年間を通じ一軍で投げたが、不安定な起用法の為か良績は残せなかった。
2007年11月23日に、球団が来季の契約を結ばないことを明らかにした。
[編集] 略歴
[編集] 経歴
[編集] 年度別投手成績
年度 | チーム | 背 番 号 |
登 板 |
完 投 |
交 代 完 了 |
先 発 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
勝 率 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007年 | 広島 | 48 | 30 | 0 | 4 | 11 | 0 | 0 | 3 | 8 | 0 | .273 | 92.1 | 117 | 16 | 34 | 1 | 33 | 0 | 2 | 68 | 62 | 6.04 |
通算成績 | 30 | 0 | 4 | 11 | 0 | 0 | 3 | 8 | 0 | .273 | 92.1 | 117 | 16 | 34 | 1 | 33 | 0 | 2 | 68 | 62 | 6.04 |
[編集] エピソード
- ナックルは不規則な変化をするため、捕手も捕球が難しく、通算暴投は122もある。しかし2007年は30試合、92,1/3回を投げて暴投は0だった。
- 1996年は現中日ドラゴンズのタイロン・ウッズと、1998年は元阪神タイガースのアンディ・シーツとチームメイトだった。
- レッドソックス時代には大家友和とチームメイトで、友人だった。
- マイナー時代のオフに、米トイザラスで自転車組み立てのバイトをしていたことがある。
- 東国原英夫宮崎県知事が2007年の春季キャンプを訪れた際、アメリカでも「風雲!たけし城」が放送されていたため、同知事を知っていたことを明かした。
- ナックルボールは100km/h前後しか球速が出ない上、ストレートの球速も110km/h台後半とかなり遅いので、他球団からは盗塁しやすいと分析されている(実際オープン戦で楽天相手に1試合6盗塁されたこともある)が、本人は「牽制は得意だよ!去年(2006年)は17回牽制でアウトにした」と言っている(実際に初戦の東京ヤクルト戦では青木宣親を、2度目の登板となった横浜ベイスターズ戦では仁志敏久をそれぞれ牽制で刺している)。
- ナックルボールはボールの指へのかかり具合が非常に重要であるため、気温の低い日や雨の日、それに風は苦手な様である。
- 6月14日のロッテ戦では千葉マリンスタジアム特有の強風に翻弄され6失点を献上し1イニングで降板した。福岡ドームは無風多湿で投げやすいらしく、復帰した5月26日のソフトバンク戦もヤフードームでの試合だった。本拠地の広島市民球場や横浜スタジアムで安定し、風の強いはずの甲子園のマウンドでも好成績をマークしている一方、残りのセリーグ3本拠地は大の鬼門。いずれも防御率二桁と打ち込まれている。
- 非常に研究熱心で、自身で分析したことを「マル秘ノート」なる物に書き記している。
- 王貞治を尊敬しているらしく、2007年の交流戦時に王の元を訪れ、王の自伝にサインを貰ってご機嫌だったという。
- 来日前、日本で会いたいと思っていた人は、上記の王貞治監督、そのまんま東(東国原宮崎県知事)、そして千葉真一とのこと。すでに前者二人には会っており、残るは千葉真一のみである。
- 故障による二軍落ちの際、酷く落ち込んでいたらしいのだが、二軍の環境(瀬戸内海沿いの大野練習場、二軍専用の由宇野球場)に感動して一気に機嫌がよくなったそうである。