トム・ボーネン
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トム・ボーネン(Tom Boonen、1980年10月15日 - )は、ベルギーのアントウェルペン州・モル出身の自転車プロロードレース選手。2002年プロデビュー。192cm・82kgという体格を活かした力強いスプリントスタイルと圧倒的な実力から「トルネード・トム (Tornado Tom)」という愛称をつけられている。
2005年世界選手権優勝や2005~2006年ロンド・ファン・フラーンデレン優勝を果たすなどクラシックを中心としたワンデイレースで活躍するほか、2007年ツール・ド・フランスでもポイント賞を獲得するなどの成績を残しているスプリンター。
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[編集] 経歴
17歳の時に本格的にロードレースを始め、ベルギーのアマチュアチャンピオンになるなど数々の記録を打ちたてた後、2002年にプロデビュー。パリ〜ルーベでいきなり3位に入り、ヨハン・ムセウの後継者として注目を集めはじめる。そして、USポスタルでは十分な機会が与えられないことを不満に思い、新しく発足したクイックステップへと移籍。
2003年からは、ムセウの指導を受けつつ、ロンド・ファン・フラーンデレンなどベルギーで開催されるクラシックでの勝利を目指すことになった。しかし、この年は体調不良や怪我によって目立った成績をあげることなく終わる。
だが翌2004年にヘント~ウェヴェルヘムで優勝。ツール・ド・フランスでも2勝して、シーズン22勝。ついにスプリンターとしての才能が開花する。
2005年にはベルギーの選手がもっとも欲するタイトルであるロンド・ファン・フラーンデレンとクラシックの女王であるパリ〜ルーベの両方を制し、同年よりスタートしたUCIプロツアーではランキング2位に食い込んだ。さらにはツール・ド・フランスで2勝、加えて世界選手権ではベルギー人として1996年のヨハン・ムセウ以来の優勝を果たしてマイヨ・アルカンシエルを獲得、という大活躍を見せた。
2006年はシーズン開幕前のツアー・オブ・カタールで5ステージ中4勝を奪う破竹の勢いを見せ、ロンド・ファン・フラーンデレンも二年連続で制した。さらにツール・ド・フランスでは3~6ステージに渡ってマイヨ・ジョーヌを着る栄誉に浴したが、目標だったステージ優勝は果たせなかった。しかしその後のエネコ・ツアーではステージ3勝をあげた。
2007年は、シーズン前半のクラシックシーズンは目立った成績を残せなかったが、ツール・ド・フランスではステージ2勝をあげ、ポイント賞のマイヨ・ヴェールを初めて獲得する活躍を見せた。
2008年もツアー・オブ・カリフォルニアのステージ優勝やパリ~ルーベで2回目の優勝を飾るなど春先から活躍を見せ、5月末のツアー・オブ・ベルギーでも最終ステージで勝利を収めた。しかしレース開幕2日前の5月25日に行なわれていたドーピング検査で、コカインの陽性反応が出てしまう。この検査はレース外ドーピング検査だったためUCIなどから処分を受けることにはならなかったが、この結果を受けてツール・ド・スイスからは出場を拒否され、さらにツール・ド・フランスを主催するASOからも2008年の大会への出場禁止通知を受けた。
この騒動に対してボーネンおよびチームは6月11日に会見を開いて謝罪。コカイン摂取の有無には触れなかったが、当面レースへの出場を見合わせることを発表した。
[編集] 人物
これまでの実績に加え、野性味と純粋さを併せ持った魅力的な容姿から熱狂的なファンが多く、「ベルギーのアイドル」といわれることもある。世界選手権を制した2005年にはベルギーを代表するアスリートとして数々の賞を受けた。現在はベルギーにいてプレッシャーを受けるのを嫌い、2005年末からモナコへと移住している。
趣味はマウンテンバイク、冬のトレーニングはシクロクロスで、という筋金入りの自転車好き。またコーラが好物のようで、レース中によく飲んでいる光景が見られる。愛用のヘルメットは、ベルギー王国から贈られたもの。ダイヤモンド+名前が刻まれた純金プレートつきで、時価100万円相当の品である(パオロ・ベッティーニらも使用)。
2006年9月には、ランボルギーニ・ムルシエラゴを購入したことが大きく報道された(中古だがそれでも4800万円)。その2ヵ月後、恋人だったローレ・ヴァンドヴェイエルとの破局を発表した。更にその5箇月後、ドライブ中に猫の飛び出しが原因で路肩に衝突し、愛車のランボルギーニが大破。事故現場に散らばった破片は一般人によって拾い上げられ、eBayベルギーに出品された。出品された破片には23件の入札がつき、125ユーロで落札された[要出典]。
[編集] 所属チーム
- 2002年 USポスタル
- 2003年- クイックステップ(2003~2004年QuickStep・Davitamon、2005年QuickStep、2006~2007年QuickStep・Innergetic、2008年QuickStep)
[編集] 主な成績
獲得メダル | ||
---|---|---|
金 | 2005 マドリード | 個人ロードレース |
[編集] グランツール
- ツール・ド・フランス通算6勝
※ ( ) 内はステージ勝利数
[編集] ステージレース
- 2005年 パリ~ニース2勝
- 2006年 パリ~ニース3勝、エネコ・ツアー3勝
[編集] ワンデイレース
- 世界選手権優勝(2005年)
- 2004年 ヘント~ウェヴェルヘム優勝
- 2005年 パリ~ルーベ、ロンド・ファン・フラーンデレン優勝
- 2006年 ロンド・ファン・フラーンデレン優勝
- 2008年 パリ~ルーベ優勝
[編集] 外部リンク
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