スラヴ人
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スラヴ (Слав, Slav) とは中欧、東欧に居住する民族の大きなカテゴリーで、ポーランド人・チェコ人・セルビア人・クロアチア人・ブルガリア人・ウクライナ人・ベラルーシ人・ロシア人などを含んだ観念であり、言語の共通性が何よりのアイデンティティであり、スラヴ語によって特徴付けられる。
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[編集] 歴史
古代にはゲルマン人に次ぐ民族大移動の一部をなして東部ウクライナから東部ヨーロッパ全域に拡張した。スラヴ全体に関する様々な学問をスラヴ学と言う。なおスラヴ人は他のヨーロッパと同様に、戦争の捕虜は奴隷とされたため、英語で”スレイヴ”(奴隷)と言う不名誉なレッテルで語られることも多いが、しかし本来のスラヴ語の「スラヴ」の意味は、偉大さや栄光を意味するもの(スラブ語: славаスラーヴァ)であり、スラヴ人は奴隷という先入観も、西欧人の誤解や蔑称から来ているのである。これは、「スラヴ」がギリシア語に入ったときに「奴隷」の意味となり(他の民族もそうであるが、スラヴ人も戦争などで捕らえられると奴隷として扱われたためであろう。この時期、捕虜はどの国でも奴隷であり、戦利品に過ぎなかった)、ギリシアの文化を受け継いだローマ帝国のラテン語から西欧諸言語に広まったと考えられる。現在もスラブ人の名前にアレクサンドル(アレクサンダー)とかロマン(ローマ人の)といったものがあり、東ローマ帝国とキーフルーシ(現在のウクライナ)との戦争における奴隷のなごりではとも考えられる。
[編集] 政治・文化
スラヴ全体の共通性を強調する態度は汎スラヴ主義と呼ばれ、国民楽派・第一次世界大戦と民族国家・旧東欧の概念などの重要なアイデンティティともなったが、ロシア・ポーランド関係、旧ユーゴスラヴィアなどのように血を流し合って対立する矛盾した面を持っている。
[編集] 人種
スラブ人の多くはコーカソイド人種に分類される。移住先で在来の住民と混交し(特にトルコの支配を受けた南スラヴ人は「バルカン型」などと呼ばれた)、また個性的なその国・土地独特の風貌も見られる。また、スロヴェニア人・クロアチア人・ブルガリア人(ブルガール人)は古代の民族形成において指導層が非スラヴ人であったものが、多数派のスラヴ系に同化された。ロシアも語源はいくつか説はあるが、現代のウクライナの首都、キエフを中心としたキエフ・ルーシ(キーフルーシ大公国)の国号からとられたとも言われている。なお、ルーシのギリシャ語読みがロシアである。本来、地理的にキーフルーシを次ぐウクライナがルーシ(ロシア)の名を引き継ぐべきところ、小国であったモスクワ公国(キーフルーシの一構成国でのちにロシア帝国となる)に先を越された感がある。
[編集] 主なスラヴ民族
[編集] 関連項目
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東スラブ人 | ウーリチ族・ヴォルィーニャネ族・ヴァーティチ族・クリーヴィチ族・スロヴェーネ族・白クロアチア族・セヴェリャーネ族・ティーヴェルツィ族・デレヴリャーネ族・ドレゴーヴィチ族・ドゥリーブィ族・ブジャーネ族・ポロチャーネ族・ポリャーネ族・ラディーミチ族 |
西スラブ人 | ウクラーヌィ族・ヴァーグル族・ヴィスリャーネ族・カシューブ族・グリニャーネ族・スモリーンツィ族・ズリチャーネ族・ズロヴィーンツィ族・ドレヴァーネ族・ポラーブ族・ポモリャーネ族・ポリャーネ族・ボールディチ族・モラヴァーネ族・ラタリ族・リューティチ族・ルジチャーネ族・ルヤーネ族 |
南スラブ人 | ヴェルジート族・サグダート族・ザムフリャーネ族・ストルミャーネ族・スモリャーネ族・ティモチャーネ族・ドラゴヴィート族 |