スチュ・ハート
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スチュ・ハート(Stewart Edward (Stu) Hart、1915年5月3日 - 2003年10月16日)は、カナダのプロレスラー、トレーナー、プロレスプロモーター。ハート道場から数多くの門下生をプロレス界に輩出し、また子供達が皆プロレスに関わっていることで知られ、ハート一族をプロレスの名門に育て上げた人物である。
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[編集] 経歴
サスカチュワン州サスカトゥーン出身。エドモントン・エスキモーズにも所属したアメリカンフットボール選手でもあったが、アマチュアレスリングの素質も高く、1939年にはカナダ・ナショナル選手権で優勝しオリンピック代表にも選ばれたことがある。しかし第二次世界大戦により1940年、1944年のオリンピックは中止、海軍に入隊し選手生活を続けていたが出場することは叶わなかった。
第二次世界大戦後、1946年にニューヨークでプロレスラーとして活動を始める。現役時代のスタイルはアマレスの経験に基づく関節技の達人で、俗に「シューター」と呼ばれるような実戦派レスラーだったと言われる。アメリカ各地を巡業後、1951年に帰国しアルバータ州カルガリーにプロレス団体クロンダイク・レスリング(後のスタンピード・レスリング)を立ち上げ、プロモーターとしての活動を開始した。またハート家の地下に造られた道場「ダンジョン」(地下牢の意)でホームステイさせている数々のレスラー志望者をトレーニングし、この中には世界規模のスーパースターになった者も少なくない。この団体はスチュの門下生の他に、日本やイギリスなど各地から選手を招聘して人気を高めカナダで一大勢力を誇るようになる。
1960年にレスラー引退後もプロモーター業は1984年にスタンピード・レスリングをWWF(現WWE)に売却するまで続けた。「ダンジョン」での新人訓練は1992年、77歳で引退している。2001年にはカナダ勲章を授与されている。
[編集] ハート一家
ヘレン・ハートとの間に生まれた8人の息子は皆プロレスラーとなり、スタンピード・レスリングや売却先のWWFに次々と登場した。また4人の娘達もスタンピード・レスリングの訓練施設であるハート道場のレスラーや、団体に参戦したレスラーと結婚した。スチュの孫もまたレスラーになっている者も多い。
以下は、スチュの家族である。
- スミス・ハート : 元プロレスラー
- ブルース・ハート : 元プロレスラー
- キース・ハート : 元プロレスラー
- ウェイン・ハート : 元プロレスラー
- ディーン・ハート : 元プロレスラー
- エリー・ハート : ジム・ナイドハートと結婚
- ナタリー・ナイドハート : エリーの娘、プロレスラー
- ジョージア・ハート : B.J.アニスと結婚
- テディー・ハート : ジョージアの息子、プロレスラー
- ブレット・ハート : 元プロレスラー
- アリソン・ハート : ベン・バサラブと結婚
- ロス・ハート : 元プロレスラー
- ダイアナ・ハート : デイビーボーイ・スミスと結婚
- ハーリー・スミス : ダイアナの息子、プロレスラー
- オーエン・ハート : 元プロレスラー
[編集] ハート道場に関わった人物
[編集] ハート道場出身のレスラー
- ジン・キニスキー
- フリッツ・フォン・エリック
- ウィルバー・スナイダー
- ジョー・ブランチャード
- スーパースター・ビリー・グラハム
- クリス・ベノワ
- ブライアン・ピルマン
- ジャスティン・クレディブル
- クリス・ジェリコ
- ランス・ストーム
[編集] 日本から遠征したレスラー
[編集] その他
- ダイナマイト・キッド(無名時代にイギリス遠征中だったブルース・ハートに見出される)
- ジェシー・ベンチュラ(ブレットによれば「ダンジョン」の名付け親とされる)