クリス・ジェリコ
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クリス・ジェリコ | |
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プロフィール | |
リングネーム | クリス・ジェリコ ライオン・ハート ライオン道 スーパー・ライガー コラソン・デ・レオン |
本名 | クリス・アーヴァイン |
ニックネーム | Y2J 世界の王 |
身長 | 178cm |
体重 | 102kg |
誕生日 | 1970年11月9日(37歳) |
出身地 | ニューヨーク州 |
トレーナー | キース・ハート |
デビュー | 1990年 |
クリス・ジェリコ(Chris Jericho、1970年11月9日 - )は、カナダのプロレスラー、ミュージシャン、俳優。本名はクリストファー・キース・アーヴァイン(Christopher Keith Irvine)。
目次 |
[編集] 人物
プロレスラーとしてはかつて新日本プロレス、WWEに所属している。ニューヨーク州マンハセット生まれでカナダで育つ。父のテッドは元NHLの選手。ニックネームはY2K問題にかけたY2J。リングネームはメキシコ時代のコラソ・デ・レオン、ライオンハート、スーパーライガーなど。自称「世界の王(King of The World)」、「ハデハデの王(King of Bling Bling)」、「ロックンローラーの教祖(Ayatollah of Rock'n Rolla)」。
ヘヴィメタルバンド「FOZZY」のヴォーカルを務め、すでにアルバムを3枚出している。3枚目のアルバム発表時まではFOZZYではムーングース・マックイーン(Moongouse McQueen)を名乗っていた。
かつてWWEのトップヒールだったが、若い頃は金髪と女性ウケのいい甘いマスクのせいで「パっとしないベビーフェイス」に甘んじることが多かった。伝統的なアメリカンプロレスの小悪党的なヒール像(ハンサムで技巧派でアピールが上手い、そして反則を巧みに使って王座を防衛していくといったもの)を独自にアレンジし最終的にはヒール、ベビーフェイスにも当てはまらない独自のポジションを築く。たゆまぬ努力と研究の結果、独自のスタイルを確立したことがクリス・ジェリコを団体の頂点へと押し上げた原動力である。また、ことさらパフォーマンスとハンサムなルックスが話題になりがちな感のあるジェリコだが、メキシコや日本で修行した実力は世界的に見てもトップクラスで、硬軟自在のレスリングスキルとキレの良い技の展開、そしてきびきびした試合運びは目の肥えたファンをも唸らせる。WWE所属時は主役の一人といえる存在であった。
若手の頃は日本を主戦場としていたこともあり、『週刊ゴング』を愛読し、流暢な日本語を話すことや片仮名の読み書きができるなど親日家であり、WWEの日本公演時はたいていの場合出場している。
日本に来日する度に海外だけではなく日本のヘヴィメタルバンドのCDを買い漁ることでも有名。特に好きなバンドはLOUDNESSとX JAPAN。過去にBURRN!のインタビューも受けたことがある(クリス・ジェリコ名義で)。
[編集] 経歴
1990年カナダのインディ団体でプロデビューするが、すぐに団体自体が経営に行き詰まったため、ジェリコも団体を離れ、メキシコなどで修行する。1991年には、タッグチーム「サドン・インパクト(この後スリル・シーカーズに改称)」でFMWに初来日(尚この時の相棒はデビュー戦の相手でもあり、元WWEトレーナーのランス・ストーム)。この時、まだ素顔だったハヤブサとも対戦している。
その後もアメリカ本土やメキシコなどで活躍するが、1993年にはWARにレギュラー参戦し、リングネームを一時的に「ライオン道」と改める(ちなみにこの頃の冬木軍は冬木弘道はじめ、邪道、外道とリングネームに「道」が付くことが当然になっていた)。
1995年には邪道、外道と共に「消火器三連射」の伝説を築き、また6月には外道を破ってWARジュニアヘビーのタイトルを奪取するなど、名実共にWARの名物外国人となった。
1996年に再びアメリカに戻り、ECWを経てWCWに参戦し、エディ・ゲレロ、レイ・ミステリオ、クリス・ベノワ、ウルティモ・ドラゴンらとWCWクルーザータイトルを争い、通算4度タイトルに輝く。1998年にWCWと提携関係にあった新日本プロレスに遠征した際にはゲレロとのコンビでIWGPジュニアタッグ王座の初挑戦者も務めている。
WCWのヘビー級重視の団体の方針に反発し、1999年にWWEに入団。いきなり同団体のスーパースター、ザ・ロックとの抗争を組まれる破格の扱いを受ける。ここでクリス・ジェリコはようやくヒールとしての才能を開花させ人気を獲得し、次々とWWEの主要タイトルを獲得していく。
2001年10月に、ザ・ロックを破りWCWヘビー級王座を奪取。さらに12月にはストーン・コールド・スティーブ・オースチンを破りWWF世界ヘビー級王座を獲得。史上初のWWE&WCW統一世界王者となり、名実ともに業界のトップへと上り詰めた。2002年のレッスルマニア18ではメインイベントに出場という快挙を成し遂げる。統一王座からは転落するもトップヒールのポジションは確保し、翌年のレッスルマニア19では若手時代からの憧れだったというショーン・マイケルズと対戦、名勝負を残した。
2003年からハイライトリールなる自分のトークコーナーを持つ。また同年秋から半年以上続いたトリッシュ・ストラタス、クリスチャンとの古典的な恋愛劇はその関係性が話題となった。二人との抗争が終了した2004年夏からは若手のバティスタ、シェルトン・ベンジャミンといったまだ世界王座を手にしていないレスラー達と抗争をしポジションの格上げを手伝う。
2005年になって、またヒールとなり2005年8月のサマースラムでジョン・シナとWWE王座戦を行った。双方ともバンド活動を行なっていることから、対戦を盛り上げるためにRawにおいてバンド対決も行なわれた。
しかし、サマー・スラムではシナに敗れ、その翌日にエリック・ビショフに敗者解雇戦を条件に再戦を直訴して認めてもらうもその試合でもシナに敗れ、ビショフから解雇通告を受けてしまった(音楽・俳優活動のためだが、解雇されたという設定になっている)。
2007年には、クリス・ベノワが死去した際、ゲストとして『ラリー・キング・ライブ』や他のニュース番組に出演する。また10月25日には自伝を発売、宣伝のため精力的にインタビューなどのメディア出演をこなしていた。また、同じ頃に、11月19日という日付が示唆された、映画マトリックス風の黒地に白い文字が現れる意味不明な映像がWWEのTV放送で流されはじめた。この映像は通称「SAVE_US」と呼ばれファンの間では早くからジェリコ(もしくは当時オートンによる脳震盪を患うアングルで休暇中だったショーン・マイケルズ)の復活であると噂さていた。11月18日のサバイバー・シリーズで「明日何かが起こる」というビデオが流れ、翌日のRAWで復帰を果たした。ここに至るまで、本人はインタビュー等の際にはWWEとの再契約はしていないと嘘を答えていた。12月16日アルマゲドンでランディ・オートンとWWE王座戦を行うが、JBLの乱入にあい抗争がスタートする。
2008年ロイヤルランブルにてJBLと対戦し反則負けを喫する。ノー・ウェイ・アウト以後3月10日のRAWにて自身8回目となるIC王座を奪取する
[編集] 必殺技
- ウォールズ・オブ・ジェリコ
- いわゆる逆エビ固め。普通の逆エビ固めは腰を落とすが、この技は幾分腰を浮かし気味にする。名前の由来はヘブライ聖書内に登場するエリコの壁だと思われがちだが直接影響したのはドイツのバンドHELLOWEENのデビューアルバム"Walls of Jericho"から。WCW在籍時まではライオンテイマーという名称だった。
- ライオンサルト
- リングの中央に仰向けに寝かせた相手を走って飛び越え、そのままセカンドロープに足をかけてムーンサルトプレスを行う技。ヒールターン以降は失敗するのがお約束となっている。
- ブレイクダウン
- フルネルソンフェイスバスター(フルネルソンの体勢から、ジェフジャレットのストロークのモーションで前に倒す技)
- フラッシュバック
- スリーパードロップ。以上二つの技は現在はあまり使用していない。
- ランニング・エンズイギリ
- 後期の試合では決め技にすることも多かった。
- 三角飛びドロップキック
- 主に、相手が場外よりエプロンに上ったときにやる。
- コードブレイカー
- 自分の膝を使ってのフェイスバスター。(カリートのバックスタバーを、相手の背中ではなく顔面に元ハリケーンのグレゴリー・ヘルムズが片足で行う技。)2007年復帰時から使用開始。プロレスリングNOAHの丸藤正道の技からヒントを得たとコメントしている。ちなみに丸藤のは相手の胸元でやる。
[編集] 決め台詞
- Welcome to RAW is JERICHO(「RAW is ジェリコ」へようこそ)
- 番組名(当時:RAW is WAR)に引っ掛けたもので、WCW時代はMONDAY NIGHT JERICHOだった。
- I am the King of the world(俺様こそが世界の王だ)
- Never,ever(絶対に、永遠に) everの「エ」を長く伸ばしてタメを作る。
[編集] タイトル履歴
- WWE
- WWE統一王座(現[WWE王座]) : 1回(初代王者)
- WCW王座 2回
- IC王座 : 8回(史上最多)
- ヨーロピアン王座 : 1回
- WWE世界タッグ王座 : 3回(&クリス・ベノワ、ザ・ロック、クリスチャン)
- WCW
- WCWクルーザー級王座 : 5回
[編集] その他
- 2001年のWWE王座獲得により、WWE史上3人目のグランドスラムを達成。
- 少年時代に憧れたアイドル選手はリッキー・スティムボート。レスラーになってからも最大の目標はリッキーが保持していたIC王座の獲得で、初代統一王者となったことは「自分の想像力の限界を超えた出来事」だったという。