NHL
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NHL(日本語:ナショナル・ホッケー・リーグ、英語:National Hockey League、フランス語:Ligue Nationale de Hockey(LNH))は、北米のプロアイスホッケーリーグである。一般的には、世界のプロホッケーリーグ界において最高峰に位置づけられる。また、北米においては、野球のMLB、アメリカンフットボールのNFL、バスケットボールのNBAと並んで、4大メジャースポーツリーグの一つに数えられる(ただし、NHLを加えることについては、賛否がある)。
目次 |
[編集] リーグの概要
所属チームは2004-2005シーズン現在、アメリカ24、カナダ6の計30チームあり、イースタン、ウエスタンの2つのカンファレンスに15チームずつを振り分け、更に各カンファレンスは5チームずつの3ディビジョンに分かれている。
レギュラーシーズンは10月初旬から翌年4月上旬にかけて各チームにつき82試合(ホーム41試合、アウェイ41試合)が行われる。試合は、同ディビジョンの間の試合ではそれぞれ8試合、同カンファレンス他ディビジョンのチームとは4試合、残りの10試合を他カンファレンスとの間で行う。また、他カンファレンスのチームのフランチャイズで試合をするのは3年に1回になった。NFLやメジャーリーグなど他のアメリカのプロスポーツリーグと同じく、ディビジョン間、カンファレンス間の交流試合もある。
試合時間は20分×3ピリオドの計60分。60分終了で同点の場合は5分間の延長戦(サドンデス=ゴールデンゴール(Vゴール)方式)を行うが、この場合フィールドプレーヤーは各チーム1人ずつ減って4人同士となる。2005-2006シーズンからは、延長戦の引分けがなくなり、代わりにシュートアウト(shootout)方式が導入された。このシュートアウトでは各チーム3人の選手が1人ずつ相手ゴーリーに1対1で対峙しフリーショットの成功数を競う(3人までで同点の場合はサドンデス方式で他の選手がフリーショットに登場する)。試合の結果、勝ちチーム(延長戦及びシュートアウト含む)に勝ち点2、60分での負け0、延長戦及びシュートアウトの負けに1が与えられる。
各カンファレンス(15チーム間)の勝ち点上位8チームがプレーオフに進出する。プレーオフ1回戦は各カンファレンスの「1位vs8位」「2位vs7位」「3位vs6位」「4位vs5位」のたすきがけ方式となっており、それぞれ7戦4勝制で試合を行う(もっとも、1938年以前には5戦3勝制、3戦2勝制が採用されたこともあった)。1~3位は各ディビジョンチャンピオンチームで勝ち点の多いチームから順位がつけられ、勝ち点が多くてもディビジョン2位以下のチームが2位、3位になることはない。上位チームは通常ホームゲーム・アドバンテージとしてそれぞれの試合の1、2、5、7戦の主催権利を持つ(相手チームは3、4、6戦。4勝して次のステップを勝ち上がる場合もホームゲーム・アドバンテージは同じ。例外として上位チームが1、2、6、7戦の主催権利を持つ場合もあるが極めて希)。プレーオフでは引き分け無しの完全決着で、同点の場合は15分の休憩後、20分の延長戦を勝敗が決するまで繰り返し行う。
両カンファレンスの優勝チームによってNHLの頂点を決める「スタンレー・カップ・ファイナル」がおこなわれる。
[編集] 歴史
[編集] 創設期、NHAからNHLへ
NHLは、先行して存在したカナダ・ナショナル・ホッケー協会 (NHA) における幾度とない論争を経て、1917年に設立された。この論争の目玉となったのは、トロント・ブルーシャツの所有者エドワード・J・リビングストンであった。彼は同じNHAのオーナー仲間から、不公平な有利さをもたらすと思われるリーグ規則を作るよう働きかけ、その抜け穴を利己的に利用するような動きを行っていると常々非難されていた。
ブルーシャツがその有力選手を引き抜かれたため、リビングストンは自己がトロントに所有していた2チーム (オンタリオズとブルーシャツ) を合併させたが、特にこのことが他チームのオーナーの怒りに油を注ぐこととなった。また、リビングストンは他チームの選手に「試合に出ないこと」を条件とする契約を提示したり、ワンダラーズ (the Wanderers) がブルーシャツの有力2選手の引き抜きにかかったときにはワンダラーズをリーグから追放するキャンペーンを張った。
このような他のオーナーとのいざこざの中で、リビングストンは繰り返しアメリカで既存リーグと対抗するリーグを始めるとの威嚇を行った。
1916年 - 1917年のシーズンにおいては、NHAは次の6チームから構成されていた。
- NHA構成チーム
- モントリオール・カナディアンズ (Montreal Canadiens)
- モントリオール・ワンダラーズ (Montreal Wanderers)
- オタワ・セネターズ (Ottawa Senators)
- ケベック・ブルドックス (Quebec Bulldogs)
- トロント・ブルーシャツ (Toronto Blueshirts)
- トロント駐留陸軍第228歩兵大隊 (an army team from the Toronto-based 228th Battalion)
当時最も人気が高かった陸軍第228歩兵大隊のチームが第一次世界大戦により召集を受けた翌日の1917年2月11日に、オーナー達はリーグの将来について検討するためモントリオールに会同した。リビングストンは病のため参加できなかったのであるが、他のオーナー達が彼とブルーシャツをNHAから事実上追放する道を選んだことを知ると驚きを隠せなかった。
リビングストンはNHA会長を辞しフランク・ロビンソンと連携関係を結んでから、自らリーグの会合には出席せず弁護士に利権を代弁させるようになった。1917年9月29日に招集されたオーナー会議では、他のオーナー達は5日以内にブルーシャツを売却するようリビングストンに迫った。
このためリビングストンは、トロント・アリーナ・ガーデンズがブルーシャツの日常業務を執行するという、実質的にはNHAを存続させるためにはリビングストンの権限を復活させる旨の条件を提示し交渉に望んだ。
これに呼応する形でNHAの他のオーナー達は、1917年11月26日にモントリオールのウインザーホテルにて会同し、既存のカナディアンズ、ワンダラーズ、セネターズ及びブルドッグスに新たにトロント・アリーナズを加えた各チームを創立メンバーとしてNHLを誕生させた。
- NHL発足時の構成チーム
- モントリオール・カナディアンズ
- トロント・ブルーシャツ
- オタワ・セネターズ
- モントリオール・ワンダラーズ
- ケベック・ブルドックス
1918年のリーグ発足年度において、NHLはブルドッグスの一時的なチーム閉鎖などに見舞われる前途多難なスタートを切った(なお、ブルドックスは4年目から本拠地をハミルトンに移転した)。また同年1月2日に、ワンダラーズ及びカナディアンズの本拠地であるモントリオールのウェストマウント・アリーナが火災で焼失した。ワンダラーズは当時既に陰りを見せ始めていたが火災の発生によりチーム解散に至り、カナダにおける初期プロホッケーチームのなかでも最も歴史あるチームはここに幕を閉じた。
ブルドッグスとワンダラーズの不在によって、NHLは発足年の第2ハーフ及び2年目を残り3チームで運営した。リビングストンはリーグから締め出されたものの、彼がNHAに対して提案した通常シーズンの分割案は新リーグにおいて採用されプレイオフ制度としてまとめられた。NHLのスタンリーカップ(1894年以後カナダの通年ホッケーチャンピオンに与えられる賞)の初代優勝チームはトロント・アリーナズであった。
しかしながら、気性の激しいリビングストンはアリーナズから上がった収益の分け前に与ろうとして失敗に終わると、チームとNHLを訴えた。この紛争は1930年代までだらだらと続き、結局アリーナズはトロント・メープルリーフスと改名するに至った。リビングストンとNHLの生成の歴史を振り返ってみるといささかの皮肉がある。リーグの他のオーナー達を排除することに熱心だった男が、カナディアンズオーナーのジョージ・ケネディの弁を借りれば、実は「NHLを真のリーグとする」のに貢献したのに等しいのである。
発足後10年間、リーグ自体は事業を軌道に乗せるのに四苦八苦していた一方で、氷上ではNHLの各チームはかなりの成功を収めており、スタンレーカップにおいては最初の9年間で7度の優勝を達成している。(なお、1919年は、シアトルで猛威を振るったスペイン風邪により競技は中止。)
1926年になると、NHLの選手の平均年俸が他のカナダのリーグと比較して著しく高騰したために、NHL加盟チームのみがスタンレーカップに出場することになった。また、NHLはアメリカ合衆国へも拡大をみせ、1926年から1931年までにチーム数が10まで増加した。ところが、1929年の世界恐慌によりNHLは大きな痛手を被ることになった。例えば、ピッツバーグ・パイレーツやニューヨーク・アメリカンズなどのチームが現れては消滅し、伝統のあるオタワ・セネターズでさえも財政的困窮によりチーム閉鎖を余儀なくされた。
[編集] 第二次世界大戦中、オリジナル・シックス時代
このような成り行きに追い討ちをかけるかのように第二次世界大戦の襲来によって、発足25周年を迎える1942年にはNHLのチーム数は6チームまでに減少した。なお、このときの6チームは、後にオリジナル・シックスと呼ばれるようになった。なお、オリジナル・シックスという文言から、NHL創設時からの構成チームを想像するがこれは誤解である。次のチームがこれに該当する。
[編集] 大戦後、エクスパンション・シックスの加入
第二次世界大戦による選手不足から、多くの選手がプロホッケーチームでプレーする機会が与えられたが、終戦後は多くの選手がマイナーリーグへと追いやられるに至った。とりわけアメリカ合衆国及びカナダの西部地区のマイナーリーグは、ややもするとスタンレーカップの覇者をも破る実力を持った強豪チームを擁していた。このようなリーグをメジャーリーグへと格上げしスタンレーカップへの進出することを目論んで台頭しつつあったウエスタン・ホッケーリーグ (Western Hockey League) に触発される形で、NHLは1967年に1942年来続いたオリジナルシックスによるリーグ編成を拡大させることとなった。こうして新たに6チーム (エクスパンション・シックスと呼ばれる)がNHLに加盟した。エクスパンション・シックスには、次のチームがこれに該当する。
- エクスパンション・シックス
- ミネソタ・ノーススターズ
- カリフォルニア・シールズ
- ロサンゼルス・キングス
- フィラデルフィア・フライヤーズ
- ピッツバーグ・ペンギンズ
- セントルイス・ブルース
[編集] WHAの盛衰とNHLの拡張路線
1972年にはWHA(ワールドホッケーアソシエーション)というリーグが発足した。このリーグはスタンレーカップには臨まないこととされていたが、NHLの有力なライバルリーグとなるかどうかについては懐疑的な見方をされていた。しかしながら、才能ある選手層が各チームで希薄化するという現象は、プレーの質全体に悪影響をもたらした。さらに、ソビエト・スタイルのホッケーが支配的になってくると、NHLやWHAに属するカナダ選手の多くが相対的に能力に劣るといった、ソビエト・スタイルホッケーとの純然たる違いが明らかになった。
1979年にWHAが解散するまで、NHLとWHAは選手やファンに対するサービスを巡って互いにしのぎを削った。そしてWHA解散後は、4チームがNHLに新規加入した。NHLは続く20年間においても拡張路線を歩むこととなり、2004年には30チームを数えるに至る。
なお、1967年に6チームが加入したいわゆる「ファースト・エクスパンション」以降のNHLのエクスパンションを時系列に整理すると次の通りとなる。
- 1970年 - バッファロー・セイバーズ、バンクーバー・カナックス加入
- 1972年 - アトランタ・フレームス、ニューヨーク・アイランダース加入
- 1974年 - カンザスシティ・スカウツ、ワシントン・キャピタルズ加入
- 1979年 - エドモントン・オイラーズ、ハートフォード・ホエーラーズ、ケベック・ノルディクス、ウィニペグ・ジェッツ加入(WHAからの移籍)
- 1991年 - サンノゼ・シャークス加入
- 1992年 - オタワ・セネターズ、タンパベイ・ライトニング加入
- 1993年 - マイティーダックス・オブ・アナハイム、フロリダ・パンサーズ加入
- 1998年 - ナッシュビル・プレデターズ加入
- 1999年 - アトランタ・スラッシャーズ加入
- 2000年 - コロンバス・ブルージャケッツ、ミネソタ・ワイルド加入
カナダでは以前からアイスホッケーは人気が高かったのであるが、他方アメリカ合衆国、とりわけ南部における人気は、定番スポーツである野球、バスケットボールやアメリカンフットボールなどと比較するとやや凋落ぎみとの声もある。これは高騰する年俸を賄うため、観戦料金が他のメジャースポーツと比較して高額であることもその一因といわれる。
[編集] 年俸高騰と労使対立
NHLの興隆とともに、スター選手たちの年俸はうなぎのぼりに高騰を続けた。契約を巡っては、経営陣と選手との軋轢が高まったこともあり、NHL史上で次の3度のストライキ又はロックアウトがあった(2004年現在)。
- 1992-1993シーズン : 1992年4月NHL選手会 (NHLPA) のストライキが10日間続いた。(シーズン終了までの予定で始まったが、影響するゲームの日程を再調整しすぐに解決した。)
- 1994-1995シーズン : シーズン開幕からのロックアウトは3カ月間に及び、試合数を84から48へと減らすことを余儀なくされた。また、このロックアウトで短くなったシーズンでは、各チームはカンファレンス内での試合しか行わなかった。
- 2004-2005シーズン: 概要は次のとおり。
- 経営者側が年俸総額の上限を設定する「サラリーキャップ」と呼ばれる年俸システムの採用を巡って選手会側と対立。開幕1ヶ月前の2004年9月16日(現地時間)から会場や練習場などの各施設を封鎖する「ロックアウト」という処置を取り、本来のシーズン開幕期間も試合が行われない非常事態となった。欧州リーグなどに流れた選手もいた。
- 本来のシーズン中盤になって選手会はサラリーキャップの導入を容認し1チーム当たり上限4900万ドルとするとともに、経営者側はそれよりも低い4250万ドルとすることを提案したがその差を狭めることができず、2005年2月16日(現地)当シーズンの公式戦全試合(リーグ戦、スタンレー・カップを含む1230試合)を取りやめにすることを発表した。
- これまでアメリカの4大国技で、シーズン途中での公式戦中断・打ち切りがあったが、全試合が中止になるケースは今回のNHLが初めてのことだった。
[編集] 所属チーム一覧
[編集] イースタン・カンファレンス
地区 | チーム | 都市 | 本拠地 | 収容人数 | 設立 |
---|---|---|---|---|---|
アトランティック | ニュージャージー・デビルス | ニューアーク | プルデンシャル・センター | 17,615人 | 1974年 |
ニューヨーク・アイランダース | ユニオンデール | ナッソー・コロシアム | 16,234人 | 1972年 | |
ニューヨーク・レンジャース | ニューヨーク | マディソン・スクエア・ガーデン | 18,200人 | 1926年 | |
フィラデルフィア・フライヤーズ | フィラデルフィア | ワコビア・センター | 19,500人 | 1967年 | |
ピッツバーグ・ペンギンズ | ピッツバーグ | メロン・アリーナ | 17,132人 | 1967年 | |
ノースイースト | ボストン・ブルーインズ | ボストン | TDバンクノース・ガーデン | 17,565人 | 1924年 |
バッファロー・セイバーズ | バッファロー | HSBCアリーナ | 18,690人 | 1970年 | |
モントリオール・カナディアンズ | モントリオール | ベル・センター | 21,273人 | 1909年 | |
オタワ・セネターズ | オタワ | スコシアバンク・プレイス | 20,500人 | 1992年 | |
トロント・メープルリーフス | トロント | エアカナダ・センター | 18,800人 | 1917年 | |
サウスイースト | アトランタ・スラッシャーズ | アトランタ | フィリップス・アリーナ | 18,750人 | 1999年 |
カロライナ・ハリケーンズ | ローリー | RBCセンター | 18,639人 | 1972年 | |
フロリダ・パンサーズ | サンライズ | バンクアトランティック・センター | 19,452人 | 1993年 | |
タンパベイ・ライトニング | タンパ | セント・ピート・タイムズ・フォーラム | 19,500人 | 1992年 | |
ワシントン・キャピタルズ | ワシントンD.C. | ベライゾン・センター | 18,277人 | 1974年 |
[編集] ウエスタン・カンファレンス
地区 | チーム | 都市 | 本拠地 | 収容人数 | 設立 |
---|---|---|---|---|---|
セントラル | シカゴ・ブラックホークス | シカゴ | ユナイテッド・センター | 20,500人 | 1926年 |
コロンバス・ブルージャケッツ | コロンバス | ネイションワイド・アリーナ | 18,500人 | 2000年 | |
デトロイト・レッドウィングス | デトロイト | ジョー・ルイス・アリーナ | 20,066人 | 1926年 | |
ナッシュビル・プレデターズ | ナッシュビル | ソメット・センター | 17,113人 | 1998年 | |
セントルイス・ブルース | セントルイス | スコットトレード・センター | 19,260人 | 1967年 | |
ノースウエスト | カルガリー・フレームス | カルガリー | ペングロース・サドルドーム | 19,289人 | 1972年 |
コロラド・アバランチ | デンバー | ペプシ・センター | 18,007人 | 1972年 | |
エドモントン・オイラーズ | エドモントン | レクソール・プレイス | 16,839人 | 1972年 | |
ミネソタ・ワイルド | セントポール | エクセル・エナジー・センター | 18,568人 | 2000年 | |
バンクーバー・カナックス | バンクーバー | GMプレイス | 18,630人 | 1945年 | |
パシフィック | アナハイム・ダックス | アナハイム | ホンダ・センター | 17,174人 | 1993年 |
ダラス・スターズ | ダラス | アメリカン・エアラインズ・センター | 18,500人 | 1967年 | |
ロサンゼルス・キングス | ロサンゼルス | ステイプルズ・センター | 18,118人 | 1967年 | |
フェニックス・コヨーテズ | グレンデール | ジョビング・ドットコム・アリーナ | 18,000人 | 1972年 | |
サンノゼ・シャークス | サンノゼ | HPパビリオン | 17,496人 | 1991年 |
[編集] カンファレンス及び地区の変遷
チーム数の増減、プロホッケー界全体のうねりを受けて、NHL のリーグ構造はたびたび変更されている。ここでは、時系列にカンファレンス及び地区の変遷を整理しておく。
- 1917-1918から1925-1926
- 所属チームが少ないため区分がなかった。
- 1926-1927から1937-1938
- カナディアン地区とアメリカン地区 に2区分された。
- 1938-1939から1966-1967
- モントリオール・マルーンズのチーム閉鎖により再び区分がなくなった。
- 1967-1968から1973-1974
- リーグ拡張によりイースト・ディビジョン(東部地区)とウエスト・ディビジョン(西部地区)の2つに区分された。
- 1974-1975から1992-1993
- リーグ再拡張により新たにカンファレンス制を導入し、プリンス・オブ・ウェールズカンファレンス (Prince of Wales Conference) はアダムス地区 (Adams Division) とノリス地区 (Norris Division) に区分し、クラレンス・キャンベルカンファレンス (Clarence Campbell Conference) はパトリック地区 (Patric Division) とスマイス地区 (Smyth Division) に区分した。この間、1979-1980及び1980-1981は、WHA 解散の影響もあって地区とは無関係にポイント上位16チームにプレイオフ進出権が与えられた。
- 1993-1994から1997-1998
- カンファレンス名、地区名が改められ、プリンス・オブ・ウェールズはイースタン・カンファレンス と、所属のアダムス地区とノリス地区は、それぞれノースイースト地区(北東地区) 、アトランティック地区(大西洋地区 ) と改められた。同様にクラレンス・キャンベルはウエスタン・カンファレンスと、所属のパトリック地区とスマイス地区は、それぞれセントラル地区(中部地区) 、パシフィック地区(太平洋地区) と改められた。
- 1998-1999以降
- リーグの拡張により、イースタン・カンファレンスは北東地区、大西洋地区に新たに南東地区 (Southeast Division) を加えて3区分され、ウェスタン・カンファレンスも同様に中部地区、太平洋地区に新たに北西地区 (Northwest Division) を加えて3区分された。
[編集] かつての加盟チーム
消滅したチーム及びフランチャイズ移転などにより名称変更となったチームを一覧とすると次のとおりである。年号は加盟期間をあらわす。
- トロント・アリーナズ(1917年-1919年; トロント・セントパトリックスの前身)
- オタワ・セネターズ(1917年-1934年; セントルイス・イーグルスの前身。同名のチーム1992年新設)
- モントリオール・ワンダラーズ(1917年-1918年)
- ケベック・ブルドッグズ(1919年-1920年; ハミルトン・タイガースの前身)
- トロント・セントパトリックス(1919年-1926年; トロント・メープルリーフスの前身)
- ハミルトン・タイガース(1920年-1925年; ニューヨーク・アメリカンズの前身)
- モントリオール・マルーンズ(1924年-1938年)
- ニューヨーク・アメリカンズ(1925年-1941年; ブルックリン・アメリカンズの前身)
- ピッツバーグ・パイレーツ(1925年-1930年; フィラデルフィア・クウェイカーズの前身)
- デトロイト・クーガーズ(1926年-1930年; デトロイト・ファルコンズの前身)
- デトロイト・ファルコンズ(1930年-1932年; デトロイト・レッドウイングスの前身)
- フィラデルフィア・クウェイカーズ(1930年-1931年)
- セントルイス・イーグルス(1934年-1935年)
- ブルックリン・アメリカンズ(1941年-1942年)
- ミネソタ・ノーススターズ(1967年-1993年; ダラス・スターズの前身)
- カリフォルニア・シールズ(1967年; オークランド・シールズの前身)
- オークランド・シールズ(1967年-1970年; カリフォルニア・ゴールデンシールズの前身)
- カリフォルニア・ゴールデンシールズ(1970年-1976年; クリーブランド・バロンズの前身)
- アトランタ・フレームス(1972年-1980年; カルガリー・フレームスの前身)
- カンザスシティ・スカウツ(1974年-1976年; コロラド・ロッキーズの前身)
- クリーブランド・バロンズ(1976年-1978年; ミネソタ・ノーススターズと合併)
- コロラド・ロッキーズ(1976年-1982年; ニュージャージー・デビルスの前身)
- ハートフォード・ホエーラーズ(1979年-1997年; カロライナ・ハリケーンズの前身)
- ケベック・ノルディクス(1979年-1995年; コロラド・アバランチの前身)
- ウィニペグ・ジェッツ(1979年-1996年; フェニックス・コヨーテズの前身)
[編集] トロフィーと賞
NHL には、プレイオフ戦の優勝チームに与えられるスタンレー・カップや、西部カンファランス優勝チームに対する Clarence S. Campbell Bowl 、東部カンファランス優勝チームに授与される Prince of Wales Trophy の他にも、次のような数多くの賞がある。得点王など成績に応じて定まる賞、選手やチームマネージャーが選ぶ一部の賞を除けば、各賞の選出はプロホッケー記者協会 (Professional Hockey Writer's Association) が行う。
- アート・ロス記念賞 (Art Ross Memorial Trophy) - レギュラーシーズンでのリーグ得点王
- ビル・マスタートン記念賞 (Bill Masterton Memorial Trophy) - 忍耐及びスポーツマンシップ
- カルダー記念賞 (Calder Memorial Trophy) - 新人王
- コーン・スマイス賞 (Conn Smythe Trophy) - プレイオフ最優秀選手賞
- フランク・J・セルケ賞 (Frank J. Selke Trophy) - 最優秀守備的フォワード選手
- ハート記念賞 (Hart Memorial Trophy) - レギュラーシーズン最優秀選手賞
- ジャック・アダムス賞 (Jack Adams Award) - 最優秀コーチ賞
- ジェームス・ノリス記念賞 (James Norris Memorial Trophy) - 最優秀ディフェンス選手
- キング・クランシー記念賞 (King Clancy Memorial Trophy) - リーダーシップ、人道的貢献
- レディー・ビング記念賞 (Lady Byng Memorial Trophy) - 能力とスポーツマンシップの融合した選手
- レスター・B・ピアソン賞 (Lester B. Pearson Award) - 観客の選ぶ最も顕著な選手
- モーリス・“ロケット”・リシャール賞 (Maurice 'Rocket' Richard Trophy) - レギュラーシーズン最多ゴール賞
- NHL プラス/マイナス賞 (NHL Plus/Minus Award) - 最高プラス/マイナス統計
- 会長賞 (Presidents Trophy) - レギュラーシーズン最高成績チーム
- ロジャー・クロージャー・セイビンググレイス賞 (Roger Crozier Saving Grace Award) - ゴーリーの最高セーブ率
- ウィリアム・M・ジェニングス賞 (William M. Jennings Trophy) - 最少失点ゴーリー(25試合以上の出場が条件)
- ベズィーナ賞 (Vezina Trophy) - チームマネージャーの投票による最も顕著なゴーリー(1980-1981シーズンまでは、最小失点ゴーリーに与えられたが、ジェニングス賞にその選出基準を譲った。)
上記のうち、レスター・B・ピアソン賞のみが政治家の名前にちなむ賞である。
また、かつて1949-1950シーズンまでは、オブライエン賞 (O'Brien Troph) という賞も存在した。 さらに、1966年以来、米国内のホッケー界に対する貢献を称える賞として、レスター・パトリック賞 (Lester Patrick Trophy) が授与されている。
選手は、引退後3年経過すると、ホッケーの殿堂入り選手を選考するための投票を受ける資格ができる。ただし、過去には、その選手の業績が顕著であると認められる場合には、この3年間の猶予期間をないものとすることも可能だったことがあり、この方法により10名の選手が選出されている。1999年のウェイン・グレツキーを最後に、この特例ルールは廃止された。
このほか、NHLのオールスター戦において、第1チーム及び第2チームのメンバー(各6名)に選抜されることも名誉とされる。この選抜はファン投票ではなく、目の肥えたプロホッケー記者協会の会員の投票によるものである。
[編集] 会長・コミッショナー
- フランク・カルダー (Frank Calder, 1917年 - 1943年) 初代会長
- レッド・デュトン (Red Dutton, 1943年 - 1946年) 第2代会長
- クラレンス・キャンベル (Clarence Campbell, 1946年 - 1977年) 第3代会長
- ジョン・ジーグラー (John Ziegler, 1977年 - 1992年) 第4代会長
- ギル・シュタイン (Gil Stein, 1992年 - 1993年) 第5代会長
- ギャリー・ベットマン (Gary Bettman, 1993年 - ) 初代コミッショナー
[編集] 下部組織相当のリーグ
- 以下のリーグ戦はそれぞれNHL本体は運営せずそれぞれ独立採算方式の独立リーグ(セミプロ)として運営している。
- AHL
- ECHL
- CHL
- UHL
- WCHL
- SEHL
- WHA2
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- ナショナル・ホッケー・リーグ公式サイト (英語)
ナショナル・ホッケー・リーグ(NHL) | |
---|---|
イースタン・カンファレンス | |
アトランティック |
ニュージャージー・デビルス | ニューヨーク・アイランダース | ニューヨーク・レンジャース | フィラデルフィア・フライヤーズ | ピッツバーグ・ペンギンズ |
ノースイースト |
ボストン・ブルーインズ | バッファロー・セイバーズ | モントリオール・カナディアンズ | オタワ・セネターズ | トロント・メープルリーフス |
サウスイースト |
アトランタ・スラッシャーズ | カロライナ・ハリケーンズ | フロリダ・パンサーズ | タンパベイ・ライトニング | ワシントン・キャピタルズ |
ウエスタン・カンファレンス | |
セントラル |
シカゴ・ブラックホークス | コロンバス・ブルージャケッツ | デトロイト・レッドウィングス | ナッシュビル・プレデターズ | セントルイス・ブルース |
ノースウエスト |
カルガリー・フレームス | コロラド・アバランチ | エドモントン・オイラーズ | ミネソタ・ワイルド | バンクーバー・カナックス |
パシフィック |
アナハイム・ダックス | ダラス・スターズ | ロサンゼルス・キングス | フェニックス・コヨーテズ | サンノゼ・シャークス |