ジャック・マイヨール
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ジャック・マイヨール(Jacques Mayol, 男性, 1927年4月1日- 2001年12月23日)は、フランスのフリーダイバー。上海生まれ。イタリア・エルバ島没。
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[編集] 生涯
4歳の時、母親に水とのつき合い方を教わったことに始まり、 10歳の時に、佐賀県唐津市の七つ釜ではじめてイルカと出会い、その後の生活の原点となる。12歳で一家でフランス・マルセイユに移住。17歳で父の設計事務所で働きながらバカロレアを取得。高校を出ると北極圏でイヌイットと暮らすなど、以後コペンハーゲンを起点に旅を繰り返す。
22歳の時、ヴィブケ・ボージュ・ワズショルドと間に長女ドッティをもうける。 正式な結婚は後の25歳の時、コペンハーゲンにて執り行われた。その後水夫としてカナダ・アルバータ州、アメリカ・マイアミに移住。その間、レポーター、ジャーナリストとして働き、長男ジャン・ジャックが誕生する。 フロリダではフランス語系新聞の手伝いやラジオ番組のリポーターを勤めながら、マイアミ水族館で働く。そこで1957年にイルカの調教を担当したことから水中での泳ぎ方などを体得。
その後水族館をやめてケイコス諸島に移住し、素潜りによる伊勢エビ漁を島民に教える。その頃になると周りの勧めでフリー・ダイビングに挑戦するようになり、1966年にハバナにて60メートルを記録したのを皮切りにエンゾ・マイオルカと共に記録合戦を繰り広げた。1973年、イタリアに居を移し、10余りの潜水実験に参加。それにより数十メートルの深度でフリーダイビング中のマイヨールの脈拍が毎分26回になっていることや赤血球が著しく増加していることが、スキューバで潜った医師によって測定されたこともある。1976年11月23日、エルバ島にて人類史上初めて素潜りで100メートルを超える記録をつくる。この時49歳であった。
1983年、母親の葬儀に参列するためにマルセイユに行った折にリュック・ベッソンと出会う。1988年、自伝をもとにした映画「グラン・ブルー」が同監督により製作され、世界中の人にその存在を知られる。
1989年マルセイユ出身の女性編集者ジャンヌ・ラフィットと結婚し、本をいくつか出版する(そのひとつが『イルカと海に帰る日』である)。
大の親日家であり、フリーダイビングにヨーガや禅を取り入れていた。1997年の秋には27HOUR SPECIAL CHALLENGE 97内で放送した「イルカが海に帰る日 ~ユキよ、自由の海を泳げ~」のスペシャルゲストを担当。
ダイビングの第一線から引退した後は、イルカと人間との共存を訴えた。 晩年はうつ病を患っていた。2001年12月23日、エルバ島の自宅の部屋で首吊り自殺をしているのが発見された。 遺体のそばのテーブルの上に、「グラン・ブルー」のビデオと、直前に出演したテレビ朝日の「グレートマザー物語」のビデオが置いてあった。彼の自殺直前の状況については、兄ピエールの『ジャック・マイヨール、イルカと海に還る』(ISBN 4062119587)に詳しい。
遺骨はトスカーナ湾に散骨された。
[編集] マイヨールの記録
[編集] 著作
- 『イルカと海に帰る日』(原題:ホモ・デルフィナス 訳 関邦博) ISBN 4062061473
- 『海の記憶を求めて』(兄ピエールとの共著) ISBN 4881356372
- 『イルカと、海に還る日』(ピエール・マイヨール、パトリック・ムートン著) ISBN 4062119587
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 『潜る人 ジャック・マイヨールと大崎映晋』佐藤嘉尚著 文藝春秋刊 2006年1月 ISBN 4-16-367860-3