シャビ・アロンソ
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シャビ・アロンソ | ||
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名前 | ||
本名 | シャビエル・アロンソ・オラーノ | |
愛称 | バスクの星、マエストロ | |
ラテン文字 | Xabi Alonso Olano | |
基本情報 | ||
国籍 | スペイン | |
生年月日 | 1981年11月25日(26歳) | |
出身地 | トロサ | |
身長 | 183cm | |
体重 | 75kg | |
選手情報 | ||
在籍チーム | リヴァプール | |
ポジション | MF | |
背番号 | 14 | |
利き足 | 右足
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代表歴 | ||
出場 | 39 | |
得点 | 1 2007年11月13日現在 |
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シャビエル・アロンソ・オラーノ(Xabier Alonso Olano, 1981年11月25日 - )は、スペイン、バスク自治州トロサ出身の同国代表サッカー選手。プレミアリーグ・リヴァプールFC所属。ポジションはMFで、ピボーテの位置を得意とする。
「バスクの星」と呼ばれる。元スペイン代表でもある父のペリコ・アロンソは80年代にリーガ2連覇を達成したレアル・ソシエダのスターだった。兄のミケル・アロンソもボルトン・ワンダラーズFC所属のサッカー選手である。
目次 |
[編集] プレースタイル
視野の広さと状況判断を生かし、センターサークル付近から放たれる精度の高いロングレンジ、ミドルレンジパスでチームを自由自在に操るレジスタ。攻守のバランスに優れ、鋭いシュート力を持ちミドルレンジからのシュートも得意で果敢に放つ。パスやテクニックは一級品である。彼のパスをたとえるならフィールドにかかる虹。敵のプレスを自然体にかわしさりげない動作から遠方の味方にパスを送る。近年プレミアシップに加入後、フィジカルも強化されたとはいえ、本来的に守備を得意とする選手ではない。従って、彼の守備は専らパスコースを切る守備が中心であり、自ら身体を寄せてボールを奪うことには長けていない。彼の展開力を活かしつつ、その彼の弱点をカバーするべく、2006年W杯本大会のスペイン代表は、彼をDFラインの前のアンカーのポジションで起用し、その一方でDFラインを大きく押し上げる戦術を用いたが、逆にDFラインの後に広大なスペースを残す弱点を突かれ、フランス戦ではフランク・リベリーに同点ゴールを許し、結局チームも敗れた。リヴァプールではパス交換から前線に上がってフィニッシュにも絡む。
[編集] 経歴
レアル・ソシエダの下部組織出身で、1997年にレンタル先のエイバルでデビュー。2部リーグでのプレーだったが多くの出場機会を与えられプレーメーカーとしての能力を磨くと、再びレンタルでエイバルに放出された2001-02シーズンを機にソシエダでもレギュラーの座を確保した。
2002/03シーズン開幕当初、2部降格候補の一角でしかなかったレアル・ソシエダの中で、アロンソは期待の一若手に過ぎなかったが、レイノー・ドヌエ監督の下2002-03シーズンにラ・レアルは大躍進。アロンソは非常に正確なパスで攻撃を自由自在に操り、終わってみればシーズンを2位で終える成功を収めUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得する原動力となった。
翌の2003-2004シーズンは、リーガ・エスパニョーラとUEFAチャンピオンズリーグに並行して出場するという「二足のわらじ」が足枷となり、リーガでは2002-2003シーズンと比べると明らかに見劣りする12位という結果に終わったが、UEFAチャンピオンズリーグではチームをベスト16に引き上げる原動力になった。これを契機にアロンソの名は本格的に世界に知れ渡って行く。
その後、レアル・マドリードやリヴァプールFCなど、数々のクラブが彼を獲得しようと動いた。本人は残留の意を表していたが、クラブ側の都合で放出されることが決定し、ラファエル・ベニテスが指揮を執ることとなったリヴァプールFCに1600万ユーロ(約21億6,000万円)で、移籍する決意をする。アロンソ本人は、過去バレンシアCFで2度のリーグ優勝や1度のUEFAカップ制覇を遂げたベニテス監督の下で指導を受けたかったという。リバプール移籍1年目の2004-2005シーズンは、元旦のチェルシーFC戦にフランク・ランパードによる悪質なタックルを受け、左足首を骨折した。全治5カ月で戦線離脱を余儀なくされるが、驚異的な回復力を見せシーズン終盤に復帰する。UEFAチャンピオンズリーグでは決勝に出場し、決勝のACミラン戦では同点に追いつくPKのこぼれ球を押し込み、チームの優勝に貢献した。 バスク出身で大学を卒業しており知的な人物と見られており、実際リバプールの町の歴史に詳しいなどプレー以外でもリバプールファンの心をつかんでいる。
[編集] 代表
スペインのU-21チームで大活躍し、2003年4月にイニャキ・サエス監督からのエクアドルとの親善試合に招集された。(試合は4-0で勝利)ポルトガルで行われたEURO2004にも出場し、ウクライナ戦で初先発したが、当時、リーガ・エスパニョーラ最高のドブレ・ピボーテとも言われていたバレンシアの双頭、ルベン・バラハとダビド・アルベルダのレギュラーの座を奪うことはできなかった。2006 FIFAワールドカップに向けたメンバーにも招集され、3試合に出場、ウクライナ戦では得点も記録した。しかしスペイン代表の中盤のポジションにはシャビ、セスク・ファブレガスら優秀なMFが多くいるためレギュラーを掴めていない。
[編集] 所属クラブ
- 1990年-2000年 レアル・ソシエダ(カンテラ) 38試合 / 3得点
- 2000年-2001年 レアル・ソシエダ 17試合 / 0得点
- 2000年-2001年 SDエイバル(2部) 14試合 / 0得点 (loan)
- 2001年-2002年 レアル・ソシエダ 30試合 / 3得点
- 2002年-2003年 レアル・ソシエダ 33試合 / 3得点
- 2003年-2004年 レアル・ソシエダ 35試合 / 3得点
- 2004年-2005年 リバプール 24試合 / 2得点
- 2005年-2006年 リバプール 35試合 / 3得点
[編集] 獲得タイトル
[編集] クラブ
- 2004-2005 UEFAチャンピオンズリーグ - 優勝
- 2005-2006 FAカップ - 優勝
- 2005年 UEFAスーパーカップ - 優勝
- 2006年 コミュニティーシールド - 優勝
[編集] 個人
- 2002-2003 最優秀スペイン人選手(リーガ・エスパニョーラ)
リヴァプールFC - 現所属メンバー |
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3 フィナン | 4 ヒーピア | 5 アッゲル | 6 リーセ | 7 キューウェル | 8 ジェラード | 9 トーレス | 10 ヴォロニン | 11 ベナユン | 12 ファビオ・アウレリオ | 14 アロンソ | 15 クラウチ | 16 ペナント | 17 アルベロア | 18 カイト | 19 バベル | 20 マスチェラーノ | 21 ルーカス | 23 キャラガー | 25 レイナ | 30 イタンジュ | 37 シュクルテル | 38 リンドフィールド | 39 ダービー | 40 マーティン | 42 エル・ザール | 46 ホッブス | 48 インスア 監督: ベニテス |
スペイン代表 - 2006 FIFAワールドカップ | |
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1 カシージャス | 2 サルガド | 3 ペルニア | 4 マルチェナ | 5 プジョル | 6 アルベルダ | 7 ラウル | 8 シャビ | 9 トーレス | 10 レジェス | 11 ルイス・ガルシア | 12 ロペス | 13 イニエスタ | 14 アロンソ | 15 セルヒオ・ラモス | 16 セナ | 17 ホアキン | 18 セスク | 19 カニサレス | 20 ファニート | 21 ビジャ | 22 パブロ・イバニェス | 23 レイナ | 監督 アラゴネス |