サリュート1号
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サリュート1号 | |
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基本項目 | |
製造国 | ソビエト連邦 |
NSSDC ID | 1971-032A |
打ち上げロケット | プロトンロケット |
打ち上げ日 | 1977年4月19日 |
通算搭乗員数 | 3名 |
通算滞在日数 | 23日 |
再突入日 | 1977年10月11日 |
設計寿命 | 3ヶ月 |
物理的特性 | |
長さ | 13.07 m |
最大直径 | 4.15 m |
与圧区画容積 | 99m3 |
質量 | 18,210 kg |
メインエンジン | |
出力 | 4089 N |
推進剤の種類 | HNO3 / N2H4 |
推進剤質量 | 2000kg |
比推力 | 282 秒 |
デルタV | 320 m/秒 |
電力 | |
太陽電池枚数 | 4枚 |
太陽電池面積 | 33 m3 |
発生電力 | 平均 1.0 kW |
サリュート1号(ロシア語:Салют-1、ラテン文字表記の例:Salyut 1)は1971年4月19日にソビエト連邦によって打ち上げられた世界初の宇宙ステーションである。ソユーズ10号の移乗失敗の後、ソユーズ11号によって3人の宇宙飛行士が訪れ、3週間の滞在の間に、ステーションに備えられた装置による実験・観測や、長期の無重力環境が人体に与える影響の調査が行われた。しかしミッションを終えての帰還中の事故により、3人の命は失われてしまった。ステーションは無人のまま軌道上にとどまり、同年10月11日に大気圏に突入して廃棄された。
目次 |
[編集] 設計
ソ連のサリュート宇宙ステーションには軍事目的のアルマース(OPS)と非軍事目的のDOSの2つの型式があった。サリュート1号はDOS型宇宙ステーションで、表向きには非軍事宇宙ステーションだった。しかし実際には軍事的なミッション内容も含まれていた。
サリュート1号は太さの異なる円筒が連なった形をした宇宙ステーションで、長さ13m、最大直径は4mだった。与圧区画の体積は99m3、質量は18トンに達した。電力はソユーズ宇宙船から設計を流用した4枚の太陽電池パネルによってまかなった。
ステーションは4つの区画から構成されていた。ソユーズとのドッキングに使用される移乗区画・生活や実験の場である主要区画・生命維持装置などのステーションの機能を支える装置を載せた補助区画・ステーションの軌道を保持するための機関区画であった。機関区画はソユーズ宇宙船のサービスモジュールと共通設計になっていた。
サリュート1号に搭載された主要な装置として、オリオン1宇宙天文台と呼ばれるものがあった。オリオン1は主鏡直径28cmの紫外線望遠鏡を中心とした天体観測装置で、200-380ナノメートル (nm) の波長領域のスペクトルを5nmの解像度で得ることができた。
[編集] 運用
サリュート1号は、1971年4月19日にバイコヌール宇宙基地からプロトン8K82Kロケットを使用して打ち上げられた。軌道投入までは予定通りに進んだが、科学機器ベイを覆うカバーが分離されないという問題が発生し、計画されていた観測の多くが不可能になった。ソユーズによる人員の送り込みは当初の計画通りに行うことになった。
[編集] ソユーズ10号
4月22日、宇宙ステーションへ宇宙飛行士3人を送り届けるためにソユーズ10号が打ち上げられた。4月23日、ソユーズはサリュート1号とのドッキングを試みた。途中で自動装置が故障したため、手動操作による接近が行われた。ソフトドッキング(完全な結合の前段階として宇宙船を固定すること)に成功したものの、ハードドッキング(完全なドッキング)には失敗し、宇宙飛行士がステーションに移乗する事は出来なかった。5時間30分後、ソユーズ宇宙船は目的を果たせぬままサリュート1号から離れ、24日に地上に帰還した。
[編集] ソユーズ11号
6月6日、3人の宇宙飛行士を乗せたソユーズ11号が打ち上げられ、翌6月7日にサリュート1号とのドッキングに成功した。乗員がステーション内に入ると煙の臭いが充満していた。空気が浄化されるまでの間、宇宙飛行士はソユーズで睡眠をとった。8日にソユーズは待機モードに移され、本格的なステーションの運用が開始された。地上では世界初の宇宙ステーションの運用開始が報じられていた。
ソユーズ11号の乗員は宇宙ステーションの姿勢制御や軌道変更を行った。カバーが外れなかったため一部の観測装置は使用不能だったが、それ以外の実験は比較的順調に進められた。オリオン1の紫外線望遠鏡によってシリウスとケンタウルス座ベータ星の紫外線スペクトルが観測された。そのほかのミッション内容としては地球表面や大気圏の観測が含まれていた。長期間の宇宙滞在が人体に与える影響を調査することも重要な任務の一つだった。
6月29日、23日間の滞在を終えた3人はソユーズ11号に乗ってサリュートから離れ、6月30日に地上に帰還した。しかし乗員はカプセル内で遺体となって発見された。調査の結果、大気圏突入直前にカプセルの空気が抜けていたことが判明した。
[編集] ソユーズ12号
ソユーズ12号もサリュート1号とドッキングする計画だったが、11号の事故を受けて中止された。実際のソユーズ12号は安全性を高めるために改良された宇宙船のテスト飛行として打ち上げられた。
[編集] 再突入
ステーションの設計寿命は3ヶ月だったが、以降の計画の参考のために期間を過ぎての無人での運用が続けられ、推進剤の消費量や空力特性が調べられた。7月から8月にかけて空気抵抗による落下を防ぐためより高い軌道への移動が行われた。しかし1971年10月に電子機器の故障が発生し、宇宙ステーションが制御できなくなる可能性が出てきたため、10月11日に最後の軌道修正を行い太平洋上の大気圏に突入した。