キョウエイプロミス
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キョウエイプロミス | |
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品種: | サラブレッド |
性別: | 牡 |
毛色: | 鹿毛 |
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生誕: | 1977年4月14日 |
死没: | 2003年1月13日 |
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登録日: | {{{登}}} |
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父: | ボールドリック |
母: | チヨダクイン |
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生国: | 日本(北海道浦河町) |
生産: | 三好牧場浦河 |
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馬主: | 松岡正雄 |
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調教師: | 高松邦男(美浦) |
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競走成績 | |
生涯成績: | 29戦7勝 |
獲得賞金: | 2億5056万2400円 |
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キョウエイプロミスは、日本の競走馬。主な勝ち鞍は天皇賞(秋)、毎日王冠、ダイヤモンドステークス。
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[編集] 戦績
1979年に美浦の高松邦男厩舎預けられた。4戦して初勝利したのは12月9日の中山競馬場。翌1980年4歳となり、3月には特別戦で2勝目を上げるが、スプリングステークスで13着するなどクラシック路線ともほぼ無縁だった。目立ったのは函館記念5着で、その後1年間脚部不安で休養する。 1年間休養の後の5歳、1981年8月の函館競馬場で復帰。5戦未勝利で終わるが、12月の暮れにステイヤーズステークスで2着した後本格化。翌1982年の6歳に入り、長距離戦で頭角を現した。自己条件の800万下特別を勝ち上がり、4月のダイヤモンドステークスで初重賞制覇。次走の宝塚記念はモンテプリンスの4着と、半年間で上位クラスと互角に戦えるまで成長した。秋に入り、毎日王冠で重賞2勝目を飾り、天皇賞(秋)で3番人気に支持されるも7着。続く目黒記念も1番人気の13頭立ての12着と大きく株を落とすものの、12月の有馬記念ではヒカリデュール、アンバーシャダイに次ぐ3着に入った。 1983年の7歳時は脚部不安が再発し、春は全休。秋に毎日王冠で復帰して3着、そして再び天皇賞(秋)に挑戦した。この時点では日本最強馬の一角アンバーシャダイが天皇賞(春)以来の出走のため、1番人気タカラテンリュウと人気を分け合うが、レースは逃げるタカラテンリュウを直線で交わして1 1/2身差で快勝し、初の大レース制覇となった。鞍上の柴田もこの天皇賞で800勝を達成した。
[編集] ジャパンカップの2着激走
天皇賞を勝ったことで、陣営は次走ジャパンカップを選択した。この年19年ぶりに三冠を達成したミスターシービーの出走が望まれていたが、シービーは出走せず。日本の競馬関係者、ジャパンカップに来日した外国人プレスを落胆させるが、しかし高松は外国プレスらに「(日本代表馬)ですからキョウエイプロミスがあなた方の馬のお相手をするわけです。」と答え、柴田も「パーフェクトな状態。堂々と勝ちに行きます!」[1]と外国馬とも互角に戦える万全な状態と答えた。なお高松は「プロミスの脚が壊れる」とこのレースが最後になることも予感さえした。そして迎えたジャパンカップにおいてスタネーラと頭差(タイム差なし)の2着となり、日本馬として初の連対を果たした。鞍上柴田も納得した走りに思わずスタネーラの鞍上B.ラウスに鞭越しに賞賛を送った。しかし、レース中に右前脚骨折を発症。馬運車で退場し、そのまま引退となった。競馬評論家の大川慶次郎は天皇賞後にキョウエイプロミスの勝ちっぷりから外国馬と互角に戦える確信し、実際スタネーラの叩き合いの際、興奮の余り実況で「プロミス!プロミス!」と連呼した。このキョウエイプロミスの2着激走は競馬ファンの間では語り草として伝えられている。この天皇賞とジャパンカップ2着が評価され、1984年には優駿賞最優秀5歳以上牡馬を受賞している。
[編集] 血統表
キョウエイプロミスの血統 プリンスキロ系(セントサイモン系) | |||
父
*ボールドリック Baldric 1961 黒鹿毛 |
Round Table 1954 鹿毛 |
Princequillo | Prince Rose |
Cosquilla | |||
Knight's Daughter | Sir Cosmo | ||
Feola | |||
Two Cities 1948 鹿毛 |
Johnstown | Jamestown | |
La France | |||
Vienna | Menow | ||
Valse | |||
母
チヨダクイン 1970 栗毛 |
*ネヴァービート Never Beat 1960 栃栗毛 |
Never Say Die | Nasrullah |
Singing Grass | |||
Bride Elect | Big Game | ||
Netherton Maid | |||
*ヴァーブ Verve 1955 鹿毛 |
Nearco | Pharos | |
Nogara | |||
Straight Verse | Straight Deal | ||
Fille de Poete |
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[編集] 脚注
- ^ 1996年年柴田政人炎の伝説、三恵書房刊