キティ・フィルム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社キティ・フィルムは、日本の映画製作会社、アニメ製作会社、芸能事務所である。
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場
|
本社所在地 | 154-0024 東京都世田谷区三軒茶屋2-11-23 |
設立 | 1982年3月24日 |
業種 | 情報・通信業 |
事業内容 | 映画、テレビ、ラジオの企画・制作 |
代表者 | 多賀典明(代表取締役) |
資本金 | 2200万円 |
従業員数 | 5名 |
主要株主 | キティライツ&エンターテイメント |
外部リンク | http://kittyfilms.fmp.or.jp/ (公式サイト) |
目次 |
[編集] 概要
キティレコード(現・ユニバーサルミュージックに吸収)のキティミュージックコーポレーション(後キティグループ→キティエンタープライズ)の元映像部門。後にキティグループ内の映像制作会社として独立。代表作に『うる星やつら』『めぞん一刻』『らんま1/2』『銀河英雄伝説』などのアニメ作品。関連会社には、映像と音楽の制作を行なう株式会社キティ、アニメファンクラブ運営と版権管理の株式会社キティライツ&エンターテインメント(旧・ファイブエース)がある。本社所在地は東京都世田谷区にある。
[編集] 沿革
日本グラモフォン(現・ポリドール→ユニバーサルミュージック)で小椋佳や井上陽水の担当ディレクターだった多賀英典が1972年にレコード会社キティ・ミュージック・コーポレーションを創業。
もともと多賀自身がサウンドと映像の融合にこだわり続けていたため、東映の「初めての旅」を皮切りに映画、テレビドラマに携わり、それでは飽き足らなくなって1979年に映画製作に進出。映画製作会社キティ・フィルムを設立した。この時かき集められたのが日活出身の伊地智啓・長谷川和彦・相米慎二である。映画監督の長谷川和彦、作家の村上龍、プロデューサーの山本又一朗が参加して、同年にキティ・フィルムの製作で村上龍原作・監督の実写映画『限りなく透明に近いブルー』を公開。山本又一朗はキティ・ミュージック・コーポレーションで、同年に実写映画『ベルサイユのばら』を製作した。
多賀の意向で村上龍を監督に据えた『限りなく透明に近いブルー』と『だいじょうぶマイフレンド(1983年)』は興行的に大失敗を記録。キティをひっくり返すぐらいの損失を計上した(それを救ったのが『うる星やつら』の大ヒットと言われている)。当時は親会社のポリドールよりキティの方が勢いがあったため、音楽で稼いだ金を湯水のごとく映画制作に注ぎ込んだ多賀の強引さが、後のキティ凋落のきっかけになったと言われている。
翌1980年には週刊少年マガジンに連載された柳沢きみおの人気漫画『翔んだカップル』を薬師丸ひろ子主演、相米慎二監督で映画化。これ以降、漫画を原作にすることが多くなり、後述の通りアニメへも進出。薬師丸ひろ子との関係では、1981年に公開され23億円の配給収入を挙げたその年最大のヒット作品『セーラー服と機関銃』を角川春樹事務所と共同製作。薬師丸をスターダムへ押し上げ、監督した相米の名も高めた。
1981年にはアニメ製作に乗り出し、テレビアニメ『うる星やつら』を製作。『うる星やつら』は映画化もされて成功し、以後、『めぞん一刻』『らんま1/2』と高橋留美子の長編漫画をアニメ化する路線を敷いた。さらに自社作品のファンクラブを運営して、全国でイベント開催するとともに会報の発行などを行なった。ファンクラブは『うる星やつら』のテレビシリーズが終了する1986年3月までは「うる星やつらファンクラブ」、以後は「キティ・アニメーション・サークル」(KAC)と称した。
『うる星やつら』の前半は、アニメ制作会社スタジオぴえろが、『うる星やつら』後半から『めぞん一刻』『らんま1/2』『スーパーヅガン』などではスタジオディーンが、『うる星やつら』末期の映画や『銀河英雄伝説』『YAWARA!』はマッドハウスがキティ・フィルム作品の実制作を担った。アニメ部門の責任者は、タツノコプロで企画文芸部に属したことのある劇画村塾出身の落合茂一で、その縁から高橋留美子原作作品がフジテレビで長期放映されるきっかけとなった。
また制作を外部へ委託するばかりでなく、やはりタツノコプロ出身でプロデューサーの宮田知行(現・J.C.STAFF社長)や演出家の西久保瑞穂を招いてキティ・フィルム三鷹スタジオを設けるなど、一時期は自前でスタジオを持ってアニメ制作を行なっていた。1983年にはあだち充の人気漫画『みゆき』の映像化権を取得して、実写映画を制作するとともに三鷹スタジオでアニメ化した。三鷹スタジオでは他にオリジナルビデオアニメ(OVA)『街角のメルヘン』や『銀河英雄伝説』を制作。特に1988年に第1期のリリースが始まった『銀河英雄伝説』は、プロデューサーの田原正利の手腕で、第1期で全26話・全編110話という当時の常識を打ち破る話数と、当初は通信販売のみでのリリースという異色OVA作品として話題になった。
キティ・フィルム作品では、以前にも田原の企画発案で1987年5月に『うる星やつら』テレビシリーズ全話を収録したレーザーディスクのソフトが予約限定で発売され、全50枚・価格33万円と破格の仕様ながら初回分が完売したことで話題を集めた。後に一般的になるLD-BOX、DVD-BOXと呼ばれる商品形態の先駆けであり、映像作品の2次利用の成功例としても知られている。
1989年に、シネマハウト、ニュー・センチュリー・プロデューサーズ、メリエス、プルミエ・インターナショナル、ディレクターズ・カンパニーとともにアルゴ・プロジェクトの立ち上げに参加。発足から1980年代まで製作した映画は主に東宝の配給で公開されていたが、以後はアルゴ・プロジェクトにより作品が配給された。
『YAWARA!』『らんま1/2』放映中の1992年に創業者の多賀が自らの不祥事の責任をとる形でグループの全経営から引退、発足当初から実写部門で製作を行ってきた伊地智専務が急遽代表に就任。それと前後して、1992年4月に落合がアルゴ・プロジェクトに転出(後にパオハウスを設立して完全独立)、落合に代わって『めぞん一刻』以降の高橋原作作品のプロデューサーを務めた松下洋子が日本アドシステムズへ移籍、後継の中川順平も1995年に伊地智や田原と共に独立して株式会社ケイファクトリーを設立するなど有力スタッフが退社したことも影響して、1990年代末期にはアニメ制作から撤退した(2007年現在、松下は日本アドシステムズ取締役、兼アサツー ディ・ケイ局長。伊地智はケイファクトリーを引退。田原は有限会社ティー・ピー・オー代表。中川はテレビ東京プロデューサー)。
2007年現在の業務はタレントのマネジメントが中心で、映像制作では1980年代のような活発な動きはなくなっている。またアニメ作品のうち『銀河英雄伝説』『鬼神童子ZENKI』は著作権を譲渡しているため、公式サイトや現在発売中の商品にはキティ・フィルムの標記はない。
2007年3月17日、株式会社YOZANがキティ・フィルムの50%以上の議決権を持つキティライツ&エンターテインメントを2007年4月9日をもって完全子会社化することを発表。キティ・フィルムの映像資産を利用したビジネスを展開するとしていた。
2008年5月20日にYOZANが経営悪化に伴う事業整理の一環として多賀にYOZANが保有するキティライツの全株式を売却。YOZANグループから離脱し再び経営が多賀の物に戻ることとなった。
[編集] 主な作品
[編集] アニメ
[編集] TVシリーズ
- うる星やつら (1981年-1986年、アニメーション制作はスタジオぴえろ(現:ぴえろ)→スタジオディーン)
- みゆき (1983年-1984年)
- めぞん一刻 (1986年-1988年、アニメーション制作はスタジオディーン)
- F-エフ (1988年-1989年、アニメーション制作はスタジオディーン)
- らんま1/2 (1989年-1992年、アニメーション制作はスタジオディーン)
- YAWARA! (1989年-1992年、アニメーション制作はマッドハウス)
- EASY COOKING ANIMATION セイシュンの食卓 (1989年-1990年、アニメーション制作はマッドハウス)
- 敵は海賊 ~猫たちの饗宴~ (1990年、アニメーション制作はマッドハウス)
- スーパーヅガン (1992年-1993年、アニメーション制作はスタジオディーン)
- 行け!稲中卓球部 (1995年)
- 鬼神童子ZENKI (1995年、製作は途中からケイファクトリーに代わった、アニメーション制作はスタジオディーン)
- 深海伝説MEREMANOID (1997年-1998年、トライアングルスタッフと共同制作)
[編集] OVA
- うる星やつら
- うる星やつら 了子の9月のお茶会 (1985年)
- うる星やつら アイム THE 終ちゃん (1985年)
- うる星やつら 夢の仕掛人、因幡くん登場! ラムの未来はどうなるっちゃ!? (1987年)
- うる星やつら 怒れシャーベット (1988年)
- うる星やつら 渚のフィアンセ (1988年)
- うる星やつら 電気仕掛けのお庭番 (1989年)
- うる星やつら 月に吠える (1989年)
- うる星やつら ヤギさんとチーズ (1989年)
- うる星やつら ハートをつかめ (1989年)
- うる星やつら 乙女ばしかの恐怖 (1991年)
- うる星やつら 霊魂とデート (1991年)
- らんま1/2
- らんま1/2 シャンプー豹変!反転宝珠の禍 (1993年)
- らんま1/2 天道家 すくらんぶるクリスマス (1993年)
- らんま1/2 あかねVSらんま お母さんの味は私が守る! (1994年)
- らんま1/2 学園に吹く嵐!アダルトチェンジひな子先生 (1994年)
- らんま1/2 道を継ぐ者(前編) (1994年)
- らんま1/2 道を継ぐ者(後編) (1994年)
- らんま1/2 天道家のおよびでない奴ら! (1994年)
- らんま1/2 SPECIAL よみがえる記憶(上巻) (1994年)
- らんま1/2 SPECIAL よみがえる記憶(下巻) (1995年)
- らんま1/2 SUPER ああ呪いの破恋洞! 我が愛は永遠に (1995年)
- らんま1/2 SUPER 邪悪の鬼 (1995年)
- らんま1/2 SUPER 二人のあかね「乱馬、私を見て!」 (1996年)
- 街角のメルヘン (1984年)
- 軽井沢シンドローム (1985年)
- ホワッツマイケル? (1985年-1988年)
- 銀河英雄伝説 (1988年-2000年)
- 八神くんの家庭の事情 (1990年、アニメーション制作はI.Gタツノコ(現:Production I.G))
- 創竜伝 (1991年-1993年)
- 桜通信 (1997年、アニメーション制作はSHAFT)
- 倒凶十将伝 (1999年-2002年、アニメーション制作はゼクシズ→ティー・ピー・オー)
[編集] 劇場用アニメ映画
- うる星やつら
- うる星やつら オンリー・ユー (1983年、アニメーション制作はスタジオぴえろ)
- うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー (1984年、アニメーション制作はスタジオぴえろ)
- うる星やつら3 リメンバー・マイ・ラブ (1985年、アニメーション制作はスタジオディーン)
- うる星やつら4 ラム・ザ・フォーエバー (1986年、アニメーション制作はスタジオディーン)
- うる星やつら 完結篇 (1988年、アニメーション制作はマジックバス、『めぞん一刻 完結篇』とは同時上映)
- うる星やつら いつだってマイ・ダーリン (1991年、アニメーション制作はマッドハウス)
- めぞん一刻 完結篇 (1988年、アニメーション制作は亜細亜堂、『うる星やつら 完結篇』とは同時上映)
- らんま1/2
- らんま1/2 中国寝崑崙大決戦!掟やぶりの決闘篇!! (1991年)
- らんま1/2 決戦桃幻郷!花嫁を奪りもどせ!! (1992年)
- らんま1/2 超無差別決戦!乱馬チームVS伝説の鳳凰 (1994年)
- YAWARA! それゆけ腰ぬけキッズ!! (1992年)
- 11人いる! (1986年、アニメーション制作はマジックバス)
- 扉を開けて (1986年、アニメーション制作はマジックバス)
[編集] TVスペシャル
- YAWARA! Special ずっと君のことが…。 (1996年、アニメーション制作はマッドハウス)
[編集] 実写
[編集] TVドラマ
[編集] 実写映画
- 限りなく透明に近いブルー (1979年、記念すべきキティフィルム初作品。興行的には失敗)
- 太陽を盗んだ男 (1979年)
- 翔んだカップル (1980年)
- セーラー服と機関銃 (1981年、角川春樹事務所と共同製作)
- ションベン・ライダー (1983年)
- みゆき (1983年、東宝と共同製作)
- だいじょうぶマイ・フレンド (1983年、キティグループ全体をひっくり返しそうになるほど大赤字を出した)
- プルシアンブルーの肖像 (1986年)
- ア・ホーマンス(1986年、東映と共同製作)
- めぞん一刻 (1986年、東映と共同製作)
- ゴキブリたちの黄昏 (1987年、実写とアニメーションとの合成作品、アニメーション制作はマッドハウス)
- もっともあぶない刑事(1989年、製作協力)
- ユモレスク ~逆さまの蝶~ (2006年)
[編集] 主な所属タレント・アーティスト
[編集] 存在していた関連会社
- キティビデオ
- キティエンタープライズ
- キティアーティスト(キティレコードの子会社)
- コマーシャルギャング・オプ・キティ
- ジャパン・ネットワーキング(JNW)
[編集] 関連項目
- セントラル・アーツ
- 劇団たいしゅう小説家
[編集] 外部リンク
- キティフィルム
- キティ ライツ&エンターテインメント
- 有限会社ティー・ピー・オー:元プロデューサー、田原正利(正聖)の製作会社。『銀河英雄伝説』製作当時のエピソードを紹介するページがある。
- お酒と音楽でタイムスリップ - キティグループの元宣伝部長の個人サイト。「Speakeaay Archive」→「音楽旅日記」のコーナーにキティ・フィルムの想い出話がある。
- 卓上打算機 - 個人サイト。「イベント史」のコーナーにキティ・アニメーション・サークルとのその前身のうる星やつらファンクラブのイベントの歴史がある。