カルロス・ゴーン
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カルロス・ゴーン(カルロス・ゴーン・ビシャラ、CARLOS GHOSN BICHARA、1954年3月9日 - )はブラジル人の実業家。ルノーの会長兼最高経営責任者(CEO)で、ルノー傘下の日産自動車のCEOも兼ねる。ブラジルとフランスの二重国籍者である。アラビア語、フランス語、英語、スペイン語、ポルトガル語の五ヶ国語を話せる。
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[編集] プロフィール
[編集] 生い立ち
ブラジルの中規模の都市であるポルト・ベーリョで生まれた。父はレバノン系ブラジル人、母はフランス人である。6歳の時に父の母国のベイルートに引越し、ベイルートのイエズス会系の学校で中等教育を終えた。
高等教育はフランスの理工科学校(École Polytechnique)を卒業後、パリ国立高等鉱業学校(École des Mines de Paris)にてCorps des Mines課程修了。
[編集] ミシュランからルノーへ
1978年にフランスの大手タイヤ製造会社のミシュラン社に入社。その後、ブラジル・ミシュランの社長や北アメリカ・ミシュラン子会社の会長、社長、経営最高責任者(最高経営責任者CEO)を歴任。ユニロイヤル部門の再建を成功させた事などが評価され、その後1996年にフランスの大手自動車製造会社であるルノー上級副社長を務めた。
ルノーでは不採算事業所の閉鎖や調達先の集約などで経費の圧縮を進め、赤字だったルノーは数年で黒字に転換した。ルノーのベルギー工場閉鎖などは両国間の外交問題へと発展した。これによって、ゴーンには「コストカッター」「コストキラー」の異名が付くことになる。
[編集] 日産へ出向
1999年3月に、ルノーが当時経営危機にあった日本第二の自動車会社である日産自動車と資本提携し、同社を傘下に収めた後に、当時のルイ・シュヴァイツァー会長の指示により、ルノーの子会社となった日産自動車に出向し同社の最高執行責任者(COO)に就任し、家族ともども日本へ移り住むことになる。
[編集] 日産復活へ
当初は両社の文化的土壌の違いやラインナップの重複、日産自動車の負債の大きさや労働組合の反発などを理由に、同業他社やアナリストをはじめとする多くの専門家がその行く先を危惧した。
しかしその後、ゴーンの指揮の下両社の間で車台(プラットフォーム)やエンジン、トランスミッションなどの部品の共通化、購買の共同化などを通じて両社のコストダウンを行う傍ら、「日産リバイバルプラン」計画の下、東京都武蔵村山市にある村山工場などの生産拠点の閉鎖や子会社の統廃合、余剰資産の売却や早期退職制度による人員の削減などの大幅なリストラや、新車種の投入、インテリア・エクステリアデザインの刷新やブランドイメージの一新などの計画を次々に敢行した。
また、ゴーン自身がテレビコマーシャル、インタビューなど、メディアへの積極出演により、残された日産社員および株主、関係者への配慮を見せた。日産自動車株主総会を日本語でおこなうなど、全ての利害関係者へ、社内改革をアピールした。
その結果1998年には約2兆円あった有利子負債を、2003年6月には全額返済し、12%前後まで落ちた国内シェアを20%近くまで回復させた。
[編集] ルノー会長
2001年6月には日産自動車の社長兼CEOに就任。経営状態が極度に悪かった日産自動車を立て直したということで、他社の社外取締役に招聘されている。また、2005年4月からはシュヴァイツァー会長の後をついで親会社のルノーの会長兼CEOも兼務している。
日産自動車の3カ年経営計画「日産180」(全世界での売上台数を100万台増加させ、8%の営業利益率を達成し、自動車関連の実質有利子負債をなくす)における販売台数目標達成のために、計画終了(2005年9月30日)前に集中して新型車投入を行ったことによる、計画終了以降の国内販売台数の深刻な低迷や、「ゴーン以前」に入社した居残り組と、「ゴーン後」に入社した中途採用組の社内闘争など、深刻な問題を残したままの親会社への復帰に疑問の声も上がっている。
2006年以降、子会社の日産と歩調をあわせるようにルノーの業績も悪化していることもあり、ルノーの会長兼CEOになった後の2006年2月9日には、日産に対するリストラのような従業員の解雇を行わずに、2009年の販売台数を2005年の約250万台から80万台多い330万台とし、2009年の売上高に対する営業利益率を6%にするという内容の中期経営計画「ルノー・コミットメント2009」を発表した。
[編集] パーソナリティ
- 経営陣のトップであるが自らハンドルを握って運転する事を好む。彼が立場を超えてルノーや日産自動車の車種に限定されず各社の枠を超え、自動車の運転に好意的な事例を示した過去の報道からも明らかである。この事は日産自動車がフェアレディZを復活させた大きな要因である。
- しかしながら、日産自動車のセドリック&グロリア、サニーといった伝統的な車名を次々に廃止したことに対しては、国内のファンからは批判がある(しかし、徳大寺有恒著「間違いだらけの車選び」によれば、ゴーンは車名が体現する伝統の大事さを訴え、販売部署が望んだブランド名変更に最後まで反対だったらしい)。また、日産が長年参戦してきたル・マン24時間レースからの完全撤退など、モータースポーツに関しては比較的否定的な立場である。
- ルノーF1チームが2005年と2006年の2年連続で世界チャンピオンに輝いたにもかかわらず、同チームの継続的な参戦にはブランドイメージ形成や予算の面から懐疑的だと伝えられている。ただしF1チームの中では予算が少ないと言われているルノーでも、年間予算は100億円を優に超える。
- 山城新伍、またはMr.ビーンで有名なローワン・アトキンソン似といわれている。
- 就任1年目の1999年夏に第70回都市対抗野球を視察に訪れた際、スタンドの応援団と観客の盛り上がりに感銘を受け、その直後に記者会見を開いて当時存廃問題が取りざたされていた野球部の存続を明言した。現在では、「都市対抗野球こそが日本の企業文化の象徴である」とまで公言している。
- その一方で日産が出資しているJリーグの横浜F・マリノスは最近の成績が振るわないことから、「サッカーの方も野球と同じぐらい頑張ってくれれば…」と、事あるごとにこぼしているという。
- ルノー本社や日産でリストラを行い経営を立て直したという実績があるが、そのどちらもが「従業員に出血を強いる」形での強硬策(従業員を解雇し、人件費を圧縮するコストカットの方法である)によるものであり、2008年以降のルノーの再建策は「従業員の解雇を行わないもの」と公言しているため、本当のゴーンの力量が推し量れるのはこれからだと言う評価もある。
[編集] 参考文献
- 「カルロス・ゴーン 経営を語る」(日本経済新聞社)
- 「カルロス・ゴーンの『答えは会社のなかにある』」(あさ出版)
- 「ルネッサンス ― 再生への挑戦」(ダイヤモンド社)
- 「ゴーン神話はこうして作られた」(ぱる出版)遠藤 徹 (著)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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