オマニー・ベイ (護衛空母)
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艦歴 | |
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発注: | |
起工: | 1943年10月6日 |
進水: | 1943年12月29日 |
就役: | 1944年2月11日 |
退役: | |
その後: | 1945年1月4日に戦没 |
除籍: | |
性能諸元 | |
排水量: | 7,800 トン |
全長: | 512 ft (156 m) |
全幅: | 108.1 ft (33 m) |
吃水: | 23 ft (7 m) |
機関: | 3段膨張式蒸気機関2基2軸、9,000馬力 |
最大速: | 19ノット |
航続距離: | |
兵員: | 士官、兵員860名 |
兵装: | 38口径5インチ砲1門、40mm機銃16基 |
搭載機: | 28機 |
オマニー・ベイ(USS Ommaney Bay, CVE-79)は、アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級航空母艦の25番艦。艦名はアラスカ州のオマニー湾に因んで命名された。
[編集] 艦歴
オマニー・ベイは1943年10月6日に海時委員会の契約下ワシントン州バンクーバーのカイザー造船所で起工する。1943年12月29日にP・K・ロボットム夫人によって進水する。1944年2月11日に海軍に引き渡され、同日ハワード・L・ヤング艦長の指揮下就役する。
オマニー・ベイは1945年の元日に出航し、二日後にスリガオ海峡を通過する。翌日の午後、スールー海で日本軍の双発特攻機が発見されることなくオマニー・ベイに接近、艦橋に突入し右舷を破壊した。二個の爆弾が投下され、一発目が飛行甲板の内部で爆発し、前部第三格納庫に収容されていた燃料を満載した艦載機に誘爆した。二発目は格納庫を通り抜け、第二甲板上の消火用水管を破壊し右舷で爆発した。
艦前部の水圧がたちまち失われ、動力と艦橋との通信も途絶えた。格納庫での猛烈な火災に対処していた兵員は、炎上する艦載機からの激しい黒煙及び50口径砲弾の爆発で退避しなければならなくなった。艦は弾薬の爆発と火災による高熱で戦闘を行う状況にはなくなった。17:50までに甲板上全面が維持不能となり、搭載していた魚雷が爆発する恐れが出てきた。艦を放棄する命令が下された。
19:45にオマニー・ベイは駆逐艦バーンズ(USS Burns, DD-588)の魚雷により沈められた。格納庫の魚雷が爆発したことで死亡した2名の駆逐艦乗員を含む合計95名の水兵が死亡した。
オマニー・ベイは第二次世界大戦の戦功での2つの従軍星章を受章した。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- history.navy.mil: USS Ommaney Bay
- navsource.org: USS Ommaney Bay
- hazegray.org: USS Ommaney Bay
- Kamikaze Nightmare - Review of book by Ron Burt about his brother's experiences of kamikaze attacks on Ommaney Bay
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