ウラマー
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ウラマー(アラビア語: علماء ʿulamāʾ)はイスラームにおける知識人のこと。イスラーム教における実質的な聖職者(建前としては異論が多い)。アラビア語の「知る」(علم: ʿalima)の能動分詞「知る者」(عالم: ʿālim)の複数形である。通常、集団として扱うため術語として原語、欧米語、日本語とも複数形のウラマーを用いる。法学や神学、哲学、あるいはハディース学、アラビア文法学など、伝統的イスラーム的学問を修めた人々に対して用いる。概念範囲は広く、社会的あり方から中国史における士大夫との比較もなされる。ただし一般にウラマーとして示される人々は大部分が法学者である。
日本の報道などではシーア派ウラマーを中心に聖職者と紹介されることが多いが、司祭やラビのような聖職者とは厳密には区分されることもある。これはイスラーム教では、少なくとも建前の上では信者を同列におおくことが多いからである。故にイスラム教では聖職者は(建前としては)存在しないとされることもおおい。しかし、実態としては、ファトワーの発布などの特権を有しており、イスラム教徒の共同体を導く役目を持っているため聖職者といえる。
[編集] 変遷
ウラマーは、法解釈が分かれ始めたアッバース朝のころから、社会的影響力を強めていった。支配者側はウラマーの理論的支柱を必要とし、またウラマーも支配者の保護を必要としたため、相互依存的関係は多くの時代、多くの国で保たれた。
ウラマーたちの努力によりイスラーム諸学の完成度は高まった。しかし民衆からイスラームを乖離させ、スーフィズム誕生のきっかけとなった。ウラマーは神秘主義者達がシャリーアを無視していると厳しく批判したが、勢力を拡大していくスーフィーを止めることは出来なかった。思想家ガザーリーの影響もあり、批判は次第に鳴りを潜めていく。
近代化以後、教育機関や官職を新しい国家機関が制定したことにより、ウラマーは仕事を失った。しかしイスラム圏における精神的影響力はいまだ健在である。イラン革命におけるルーホッラー・ホメイニーなどが良い例であろう。
[編集] イスラームに於ける役割
実際のウラマーの職業は、学者、マドラサの教師、カーディー(裁判官)、モスクの管理者などである。
都市間でのウラマー同士のつながりは、人や物の交流を促した。イブン=バットゥータの大旅行はその一例である。
[編集] 関連項目
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