ウェスティン朝鮮ホテル
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ウェスティン朝鮮ホテル | |
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各種表記 | |
ハングル: | 웨스틴조선호텔 |
漢字: | 웨스틴朝鮮호텔 |
平仮名: (日本語読み仮名) |
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片仮名: (現地語読み仮名) |
ウェスティン チョースン ホテル |
ラテン文字転写: | {{{latin}}} |
英題: | The Westin Chosun Hotel |
ウェスティン朝鮮ホテル(―ちょうせん―)は大韓民国(韓国)にあるホテルである。現在、ソウル特別市中区の「ウェスティン朝鮮ホテルソウル」とプサン広域市海雲台区の「ウェスティン朝鮮ホテル釜山」の2つを運営している。
[編集] 歴史
1910年(明治43年)の韓国併合により朝鮮半島を直接統治した大日本帝国の朝鮮総督府は首府の京城府(現在のソウル)に日本や諸外国からの貴賓客に対応できる宿泊施設の整備を構想した。そして朝鮮総督府鉄道の付属施設として、かつて李氏朝鮮の国王が祭礼を行った円丘壇の一部を取り壊し[1]、1914年(大正3年)10月10日に朝鮮半島初の西洋式ホテルである「朝鮮ホテル」が開業した。同ホテルには日本によって多くの西洋文物が持ち込まれ、東京の帝国ホテルなどと同様に迎賓館機能も兼ね備えたホテルとなった。
1945年(昭和20年)8月15日、第二次世界大戦における日本の降伏が日本国民に対して放送され、朝鮮の統治が終了(朝鮮が光復)すると、朝鮮ホテルの状況も激変した。朝鮮総督府は解体され、同ホテルの運営は日本人から朝鮮人(韓国人)の手に移った。ソウルを含む朝鮮半島南部で軍政を敷いたアメリカ軍は同ホテルに軍政庁司令部を置き、帰国した独立指導者の李承晩(1948年に韓国初代大統領)などの執務室も置かれた。1950年からの朝鮮戦争ではソウルが朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)によって占領され、同ホテルも接収されたが、後に韓国軍により奪回された。また、李承晩政権による「脱日本化」政策により、同ホテルの名称は日本語式の "Chosen Hotel" から韓国語(朝鮮語)式の "Chosun Hotel" に変更されたが、ほとんどの名詞で「朝鮮」が「大韓」(韓国)に改称された中でも、同ホテルは朝鮮日報とともに「朝鮮ホテル」の名称を残した。
1970年、同ホテルは日本統治時代の旧館から20階建てのホテルへと建て替えられ、開業式には朴正煕大統領が参列した。
1981年、朝鮮ホテルはアメリカのウェスティン・ホテル(現在はスターウッド・ホテル&リゾートの一員)と提携し、現在の「ウェスティン朝鮮ホテル」と改称した。また、1978年にプサンで開業した高級ホテルと合併し、同ホテルを「ウェスティン朝鮮ホテル釜山」、従来のソウルのホテルを「ウェスティン朝鮮ホテルソウル」として運営する事になった。1995年には韓国側の資本が全て新世界百貨店を経営する新世界グループの手に渡った。
[編集] 現況
歴史でも見たように、特にソウルのウェスティン朝鮮ホテルは明洞やソウル市庁舎などに近いソウルの中心部に位置し、韓国の近現代史の舞台としてしばしば登場する場所である。韓国の経済発展に伴ってソウルには大型ホテルが次々と開業し、中にはウォーカーヒル地区の「シェラトン・グランデ・ウォーカーヒルソウル」のように政府公認のカジノを設置した所もあるが、ウェスティン朝鮮ホテルはカジノを設置せず、ビジネス利用にも対応できる高級ホテルとしての経営を続けている。
また、公式サイトは韓国語・英語・日本語の3言語に対応し、ソウル・プサンの両ホテル共にスターウッド・ホテル&リゾートの総合サイトを通じて韓国国外からの宿泊予約も可能となっている。
[編集] 外部リンク
- 公式サイト(韓国語・英語・日本語)