ウェイン・ギャレット
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ウェイン・ギャレット(Ronald Wayne Garrett , 1947年12月3日 - )はアメリカ・メジャーリーグ及び日本のプロ野球で活躍した野球選手。内野手(主に三塁手)。右投左打。アメリカ合衆国フロリダ州ブルックスビル出身。
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[編集] 人物・来歴
1969年にニューヨーク・メッツでメジャーデビュー。この年124試合に出場して打率.219、1本塁打、39打点の成績もチームのワールドシリーズ優勝(ミラクル・メッツ)に貢献。1973年には140試合に出場し、自己最多の16本塁打、58打点を記録。ワールドシリーズ第3戦では初回先頭打者本塁打を放つが、ワールドシリーズ史上最多(ワースト)タイ記録の11三振を喫する。チームは3年連続ワールドシリーズ制覇を達成したオークランド・アスレチックスに敗れ、最終第7戦では最後の打者となってしまった。1974年には自己最多の151試合に出場。この年、メッツ単独チームで日米野球で来日。
1976年シーズン途中にモントリオール・エクスポズに移籍。以後は控えとなり、1978年シーズン途中にセントルイス・カージナルスに再び移籍。
1979年に中日ドラゴンズに入団。来日初年度は115試合に出場し、打率.252も20本塁打、71打点を記録したが、1980年には打撃不振で77試合の出場で終わり、打率.217、8本塁打、22打点の成績で解雇となり、現役を引退した。
野球一家で、兄のエイドリアン・ギャレットはカブス、ブレーブス等でプレイし、1977年から1979年には広島東洋カープでプレイ。弟のチャーリー・ギャレットもブレーブスのマイナーでプレイした。また、甥(エイドリアンの息子)のジェイソン・ギャレットもドラフト会議でフロリダ・マーリンズに指名され、4年間マイナーでプレイした。
[編集] 通算打撃成績(MLB)
- 出場試合1,092 打数3,285 得点438 安打786 二塁打107 三塁打22 本塁打61 打点340 塁打1,120 四球561(うち敬遠50) 死球12 三振529 盗塁38 盗塁死30 出塁率.350 長打率.341 打率.239 犠飛23 犠打32 併殺打50
[編集] エピソード
- 1973年のワールドシリーズ第3戦で初回先頭打者本塁打を放ったが、メッツでは1969年にトミー・エイジーが、1986年にレニー・ダイクストラが、それぞれワールドシリーズ第3戦で初回先頭打者本塁打を記録している。
- 1974年の来日メンバーには、ブルース・ボウクレア(1980年阪神)も居た。
- 1979年5月24日の大洋ホエールズ戦(横浜スタジアム)では、本塁打を打ちながら一塁走者を追い越したため、本塁打が取り消された。
[編集] 外部リンク
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20 トミー・エイジー / 12 ケン・ボズウェル / 27 ドン・カードウェル / 5 エド・チャールズ / 22 ドン・クレンデノン / 10 ダフィー・ダイアー / 11 ウェイン・ギャレット / 17 ロッド・ガスパー / 39 ゲーリー・ジェントリー / 15 ジェリー・グロート / 3 バドハレルソン / 21 クリオン・ジョーンズ / 34 カル・クーンス / 36 ジェリー・クーズマン / 7 エド・クレーンプール / 9 J・C・マーチン / 43 ジム・マッカンドルー / 45 タグ・マグロー / 30 ノーラン・ライアン / 41 トム・シーバー / 24 アート・シャムスカイ / 4 ロン・スウォボダ / 42 ロン・テイラー / 6 アル・ワイス 監督 14 ギル・ホッジス |