アメリカ合衆国副大統領
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アメリカ合衆国副大統領(アメリカがっしゅうこくふくだいとうりょう、Vice President of the United States、VPOTUS、またVPとも)はアメリカ合衆国の副大統領である。生まれながらにしての合衆国市民であり、通算14年以上合衆国に居住する、35歳以上の者に副大統領としての資格がある。
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[編集] 職務
アメリカ合衆国副大統領は、アメリカ合衆国の行政府を代表する第二位の官職である。
大統領が死去・辞任・免職などにより不在となった場合は、副大統領が大統領に昇格する[1]。また、事故・病気などにより大統領が一時的に職務遂行不能になった場合は、副大統領が臨時に大統領権限を代行する。
また、上院議長を兼務し、可否同数の場合のみ均衡を破る一票 (議長決裁票、tie breaking votes) を投じる。ただし副大統領は上院議員ではないので、実際に上院本会議場に赴いて議事進行を司ったり採決に加わったりすることは一切ない。大統領の一般教書演説などが行なわれる上下両院合同本会議が開かれるときのみ、下院本会議場で下院議長と共に共同議長を務める。
[編集] 位置付け
かつて副大統領職は、初代副大統領のジョン・アダムズが「人類の作った最も不要な職」と嘆いたほどの閑職だった。また現行の選出方法となってからは、将来大統領候補として選挙を有利に戦うための通過キャリアと見なされることが多かった。政府の政策への関与は小さく、ハリー・トルーマン副大統領は1945年の大統領昇格時に初めて自国の原爆開発プロジェクトの存在を知らされたほど。大統領補佐官たちのオフィスがホワイトハウスのウエストウイングにある大統領執務室と同棟に設けられているのに対し、副大統領府はウエストウイングから小道をはさんだ別棟のアイゼンハワー行政府ビルに設けられているのは象徴的である。
しかし近年では行政権の肥大化によって過重となった大統領の職責を分担していく傾向にあり、アル・ゴア副大統領は通信政策改革や環境政策等を担当した。さらにディック・チェイニー副大統領は当初より将来における大統領選への不出馬を表明し、実務担当を公言してホワイトハウス入りし、オフィスも例外的にウェストウィング内に構えている。
[編集] 選出方法
四年ごとの大統領選挙の年は、年明けから各州で予備選や党員集会が行われ、春過ぎごろには大統領候補指名を獲得するために必要な全国党大会代議員の過半数または大多数を得た候補が明らかになってくる。大統領候補指名の獲得が確実になったこの時点で、その候補は自分の「ランニングメイト (running mate、伴走候補とも)」として副大統領候補を発表する。ただし代議員獲得数が複数の候補間で大きく割れて明らかな本命がいない場合には、夏の全国党大会における代議員投票で実際に大統領候補を選出して指名を行うまで、副大統領候補も決らない。大統領候補が正式に指名されると、その候補は自分の副大統領候補を正式に発表する。
こうして大統領選は本番を迎えるが、副大統領候補となった者は多くの場合知名度で大統領候補に大きく引けを取るので、選挙戦の前半は文字通り大統領の伴走者として二人三脚で各地を転戦し、顔と名前を売ることに務めることになる。
11月第一火曜日の大統領選挙の日に有権者が票を投じるのは、実は大統領候補に対してではなく、この「大統領候補と副大統領候補がペアになっている二人三脚候補」に対してである。したがって大統領候補が当選すれば、その副大統領候補も大統領候補とまったく同じ得票で支持された「当選者」となる。
このように、固有の職務をになう複数の候補が組み合わせとして単一投票の候補者となっていることを、「チケット (ticket)」という。通常副大統領候補には大統領候補と支持基盤、政策、キャラクターなどが異なる人物が選ばれ、大統領候補の弱点を補完することになる。大統領候補と副大統領候補が夢の組み合わせのような場合には、これを特に「ドリームチケット」という[2]。
なお副大統領が欠けた場合は、大統領の指名と上下両院の過半数の承認をもって、新副大統領が任命される。
[編集] 大統領任期の憲法上の隙間
合衆国憲法修正12条は副大統領に大統領と同様の資格を求めており、また修正22条は大統領の三選を禁止している。しかし大統領を二期務めた者がその後副大統領になることができるかどうかについては、憲法に規定がない。
一般に憲法学者は、修正22条が禁じているのは「大統領に三回以上選ばれること」であって「大統領職を三期以上務めること」ではないので、大統領を二期務めた者がその後副大統領になり、さらにその後大統領に昇格してもう一期務めることは、憲法上は可能だとしている。
2000年の大統領選挙では、共和党のジョージ・W・ブッシュ候補相手に苦戦が予想されていた民主党のアル・ゴア候補に対して、伴走候補に退任を控えたクリントン大統領を推す案が取りざたされた。冷めやらぬクリントン人気をもってすれば勝利確実のドリームチケットと期待する向きも多かったが、脱クリントン色を願うゴア候補はこれに乗らず、結局副大統領候補にはジョー・リーバーマン上院議員を指名、選挙では力及ばず惜敗している。
[編集] 歴代副大統領一覧
[編集] 各種記録
[編集] 大統領に昇格した副大統領
- ジョン・タイラー: 1841年4月4日、ウィリアム・ヘンリー・ハリソン大統領病死により昇格。
- ミラード・フィルモア: 1850年7月9日、テイラー大統領病死により昇格。
- アンドリュー・ジョンソン: 1863年4月15日、リンカーン大統領暗殺により昇格。
- チェスター・アーサー: 1881年9月20日、ガーフィールド大統領暗殺により昇格。
- セオドア・ルーズベルト: 1901年9月14日、マッキンリー大統領暗殺により昇格。
- カルヴァン・クーリッジ: 1923年8月3日、ハーディング大統領病死により昇格。
- ハリー・トルーマン: 1945年4月12日、フランクリン・ルーズベルト大統領病死により昇格。
- リンドン・ジョンソン: 1963年11月22日、ケネディ大統領暗殺により昇格。
- ジェラルド・フォード: 1974年8月9日、ニクソン大統領辞任により昇格。
[編集] 大統領権限を一時的に委譲された副大統領
- ジョージ・H・W・ブッシュ: レーガン大統領の全身麻酔を必要とする大腸ポリープ摘出手術に伴い、1985年7月13日、約8時間にわたって大統領権限を臨時代行。
- ディック・チェイニー: ジョージ・W・ブッシュ大統領の全身麻酔を必要とする大腸内視鏡検査に伴い、2002年6月29日、約2時間にわたって大統領権限を臨時代行。
[編集] 在任中死去した副大統領
- ジョージ・クリントン: 1812年死去。
- エルブリッジ・ゲリー: 1814年死去。
- ウィリアム・キング: 1853年死去。
- ヘンリー・ウィルソン: 1875年死去。
- トーマス・ヘンドリックス: 1885年死去。
- ギャレット・ホーバート: 1899年死去。
- ジェームズ・シャーマン: 1912年死去。
[編集] 辞任した副大統領
- ジョン・カルフーン: 1832年、出身地選出の上院議員に空席が生じたためこれを補填するため上院に転出し副大統領を辞任。
- スピーロ・アグニュー: 1973年、州知事時代の収賄罪が確定したのを受けて副大統領を辞任。
[編集] 在任中に次期大統領選に当選した副大統領
- ジョン・アダムズ: 副大統領を二期務め、1796年の大統領選で勝利。
- トーマス・ジェファソン: 副大統領を一期務め、1800年の大統領選で勝利。
- マーティン・ヴァンビューレン: 副大統領を一期務め、1836年の大統領選で勝利。
- ジョージ・H・W・ブッシュ: 副大統領を二期務め、1988年の大統領選で勝利。
[編集] 退任後間をおいて大統領選に当選した元副大統領
- リチャード・ニクソン: 副大統領を二期務め、1960年の大統領選に出馬するも敗北。8年間の雌伏の後、1968年の大統領選に再出馬して勝利。
[編集] 大統領指名により就任した副大統領
- ジェラルド・フォード: アグニュー副大統領の辞任に伴い、ニクソン大統領による指名と上下両院の承認を得て、1973年に副大統領に就任。
- ネルソン・ロックフェラー: フォード副大統領の大統領昇格に伴い、フォード大統領による指名と上下両院の承認を得て、1974年に副大統領に就任。
[編集] 二人の大統領の下での副大統領
- ジョージ・クリントン: ジェファソン大統領とマディソン大統領の下で副大統領。
- ジョン・カルフーン: ジョン・クィンシー・アダムズ大統領とジャクソン大統領の下で副大統領。
[編集] 事実上更迭された副大統領
現職大統領が再選を目指す大統領選で副大統領候補を差し替えたことは過去に六例を数えるが、そのうちの五例までが事実上の更迭となっている[3]。
- アーロン・バー: ジェファソン大統領の一期目の副大統領。一期目終了の後、本人が政治に嫌気して引退を表明。このバーの二期目不出馬のみが更迭ではないが、一方でジェファソンも慰留はしていない[4]。
- ハンニバル・ハムリン: リンカーン大統領の一期目の副大統領。リンカーンは急進派のハムリンとそりが合わなくなり、事実上の更迭となる。
- スカイラー・コルファクス: グラント大統領の一期目の副大統領。在任中に起きた公共事業不正発注疑惑への関与が疑われ、事実上の更迭となる。
- レヴィ・モートン: ベンジャミン・ハリソン大統領の副大統領。在任中に上院が与野党同数となったが、公正中立を掲げるモートンはなかなか議長決裁権を与党側に有利なかたちで行使しなかったため、大統領との関係が冷却、事実上の更迭となる。新しい副大統領候補で大統領選挙に臨んだハリソンは敗北している。
- ジョン・ガーナー: フランクリン・ルーズベルト大統領の一期目と二期目の副大統領。ルーズベルトの三選出馬に反対して、事実上の更迭となる。ガーナーは自ら民主党の大統領候補指名争いに名乗りを上げるが、力及ばず予備選の段階で敗北。
- ヘンリー・ウォレス: フランクリン・ルーズベルト大統領の三期目の副大統領。当初ウォレスは副大統領としては異例の要職を任されるなどルーズベルトの信頼が厚かったが、後に意見が衝突、事実上の更迭となる[5]。
[編集] 在任が最長の副大統領
いずれも在任二期8年を務めあげている。
[編集] 在任が最短の副大統領
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- ジョン・タイラー: ウィリアム・ヘンリー・ハリソン大統領が極寒の中で強行した就任演説がもとでが風邪をこじらせ、間もなく肺炎により死去したことから、副大統領在任わずか31日で大統領に昇格。
[編集] 最年長の副大統領
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- アルバン・バークリー: 1953年1月20日の退任時、75歳。
[編集] 最年少の副大統領
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- ジョン・ブレッキンリッジ: 1857年3月4日の就任時、36歳。
[編集] 在任中に人を銃撃した副大統領
- アーロン・バー: 1804年7月11日、財務長官アレクサンダー・ハミルトンと決闘を行う。ハミルトンは下胸部に銃弾を受け翌日死亡[4]。
- ディック・チェイニー: 2006年2月11日、友人ハリー・ウィッティングトンを狩猟中に誤射。ウィッティングトンは顔面を中心に150〜200発の散弾を受け緊急入院、14日には軽い心臓発作に見舞われるが回復、17日に無事退院。
[編集] ノーベル平和賞を受賞した副大統領
- セオドア・ルーズベルト: 大統領に昇格後の1906年に受賞(日露戦争の調停と講和会議の斡旋)。
- チャールズ・ドーズ: 副大統領在任中の1925年に受賞(第一次世界大戦後のドイツ経済を回復・安定させる計画の研究)。
- アル・ゴア: 副大統領を退任後の2007年に受賞(講演や著書『不都合な真実』などによる環境問題の啓蒙活動)。
[編集] 存命の元副大統領
2008年5月末現在。
- ウォルター・モンデール: 第42代副大統領。
- ジョージ・H・W・ブッシュ: 第43代副大統領。
- ダン・クエール: 第44代副大統領。
- アル・ゴア: 第45代副大統領。
[編集] 注釈
- ^ 合衆国憲法修正25条第1節。
- ^ 1980年の共和党の予備選挙では、前半でブッシュ元CIA長官が予想以上に善戦した。そのため過半数を悠に超える代議員数を得ていたレーガン元カリフォルニア州知事も、副大統領候補の選定には慎重にならざるを得ない状況にあった。指名は全国党大会の最終日前日に行われる大統領候補指名の後まで持ち越しとなったが、このときドリームチケットとして紙面を賑わせたのがフォード前大統領をレーガンの伴走者にするという「レーガン=フォード」チケット構想である。フォードはニクソン大統領の指名と上下両院の承認をもって副大統領に就任、さらに翌年にはニクソン辞任にともない大統領に昇格した。ところが現職大統領として戦った1976年の大統領選挙では民主党のカーター候補に破れている。この「大統領選挙に一度も勝ったことがない大統領」になんとか勝利の美酒を味わわせたいという願いもあって、この案は各方面から支持され、一時は既定のシナリオとみなされていた。しかし「ホワイトハウスは二人の大統領の仕事場としては狭すぎる」と判断したレーガンは、結局党内融和と左右のバランスを優先、予備選で次点となったブッシュを副大統領候補に指名した。
- ^ クエール副大統領は1988年の選挙戦の頃から失言や出来の悪いジョークなどが目立ち、これが副大統領となってからも一向に改まる気配がなかったことから、「万が一の場合の大統領」としての資質を各方面から問われていた。そのため1992年の大統領選で再選を目指すブッシュ大統領には、与党共和党からクエールを更迭すべきだという要請が数多く寄せられていた。しかし自分もレーガン大統領のもとで8年副大統領を務め、何かとこの「偉大な大統領」と比較されることが多かったブッシュは、こうした勧告に一切耳をかさなかった。ブッシュはこの大統領選で敗北している。
- ^ a b バーはアレクサンダー・ハミルトン財務長官をウィホーケンの決闘で殺害したことにより、ニューヨーク・ニュージャージー両州から殺人罪で起訴されていたからである(ただし後に両州とも起訴を取下げている)。バーは政界引退後大西部探検旅行に出るが、帰ってきたところを今度は国家反逆罪容疑で逮捕収監される。合衆国が新たに購入したルイジアナを奪って帝位に即き、スペイン領メキシコに対して戦争を仕掛けることを目論んだ、という壮大な内容の容疑だったが、公判では証拠不十分で無罪となっている。その後は人目を避けてしばらく欧州に「亡命」するなど、なにかにつけて異色の副大統領だった。
- ^ ただしルーズベルトはウォレスを商務長官に転出させることで宥和を計っている。
[編集] 関連項目
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関連項目 : アメリカ合衆国副大統領 - アメリカ合衆国の歴史 - ホワイトハウス - アメリカ合衆国大統領 | ||||||
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