ぴあフィルムフェスティバル
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ぴあフィルムフェスティバルは、規模としては インディーズムービー・フェスティバルに並ぶ、ぴあ主催の日本の映画祭。PFFと略される。自主映画を募集し、審査するというところが特徴。映画監督を目指す若者の登竜門とされており、これまでに多くの映画監督を輩出している。
1977年、「ぴあ展」として、若手の映画監督発掘のために創設される。1984年からは、前年度の入賞者に次回作の企画を提出させ、優れた作品のプロデュースをすべて担当する、スカラシップ(奨学金)制度が開始される。また、1994年からは、東宝と提携し、YESレーベル(Young Entertainment Square)を設立し、バックアップのシステムをより強化した。
入賞作品の上映のほか、海外からの招待作品、過去の受賞作品のリクエスト上映なども行っており、その独自のスタンスには熱心なファンも多く、監督発掘の場として、映画・テレビ業界などからも注目を集め続けている。
[編集] 代表的な受賞者
- 長尾直樹
- 石井聰亙(『突撃!博多愚連隊』第2回1978)
- 長崎俊一(『ユキがロックを棄てた夏』第2回1978)
- 森田芳光(『ライブイン茅ヶ崎』第2回1978)
- 宇田川幸洋(『おろち』第2回1978)
- 今関あきよし(『ORANGING '79』第3回1979)
- 犬童一心(『気分を変えて?』第3回1979)
- 手塚眞(『UNK』第3回1979/『HIGH-SCHOOL-TERROR』第4回1981)
- 松井良彦(『錆びた缶空』第3回1979)』
- 山川直人(『ビハインド』第3回1979)
- 飯田譲治(『休憩』第4回1981)
- 緒方明(『東京白菜関K者』第4回1981)
- 黒沢清(『しがらみ学園』第4回1981)
- 松岡錠司(『三月』第4回1981)
- 笹平剛(現・利重剛)(『教訓I』第4回1981)
- 倉田恵子(現・吉村元希)(『放課後』第4回1981)
- 中島哲也
- 風間志織
- 塩田明彦
- 諏訪敦彦
- 小松隆志
- 園子温
- 成島出
- 橋口亮輔
- 秋山貴彦
- 大谷健太郎
- 大嶋拓
- 鈴木卓爾
- 塚本晋也
- 篠原哲雄
- 天願大介
- 矢口史靖
- 古厩智之
- 奥原浩志
- 中村義洋
- 佐藤信介
- 熊澤尚人
- 豊島圭介
- 村松正浩
- 渡辺一志
- 熊切和嘉
- 白石晃士
- 李相日
- 井口奈己
- 荻上直子
- タナダユキ
- 内田けんじ
- 筧昌也
- 岩田ユキ
- 廣末哲万
- 熊坂出
- 石井裕也(『剥き出しにっぽん』第29回2007)