おなり神
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おなり神(おなりがみ)またはをなり神(をなりがみ)とは、妹(をなり/おなり/うない)が兄(えけり)を霊的に守護すると考え、妹の霊力を信仰する琉球の信仰(宮古島を除く)。また兄(男性)の守護者としての妹(男性の血族の女性)を神格化して呼称するもの。 民俗学上、伊波普猷が発表し、柳田國男、折口信夫が展開したことで知られる。
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[編集] 概念
琉球では女性の霊力が強いと考えられており、神に仕えるノロやシャーマンであるユタも女性だった。この霊力が特に兄に強力に作用し、守護すると考えるものが、おなり神信仰である。おなり神信仰では、妹を兄のおなり神と呼び、妹を神格化する。この信仰から、琉球には男が漁にいくときは、妹からもらったものをお守りとした習俗があった。
おなり神信仰において、兄と妹の関係性は別格とされる。既婚者の男性を霊的に守るのも伴侶である妻ではなく妹と考えられており、近世までは既婚者に大事があった場合でも、その妹が呼び出されて祈念を行うということがよくあったという。このことは、兄と妹の関係性が、場合によっては夫と妻の関係性より強固であり、尊重されることを意味している。
そもそも厳密には、琉球方言の「をなり」「えけり」は本土方言(いわゆる日本語)の「妹」「兄」という意味ではない。「兄から見た妹」を「をなり(おなり)」、「妹から見た兄」を「えけり」と呼ぶ。つまりをなり・えけりは、兄と妹のみで完結した関係性なのである。をなりとえけりの想定する宇宙には、男女は兄と妹しか存在しない。 伊波普猷はこのことから、この概念は男女間のすべての関係性を内包するものと指摘した。つまり、をなり・えけりには、肉親としての男女、恋人としての男女、夫婦としての男女の関係が多層的に想念され、その世界において、兄=男が世界を支配し、妹=女は男を守護し、神に仕える神女と位置づけられるのである。 後述するように、この思想が琉球王国の祭政一致体制の基盤を作ったと考えられている。
なお、女性の霊力への信仰や、兄と妹にこうした関係性を投影する古代信仰・宗教や神話は、大和を含め、西洋東洋を問わずに散見される。柳田國男は、日本神話の兄神と妹神の関係性に琉球のをなり神信仰との類似点があることを指摘し、おなり神信仰が大和と琉球に共通した古代信仰であると考察している。
[編集] 琉球王国における位置
この観念は、俗世を支配する男性を、神に仕える女性が男と社会を霊的に守護するという観念に転化された。つまり政治を男が行い、その男を守護する女が神事を司り、神託を得て霊的に指導するという祭政一致体制の基盤となったのである。 この原則は集落レベルから国王にまで一貫されている。集落のもっとも古い宗家の主人は根人(ニーチュ)と呼ばれ、その妹は集落の祭事を司る根神(ニーガン)となる。さらに領地を統治する按司(アジ)の妹は、その領地の祭事の司祭であるノロとなる。そして国王とノロの最高位の聞得大君もまた、完結した宇宙であるえけりとをなりの強固な関係で結ばれていた。これは、をなり神の持つ霊的守護力の概念が、王国において兄から家族、家族から集落、集落から地域、地域から王国へと拡張し、拡大解釈されていったということでもある。
以上は古琉球においては絶対の構造であった。国王・尚宣威が高級神女により罷免され、尚円の子(尚真王)が王位を継承したという伝承もあり、一時期は王のおなり神であるノロの方が国王より強大な権力を持っていたと考えられている。しかし尚真王の時代に聞得大君職が設置され、この権力構造は国王優位に改められることとなった。 その後、薩摩の侵入を受けて以後、近代化を進める羽地朝秀、祭温らの改革によって、おなり神信仰を核とする古代的な神権政治の色彩は段階的に弱体化され、解体されていった。
[編集] 現在のおなり神信仰
太平洋戦争中、沖縄では妹からもらったものをお守りとして戦地に行ったという逸話が多く聞かれた。現在も集落単位でのおなり神信仰は存続しており、根人・根神という存在は広く見られる他、王国以来の特別な聖地である久高島には、「男は海人(うみんちゅ:漁師)、女は神人(かみんちゅ:神職者)」という諺が残り、現在も成人既婚女性のほぼ全員がなんらかの神人(神職者)となっている。