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新幹線100系電車 - Wikipedia

新幹線100系電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

新幹線100系電車(しんかんせん100けいでんしゃ)とは、東海道山陽新幹線の二世代目の車両である。

新幹線100系電車
100系新幹線電車(2003年撮影)
100系新幹線電車(2003年撮影)
編成 4・6・12・16両
起動加速度 1.6km/h/s
1.4km/h/s(V編成)
営業最高速度 220km/h
230km/h(V編成)
設計最高速度 275km/h
編成定員

X編成 -計1,227名(124名)
G編成 - 計1,321名(168名)

V編成 - 計1,285名(126名)
()内はグリーン車
全長 26,050 (25,000)mm
全幅 3,380 mm
全高 3,970 (4,488)mm
編成重量 838.5t(X)851.8t(V)839.2t(G)
軌間 1,435 mm
電気方式 交流25,000V 60Hz
編成出力 230kW×48 =11,040kW
駆動装置 WN平行カルダン駆動方式
制御装置 サイリスタ位相制御
ブレーキ方式 発電ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ付随車渦電流ブレーキ
保安装置 ATC-1型
備考
第26回(1986年
ローレル賞受賞車両

カテゴリ / テンプレート

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目次

[編集] 概要

1964年東海道新幹線開業時から製造されていた0系は、開業当時から運用されている車両において、列車同士のすれ違いで生ずる高圧空気による金属疲労が発生し、これにより気密構造を維持できなくなってきたほか、数々の経年不良が相次いで見つかった。初めて設計された新幹線車両であったので、在来線車両より早く老朽化が進行する事態は当初には予期できなかったことであった。日本国有鉄道(国鉄)は0系を廃車にする基準を製造後13年とし、古い0系を新たに製造した0系で置き換えることが数年間続いた。

0系は何度かマイナーチェンジはされているものの、基本となるデザイン・内装は1964年の登場当初のままであった。そのため旅客から車両の陳腐化と映り、また技術が進化するとともに新幹線車両に起こりうる事象がある程度把握できたこともあり、100系はこれらを改善するために、主に内装を中心にモデルチェンジを行い、1985年10月から1992年までに合計1,056両が製造・投入された。内装や技術面で、これ以降生産される新幹線車両に搭載される設備・技術も数多い。

しかし、1990年代には新幹線の高速化が進み、性能的に0系と大差ないレベルの100系は高速ダイヤに対応することができず(特に東海道区間においては、線路容量ぎりぎりのダイヤのため、低速車両の混在はいわゆる平行ダイヤを組むことに繋がり、全体の速度を下げる結果になっていた)、車両自体の寿命を迎える前に大量淘汰を受けることになった。

東海道新幹線においては、2003年10月1日ダイヤ改正で同線内の列車を全て最高速度270km/hにすることが2000年5月31日に決定し、2003年9月16日の「ひかり309号」(東京 - 新大阪、G49編成)が最後の営業列車となった(ただし、新大阪 - 京都間にある通称「鳥飼基地」への回送列車を除く)。また山陽新幹線においては、同年9月15日の「ひかり556号」(博多 - 新大阪、G2編成)を最後に16両編成の営業運転を終了する予定であったが、同年10月9日に代替編成としてG7編成が運用され、「こだま557号」(広島博多)が最後の営業列車であった。

2007年現在は、山陽新幹線において4・6両の短編成にした上で、最後に残った0系編成とともに「こだま」用車両として運用に就いているが、2007年9月にも車両各所からひびが発見されるなど、老朽化が進んでいるとみられるトラブルが発生している。

100系は0系のモデルチェンジ車であるので、ここでは主に0系との相違点を中心に述べる。

[編集] 車両外観

先代である0系との最大の違いは、そのフロントマスクと2階建車両の存在である。フロントマスクは、騒音空気抵抗の低減を図るために、鋭角にした前頭部から徐々に断面積を大きくしてゆく「流線型」とし、前照灯内のライト配置を0系の縦2灯から横2灯に変更して、横に細長い形に変えた。なお、試作車は前照灯に5度の角度がついているためツリ目形状であったが、量産車は水平になっている。これらの形状から「シャークノーズ(サメ鼻)」とも呼ばれる。前照灯の間にある中央の丸い部分は、非常用の連結器が収納されている。足元はスカートで覆われ、内部には何重ものアルミ板を重ねた排障器がある。また、空調装置の室外機は200系と同様に天井車端に一括配置された。車体は0系と同じく普通鋼製である。窓は広幅であるが、試作車のX0(後のX1)編成のみ狭幅である。

国鉄時代には「New Shinkansen」の愛称を与えられ、2階建車両の車体にこれを意匠した赤色のマーク(NSマーク)が標記されていたが、1987年分割民営化後は、代わりにJRマークが貼付された。

なお、東海旅客鉄道(JR東海)所属車については、後に1・8・15号車の車両番号横にJR東海のコーポレートカラーであるオレンジ色(JR西日本へ譲渡された編成は青色)の小さなJRマークに貼り替えられた。西日本旅客鉄道(JR西日本)所属車(V編成)は1・15号車のトイレ区画、8号車のNSマークが標記されていた箇所に特大のJRマークが貼付されていた。

[編集] 台車

電動車台車はDT202、付随車台車はTR7000と呼称され(いずれもJR西日本の場合は頭に「W」を付す)、0系と同等のものを装着する。

ブレーキは、電動車は0系と同じく発電ブレーキを高速域での減速に使い、低速域では空気ブレーキを使う。今回、新幹線で初めて設定された付随車のブレーキには、初めて渦電流ブレーキを設置した。これは、以降製造された東海道・山陽新幹線の新幹線車両のうち付随車の存在する300系700系にも採用された。

IS式軸箱支持装置、枕バネの採用は0系と同じである。

[編集] 電源・制御・列車無線機器

パンタグラフは0系では各ユニットに1基、つまり16両で8基のパンタグラフを設置しておりこれも騒音源となっていた。100系でも当初は各電動車ユニットごと、16両編成で6基のパンタグラフを使用していたが、1991年の東海道新幹線のATき電化により3基に半減された。これは天井に這わせた高圧ケーブルによる方法(ブス引通し)で、パンタグラフのないユニットへの主電動機への電力供給も可能になったためで、この方法は以降新製される新幹線全車両に採用されている。

力行制御は0系の低圧タップ切替に替えて、半導体素子を用いた「サイリスタ位相制御」が採用されている。これは200系から採用されたものであるが、東海道・山陽新幹線では積雪時の空転に対する配慮が岐阜滋賀県境の関ヶ原付近を除いて不要なため素子数を減らした(100系:等4分割、200系:不等6分割)ものが採用されている。主電動機は直流直巻式であるが、0系のものに比べて軽量で高出力となった。主電動機も含めて床下機器の冷却方法が0系の自己通風式から強制通風式となり、冷却用のファンが搭載された。床下の平滑化による騒音の低減と着雪障害の防止のため床下機器を収納する簡易ふさぎ板が設けられた。

主に制御機器・主電動機の軽量化・高性能化により、0系の16両全電動車方式から16両中4両が付随車となった。モーターの高出力化により、電動車を4両減らしても0系とほぼ同等の出力(16両の編成出力:0系=11,840kW、100系X編成=11,040kW)を得ることができる。

列車無線装置についてもバージョンアップされ0系で使用していたVHFによる無線から、線路のそばに敷設された漏洩同軸ケーブル (LCX) に流れた情報を先頭車の足元に設置されたアンテナが受信して通信をやり取りする方式に変更し、JR化後の1989年3月から(山陽区間は2000年3月から岡山まで、2004年3月から全線)本格運用を始めた。回線数が増えたことから、車内公衆電話は2両に1箇所設置することが可能となった。また、それまでの車内電話は列車内発信時にはオペレータを通し、なおかつ沿線の都市のみが通話可能エリアであったが、これにより日本全国へのダイヤル通話ができるようになった。

また、全体で点検作業効率化の観点から機器の配置見直しなどが行われ、保守の省力化を図っている。

[編集] 内装

100系のグリーン車の車内(148形2階席)
100系のグリーン車の車内(148形2階席)

0系に比べると乗り心地や快適性が改善された。2階建車両が新幹線で初めて連結され、0系にはない多様なアコモデーションを可能にした(2階建車両の内装・設備は後述)。また、普通車は横3+2列座席であるが、前後間隔(シートピッチ)を0系の98cmから104cmに広げ、3人席においても回転・リクライニング可能とした。また、車内は暖色系の色彩でまとめられた。

旅客向けの新しいサービスとして、

  • 車内でのミュージックサービスとNHKラジオ第1放送の再送信を始めた。普通車では手持ちのFMラジオ(現行車両も含めて東海道区間のみ車内販売で購入することができる)で、グリーン車内では備え付けのイヤホンで聴くことができる。このサービスは、以降新製される東海道・山陽新幹線の16両編成の全車両に装備されている。
  • 車内にLED式(単色、V編成は2色)の電光掲示板が装備された。電光掲示板の上部にはデジタル式の時計、右側に次の停車駅までの距離を7セグメントで表示する装置が配され(残り距離表示は当初は15km手前からだったが、電光ニュースが表示されるようになってからは停車駅到着予告のアナウンス後・5km手前から)、通常走行時はLCXから送られてきたニュースを表示した(東海道新幹線内は1989年3月<V編成・山陽新幹線内では2000年3月>から)。X編成では当初速度表示もなされていたが後に取りやめとなっている。電光掲示板の文字が小さいという乗客からのクレームがあり、G32 - G50編成では電光掲示板の文字を大きくし、時計と距離表示は省略された。後者の電光掲示板は、300系では同じタイプのものが搭載され、以降の全ての新幹線車両に標準搭載されている。

[編集] 各車の概要

[編集] X編成

100系の食堂車168-9001(一般公開時に撮影)
100系の食堂車168-9001(一般公開時に撮影)

1985年に落成した100系初の編成。先頭車と2階建車両各2両が付随車であり、2階建車両は8号車と9号車に組み込まれ、8号車は食堂車、9号車は、階上がグリーン車・階下がグリーン個室となっている。前述したが、試作車である9000番台X0編成(後に量産化改造でX1に変更)は小窓だったが、量産車は大窓になった。グリーン個室は1人用5室、2人用3室、3人用1室である。登場時には平屋構造の10号車(116-9001)博多寄りにも個室(1人用2室・2人用1室)が設置されていたが、量産車との設備統一を目的として1986年に一般客室に改造された。1986年落成の量産車4本は当初2階建車両のない12両編成(暫定G編成・G1 - G4)として搬入され、営業運転開始の6月から2階建車両が組込まれ16両編成化される11月までの5か月間は「こだま」として運用された。11月からは2階建車両が組込まれX編成(X2 - X5)として、分割民営化直前に落成した増備車2本(X6・X7)とともに「ひかり」運用に充当された。

1985年10月1日にX0編成が営業運転を開始した。量産車は1986年11月1日からX編成としての営業運転を開始した。東京 - 博多間の「ひかり」を中心に運用されており、運用によっては1日の走行距離が2,500km以上にも達し[1]、検査周期も他の編成に比べて極端に短かった。1998年以降は東海道区間の「こだま」にも使われていた。総走行距離が車齢に比して多かったことから、1999年9月に0系YK編成に続いて定期列車の運用から離脱し、そのまま全車廃車された。

  • 定員:1,277人(普通車1,153人・グリーン車110人・グリーン個室14人)
  • 製造両数:7本・112両
  • 最高速度:220km/h
  • 製造時期:1985年 - 1986年
  • JR東海浜松工場に、先頭車両123-1(量産車、X2編成1号車)と食堂車168-9001(試作車、X1編成8号車)が保管され、同工場のイベントなどで一般公開される。

[編集] G編成

100'系「ひかり」(1991年頃撮影)
100'系「ひかり」(1991年頃撮影)
100'系末期のカフェテリア 100'系末期のカフェテリア
100'系末期のカフェテリア
4人用個室

JR東海が1987年から製造した編成で、部内で「100'(ダッシュ)系」と呼ばれる。車両番号のハイフン以下の数字はX編成からの通し番号だった。X編成と同じく先頭車と2階建車両(8号車と9号車に組み込み)各2両が付随車である。2階建車両のうち9号車はX編成と同じくグリーン車とグリーン個室であるが、「ひかり」の利用客が増加傾向にあったことから、8号車については食堂車の設定をやめ、階上にグリーン車・階下にカフェテリアを設け、グリーン車の定員を増やした。グリーン個室はX編成の個室設定のうち、多人数利用の需要から、1人用2室を4人用1室に変更した(→1人用3室、2人用3室、3人用・4人用各1室)。1996年にG1 - G7の7本112両がJR西日本へ譲渡された。背景としては、JR西日本はJR東海に比べ新幹線の輸送量が少ないため短期間で新車を大量投入することは難しく、そのためJR西日本は、受け持ちの東京直通の「ひかり」にも0系を充てる状況であったことが挙げられる。しかし、それでは100系に比較すると動力性能の低い0系の運転曲線を基準にしたダイヤを組まなくてはならないため、それを嫌ったJR東海がG編成7本をJR西日本に譲渡したものである。また、JR西日本も阪神・淡路大震災で山陽区間に閉じ込めとなったG編成の検査を受託した経験があることから譲渡が実現した。

最初は東京 - 新大阪間の「ひかり」に使われていたが、増備が進むにつれて運転区間が拡大した(ただし、「のぞみ」の運転が開始された1992年3月以前は、原則的に広島駅以西に入ることはなかった)。東京 - 博多間の「ひかり」はX編成やV編成などを使用していたことからG編成が使用されることは少なかったが、X編成が「こだま」へ転用された後は本数が増えた。一方では300系の増備と0系の廃車が進んだために1995年頃から「こだま」にも充当されるようになっていた。

  • 定員:1,321人(普通車1,153人・グリーン車152人・グリーン個室16人)
  • 製造両数:50本・800両
  • 最高速度:220km/h
  • 製造時期:1987年 - 1992年

[編集] V編成

グランドひかり食堂車(1999年撮影)
グランドひかり食堂車(1999年撮影)

JR西日本が1989年から製造した編成で、部内で「100N系」と呼ばれ、「グランドひかり」の愛称を持つ。X・G編成とは大きく異なる点が多い。

先頭車を制御電動車とすることで付随車は2階建車両4両に充てた。2階建車両は7 - 10号車に連結され、7・9・10号車の3両は、階上はX・G編成と共通のグリーン席であるが、階下は、その後の「ひかりレールスター」(700系7000番台)につながる、普通車指定席でありながら、横4列配置のゆったりとしたサイズの座席が置かれていた。その上、利用客の嗜好に配慮した、適度な照明と、落ち着いた色調のインテリア、付随車ならではの静粛性などから、この指定席を指名買いする常連客も存在した。

しかし、発電ブレーキを持たない付随車は、動力車に比べ制動時の減速度の立ち上がりが遅く、少なからず動揺が発生する傾向があった。しかも4両連続で編成中間に組成された2階建車両の慣性エネルギーは相当なもので、制動のたびに大きな前後衝動が発生することになった。安らぎを求め、この車両を選んだ乗客にとっては大きな問題であり、それは食事を楽しむ食堂車の利用客にとっても同様であった。グリーン車常連客の中にはV編成運用列車を避ける者もいた。また静寂な故にささいな会話や騒音も目立ち、それを嫌がる人もいた。

また、東京 - 博多間の長距離を運転することが基本であったことから、8号車はX編成と同じく食堂車とされた。東海道・山陽新幹線では、食堂車は0系、100系の全てで8号車に連結されている。山陽新幹線全線開業当時は、東京 - 博多を6時間以上かけて走行する「ひかり」でも食堂車を営業することが決定し、また開業当初はビジネスマンや長距離旅客らが頻繁に食堂車を利用することが予想された。必然的に食器を洗うための水が大量に必要となる。在来線であれば汚水は走行中に外へ捨てればよかった(21世紀初頭の現在は在来線でも環境面の問題から循環式の汚水処理装置等を利用している例がほとんどである)。しかし、運転速度の速い新幹線ではそのようなことは許されない。トイレでは汚水を浄化し、洗浄水として再利用するシステムが開発されたが、食堂車では衛生上、再生水は利用できない。この結果、汚水を床下のタンクに溜め込み、途中駅での停車中に汚水を排水する方法がとられ、この汚水を地上で集めるための排水溝(ピット)が名古屋駅岡山駅のホーム上の8号車の真下に設置されていた事情もあり、食堂車は8号車に固定されることとなった。

非常連結器の下に、空気取り入れ口が設けられた。これは、先頭車が電動車となったため、主電動機を冷却するためのものである。中間電動車は床下から冷却風を取り入れていたが、制御車ではスカートがあり、走行風を取り込みにくいため、この部分から取り入れることになった。

出入口に設置してある行先表示器を字幕式から3色LED(3色)式に変更し、停車駅表示などを可能にした。これは、JR西日本独自仕様として、これ以降新製されるJR西日本の全車両(300系とキハ120形285系などの例外がある)に採用されている。

山陽区間では最高速度230km/hで走行するため、ATC220 (km/h) 信号を230信号に読み替える信号読替装置「トランスポンダ」が装備されている。将来の高速化に備え、270km/h走行可能な動力性能が与えられた。試験では277.2km/hを達成しており、JR西日本は沿線への騒音が悪化しなければ、山陽新幹線の50%から60%の区間で270km/h運転を行い、新大阪と博多の間を約2時間30分で結ぶ予定であったが、騒音が環境基準をクリアできなかったため最高速度は230km/hのまま営業が続けられた。

このV編成も高速化の影響を受けた。需要の急減に伴い、2000年3月10日をもって食堂車の営業は休止された。これで新幹線博多駅開業前年の1974年から始まった新幹線食堂車の歴史は終了した。その後、2002年10月5日のダイヤ改正で定期列車の運用を終了し、同年11月23日の「ひかり563号」(新大阪→博多、V2編成)の運転をもって営業運転から離脱した。

運用は東京 - 博多間の「ひかり」を中心に使われ、最後まで、東海道新幹線の「こだま」に使われることはなかった(山陽新幹線では「グランドひかり」運行開始当時の足慣らしと運用変更時に「こだま」で使用されたことがある)。

0系WR編成に設置されている電光掲示板は本編成の2階建車両から転用されたものである(写真左上に映っているもの)。

2007年現在、V9編成の2階建車両のうち179-3009と168-3009の2両は、博多総合車両所内で保管されている。車籍も残っており、時折イベントなどで公開されることもある。

  • 定員:1,285人(普通車1,169人・グリーン車116人)
  • 製造両数:9本・144両
  • 最高速度:230km/h
  • 製造時期:1989年 - 1991年

[編集] K編成・P編成

100系新幹線電車 リニューアル車(K編成)
100系新幹線電車 リニューアル車(K編成)

JR西日本で「こだま」用の0系を置き換える目的で、長距離運用から離脱した100系を改造・短編成化したもので、2000年から営業運転に充当されている。6両編成はK編成、4両編成はP編成と呼称される。

車体塗装をシルバー地に緑帯とし、車内のカラースキームはシルバー系に変更した。座席は同系列のグリーン車に使用されていたものを流用して、フットレストを取り外し普通席と同じシートピッチに配列する方法で、「ひかりレールスター」の指定席並みの座席にグレードアップした横4列シートの普通車として改造された。また、編成が短くなり、2階建車両を外したことから全車電動車となった。種車はV編成であるが、短編成化により先頭車および車椅子スペース設置車(125形700番台)が不足するため廃車予定のJR東海G編成を譲り受け、先頭車はV編成の中間車にG編成廃車体の先頭部を切り継いで先頭車化、車椅子スペース設置車は125形700番台の車体を再利用し、電装品をV編成から移設することで対応した[2]。なお、先頭車化やG編成の車体を再利用した車両は車両番号の下2桁が50番台となっている。

P編成は新大阪駅の信号システムの都合上、同駅に入線することができないため、博多 - 岡山(以前は姫路)間の限定運用とされている。

  • K編成(6両編成)
    • 定員:394人(全車普通車)
    • 所属両数:10本60両
    • 最高速度:220km/h
    • 改造時期2000年 - 2002年頃
  • P編成(4両編成)
    • 定員:250人(全車普通車)
    • 所属両数:12本48両
    • 最高速度:220km/h
    • 改造時期2000年 - 2002年頃

[編集] 廃車が早まった理由

この短編成化改造が行われる一方で、JR西日本においても、0系を存置(2007年現在)したまま大量廃車が行われた。

設計最高速度は275km/hであるが、騒音基準を満たすことができなかったため、東海道新幹線や山陽新幹線における「のぞみ」や「ひかり」の全270km/h運転に対応できなかった。もう一つの理由は、100系が全電動車方式ではなかったことにある。全電動車方式の0系では、簡素な改造でほとんど性能を変えることなく、ユニット単位(2両)で編成の増減が可能であるのに対し、100系はMT比(電動車と付随車の比率)が変わることで車両性能が変化してしまうため、編成長を変えるには本格的な改造が必要になる(300系も似たような理由で短編成化改造が困難であるとされる)。これに加え、JR西日本の0系は「ウエストひかり」のために延命工事を施された車両が多く、100系初期車よりも状態の良い車体も少なくなかった。そのため、100系の短編成化改造より、延命工事施工済みの0系を継続使用した方が経済的だったのである。

[編集] 今後の予定

さらにN700系の大量導入に伴って500系を短編成化の上で山陽新幹線「こだま」に転用することや、現行の「ひかりレールスター」用700系7000番台も急勾配区間が多い九州新幹線への直通が性能面で困難なことから、N700系ベースの新型車両の導入が決定しているが、それに伴う本系列の運用離脱時期については明言されていない。

[編集] その他

最終的に本系列として実現する0系後継車の構想は1981年頃には既に存在し、今後の国鉄車両の方向性を示すものの一つとして各種メディアや『鉄道ファン』等の鉄道雑誌に取り上げられた。当時公表された構想図のうち、先頭部形状や塗色については大まかな概念図が主であったが、アコモデーションのそれは2階建食堂車のレイアウトやグリーン個室など、この時点で後年の実車にかなり近いものであった。また、実現しなかったものでは2階部分をフリースペースのラウンジとした案もあった。

また、グランドひかり以外の本系車両編成によるひかり号の通称として「スーパーひかり」が使われることがあった。この呼称は、前述の構想とは別の、300系列車およびその源流の超高速運転構想における仮称が転用されたものである。

[編集] 脚注

  1. ^ 後に300系で3,000km/日の運用が出現した。
  2. ^ なお、書類上は125形700番台改造名義と125形3000番台改造名義の2つがある。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


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