T-50 (戦車)
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T-50は第二次大戦中に限定生産された歩兵支援用戦車である。
T-34の開発が進んでいたにもかかわらず、ソ連軍はT-26軽戦車に代わる歩兵支援用として、45mm砲と中程度の装甲防御力を備えた14t級戦車の開発をキーロフスキー、および第174工場に命じた。
1940年、キーロフスキー工場(第174工場という説もあり)で試作戦車オブィエークト125(またはT-126SP・・・SPはSOPROVOZhDENIYa PEKhOTUI=歩兵支援の略)が完成。重量は17tでトーションバーサスペンションを備え、270馬力のV-3ディーゼルエンジンを用いて時速35km/hで走行できた。武装はT-26同様に45mm戦車砲と7.62mmDT機銃を装備。傾斜した装甲で構成された車体形状は、T-34の1940年型を小型にしたようなシルエットであった。(もっとも、量産されたそれはKV-1に似た足回りから『マールィ・クリム』=ミニKVと呼ばれた。)
オブィエークト126はT-50として正式採用された。装甲は砲塔前面で37mm、車体前面は上部が50度の傾斜で37mm、下部が45度の傾斜で45mm、側面37mmと試作型に比べ少しずつ削られ、重量は14.5tに軽減、エンジンも300馬力V-4エンジンとなり最大速度が50km/hに向上した。また砲塔上面後部にはハッチの無い車長キューポラが設置された。要求どおり本車は従来の軽戦車と異なる、ある程度の防御力を持った支援戦車(歩兵戦車)として完成した。
しかし生産地であるレニングラードにフィンランド軍とドイツ軍が迫り、工場の疎開が行われ、疎開先で既に第174工場で製作されていた69輌(65輌説、53輌説もあり)分の部品が組み立てられたが、それ以上の新規生産は行われなかった。
これは、従来型のトラックのコンポーネントを流用した軽戦車より高価であること、そのわりにT-34の代わりに生産するほどの戦闘力ではないこと、疎開先にV-4エンジンを量産できる工場が準備されていなかったこと、そして同程度の戦力であるバレンタイン歩兵戦車がレンドリースにより多数贈られてきていたからである。
少数生産に終わったT-50ではあるが、1944年夏にフィンランド戦線に投入され一輌が捕獲され、現在も博物館に展示されている。他、生き残ったT-50には装甲を強化(55~57mm)した物もあり、こちらはドイツ軍の前に姿を現している。
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