JWP (プロレス)
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JWP女子プロレス(ジェイダブリュピーじょしプロレス)は、日本のプロレス団体。通称JWP。
「ピュアハート・ピュアレスリング」をキャッチフレーズとし、正統派のプロレス団体を標榜している。
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[編集] 概要
1992年1月のジャパン女子プロレス解散後、同団体の子会社「JWPプロジェクト」を母体に設立された。1992年4月3日、後楽園ホールにて旗揚げ戦を行った。
フォールカウントを通常の3から2に変更した「2カウントフォールマッチ」や、サブミッションによるギブアップのみで勝敗を決する「オンリーギブアップマッチ」、ストリートファイトルールを擬した「ドレスアップ・ワイルドファイト」などの実験的な試合形式を行ったこともある。
1992年以降のいわゆる「団体対抗戦ブーム」においては、全日本女子プロレスとの間で、互いの看板タイトルの争奪戦を繰り広げた。1993年4月11日にはダイナマイト・関西・尾崎魔弓組が全女のWWWA世界タッグ王座、同年12月6日にはキャンディー奥津が全女の全日本ジュニア王座を、翌年3月24日には全女の下田美馬・三田英津子組がJWPタッグ王座を奪取。そして1995年8月30日には関西が全女のアジャ・コングを破ってWWWA世界シングル王座に就いている。
ジャパン女子解散後の選手会分裂によって、JWPに加わらなかった選手たちから成るLLPWとは長く対立関係にあり、1992年以降のいわゆる「団体対抗戦ブーム」においても、LLPWとの対抗戦は行われず、ブーム末期の1997年に至ってようやく実現した。(なおその際の6人タッグマッチの紹介コールで、風間ルミと尾崎の公称体重が同じだった事から、一部マニアの間で「どっちがサバを読んでいるのか」と物議を醸す)
1995年5月、日本のプロレス団体で初めて、中国の北京で興行を行っている。
最盛期は、全日本女子プロレスに匹敵するほどの人気を博したが、キューティー鈴木、福岡晶、奥津、矢樹広弓などの引退や、尾崎の退団など人気選手の離脱が短期間に起きたため、急速にファンの支持を失っていった(両国国技館等での大会場での興行を頻繁に行った事で、「団体運営が苦しいインディーだからこそ、応援しよう」といった古くからのファンが離れていった事も理由に挙げられる)。2000年11月に一度活動停止したが、2001年2月に活動再開、以降は堅実に興行活動を継続している。
WOWOWで月に1回程度のペースでテレビ中継が行われていた時期がある(後に打ち切り)。第1回放送のメインイベントは尾崎魔弓vs井上貴子(全日本女子)
一時期所属選手数は5人にまで減ったが、その後小会場を中心に安定した興行を続け、他団体でデビューした選手の入団や新人のデビューにより、2007年12月現在で選手数は12人となった。 全日本女子プロレスの解散以後は、現存する団体の中でもLLPWと並んで歴史の古い団体となり、平均的な試合レベルの高さは女子プロレス界一との声もある[要出典]。
[編集] 所属選手
- コマンド・ボリショイ(ボリショイ・キッド)
- 小柄ながら、マスクを被り徹底的なキャラクター作りによって人気を博した名選手。柔道のスキルを持ち、サンボ流の関節技を使いこなす。旗揚げメンバーでもあり、活動休止・再開後は団体内で求心的な役割を担っている。
- 日向あずみ
- JWP元四天王の一人であり現エース。スワンダイブ式の空中技と、ブリッジの効いたスープレックスに定評がある。同団体の最高峰である無差別級のベルトを4度獲得。:2006年12月24日にはライバル団体NEOのエースであり、若手時代からのライバルでもある田村欣子とお互いのベルトを賭けた3冠統一選手権試合を行い、60分時間切れ引分けではあったが名勝負として高い評価を得た。
- 春山香代子
- 太めの体型だが、オーソドックスなマットさばき、試合運びに巧みさを見せる。若手時代は同期の出世頭として、またJWP活動再開後は主戦力として団体を支え続けている。キーンハンマー、ダイビングギロチンドロップなどが得意技。
- 倉垣翼
- 体格に恵まれたパワー殺法と、対照的な身軽さを生かした空中技を得意とする。JWPを2回退団・再入団しておりやや回り道のキャリアとなっていたが、2005年9月、日向あずみを破り第10代JWP認定無差別級王者となる。
- 米山香織
- 小柄ながら運動能力に優れ、元気印的なキャラクターで、JWP認定ジュニア王者、タッグ王者の座に着くなど活躍している。
- KAZUKI
- 元Jd'所属のレスラーで阿部幸江とのタッグチーム「WANTED!?」などで活躍。フリーとなった後JWPに入団した。
- 阿部幸江
- JDスター、AtoZを経てJWPに入団。KAZUKIとの「WANTED!?」を復活させた。
- 中島安里紗
- AtoZ崩壊後、阿部と共にJWPに入団。2006年12月24日の後楽園大会において、復活したJWP認定ジュニア王座決定トーナメント決勝で希月あおい(我闘姑娘・当時)を破り第13代王者となった。
- 大木アスカ
- 2006年12月24日にJWPにおいて本名の大木香でデビュー。同年12月31日の第4回ジュニアオールスター戦において、デビュー2戦目にして初勝利を挙げた。2007年6月10日現在のリングネームに改名。
- 闘獣牙Leon
- アルシオンに本名の高瀬玲奈でデビュー、その後AtoZで玲央奈に改名、退団後マスクウーマン闘獣牙LeonとなりM's Styleに所属した。アルシオン時代から米山とはライバル関係にあり、それが縁で2007年にJWP所属となった。
- 蹴射斗(けいと)
- LLPWにおいて本名の青野敬子でデビューしたが、2004年3月31日付けでLLPWを解雇される。その後、環境問題に深い関心を持つエコロジー派覆面女子レスラーのECOとして活躍していたが、2007年4月15日のJWP後楽園ホール大会で行われたマスカラ・コントラ・マスカラ・3WAYマッチで敗れたためマスクを脱ぎ、5月13日から現リングネームとなる。
- ピンキー真由香
- 2007年12月9日のJWP後楽園ホール大会でデビュー。JWPスポーツ教室出身者。
[編集] 過去に所属した選手(現在引退)
- キューティー鈴木
- アイドルレスラーの元祖的存在として人気を博した。レスラーと芸能活動というハードなスケジュールをこなし、旗揚げ間もないJWPにおいては、彼女の知名度が大いに観客動員に貢献したといえる。レスラーとしては小柄な部類になるが、実戦においては体格からは伺えないタフネスぶりを見せ、現役中は怪我らしい怪我をした事がなかった。1993年8月の全女日本武道館大会では井上貴子と好勝負を演じている。1998年12月に引退。
- プラム麻里子
- キューティー、関西、尾崎とは同期。早くからサンボに着目し、自らのものとした味のある選手で、長与千種や豊田真奈美からも一目置かれていた。1997年8月16日、広島大会での試合中に、相手のパワーボムを受けたことが原因で死亡した。日本プロレス史上初のリング禍であった
- 福岡晶
- JWP旗揚げ選手の一人で、ライダーキックやムーンサルト・フットスタンプなどの空中技を得意とした。関西を倒してJWP無差別級王者となった。1999年3月に引退。
- 斉藤澄子
- 旗揚げメンバーの1人。初期のJWPで福岡とライバル関係を築いていたが、首の故障により志半ばで引退。
- キャンディー奥津
- 旗揚げ間もないJWPに入団して初の団体生え抜き人気選手として活躍。しかし腰の故障で引退。後にアルシオンで復帰した後、再引退。
- さぶろう
- 全日本女子の練習生を経て旗揚げ直後にデビューした苦労人。1995年に本名の外山寿美代から改名、能智との「さぶちゃんふさちゃん」コンビで売り出していたが、1996年の年末に2人揃って引退。
- 能智房代
- 全日本女子の平成4年組だったが、デビューの翌年に円満移籍。元同期のチャパリータASARIのベルトに挑戦したこともある。
- 菅生裕美
- 矢樹の2日後にデビュー。2年で選手を引退し、その後「テッシー・スゴー」に改名してレフェリーに転身した。
- 美咲華菜
- 元JWP四天王。キューティーの跡を継ぐアイドルレスラーとして、府川由美(全女→アルシオン)と競っていた。そのルックスと、長髪を獅子舞の如く振り回して放つ頭突きなどの荒っぽい試合ぶりのギャップが魅力であった。現在は引退。
- アキュート冴(市川狐火名)
- 歌舞伎をイメージしたペイントレスラーに変身して、大きな話題を呼んだ。現在は引退。
- 渡辺えりか
- 春山の同期だが一度引退した後に復帰。一時期リングネームを「橋本真也」をもじって「橋本真弥」と名乗っていた。柔道技を得意とする。大食いでも名を馳せた。2006年1月22日に引退。
- ラウンドガール
- 覆面レスラー。かなり太っている。本名はジェニファー。2006年1月7日に引退。
[編集] 過去に所属した選手(現在フリーもしくは他団体所属)
- ダイナマイト・関西
- 堀田祐美子と同時期に全女のオーディションを受けるが不合格となり、ジャパン女子に入団した。ジャパン女子時代は「ミスA」として活躍していた。恵まれた体格と重量感あるキック技、フィニッシュホールドの変形パワーボム「スプラッシュマウンテン」を武器に団体対抗戦で活躍し、JWPの黄金時代を築き上げる。退団しフリーの後、2006年にOZアカデミーに所属。
- 尾崎魔弓
- 軽量ながらトップヒールとして活躍し、関西やキューティーのライバルであるとともに、JWP初期にはキューティーと、団体対抗戦では関西とタッグを結成。後者ではWWWA世界タッグ王座を奪い取っている。在籍中からOZアカデミーを立ち上げ、退団後はOZアカデミーを主宰している。
- デビル雅美
- 元は全女出身のヒールレスラーで、ジャパン女子にもフリーとして参加しており、JWPでは年長者として頼りにされた。JWP時代にはジ・アンダーテイカー(WCW)を彷彿とさせる「スーパーヒール」にも変身している。現在は退団しフリーに。
- 矢樹広弓
- 高校柔道で実績を残した後、社会人経験を経てデビュー。実力とアイドル的人気を兼ね備えていたが、結婚引退。その後復帰してフリー選手として活躍、JWPにも再登場していたが、現在は選手活動していない。
- カルロス天野
- 元JWP四天王。ボリショイと共にサンボの技術を学び、多彩な関節技を使いこなす。若手時代は尾崎の付け人で、OZアカデミーの第1期生となった。退団後GAEA JAPANを経て、現在はOZアカデミーに所属。
- 輝優優
- 元JWP四天王。日向とはデビュー当時からライバル関係にあり、パワー殺法を得意とする。退団後GAEA JAPANに移籍し、同団体解散後も植松寿絵とヒールコンビで活躍。
- 宮崎有妃
- JWP四天王と同期。JWP時代はプラム麻里子の付け人をしていた。退団後Jd'→AAAを経て現在はNEO女子プロレス所属。
- 木村響子
- 26歳と遅咲きのデビューを果たしたシングルマザー・レスラーとして一般マスコミにも幾度と無く取り上げられている。2005年12月に退団しフリーに。
[編集] 過去に所属したスタッフ
- 山本雅俊
- 通称ヤマモ。活動停止までの団体代表・リングアナウンサー。レスラーではないが積極的に露出を図り、団体の知名度向上・コンセプト普及に貢献した。現在は女子キックボクシングのリングアナを務めるなどフリーとして多岐に渡り活躍。
- 千葉道也
- 旗揚げからメインのリングアナとして活動していたが、2002年に他のスタッフの胸ぐらを掴むという不祥事を起こし、追われるように退団。現在はOZアカデミーのリングアナ。
[編集] テレビゲーム
- ※ジャレコより発売された。