1987年の政治
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1987年の政治では、1987年(昭和62年)の政治分野に関する出来事について記述する。
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[編集] できごと
[編集] 1月
[編集] 2月
[編集] 3月
- 3月5日 - 岩手靖国訴訟で、盛岡地裁は中曽根康弘首相の靖国神社公式参拝合憲判決。
- 3月13日 - 中国残留孤児の定期訪日調査終了。
- 3月21日 - 中曽根内閣が佐藤・吉田に次ぐ戦後3位(当時)の長期政権へ。
[編集] 4月
[編集] 5月
- 5月14日 - 二階堂進前自民党副総裁、自民党総裁選挙への立候補を表明。
- 5月21日 - 「竹下登自民党幹事長激励の夕べ」開催。竹下幹事長、事実上の総裁選挙立候補表明。田中派142人中、128人が参加。
- 5月28日 - 西ドイツの19歳の青年マチアス・ルストがセスナでソ連の防空網を突破してモスクワの赤の広場に着陸。セルゲイ・ソコロフ国防相が解任され、後任にドミトリー・ヤゾフ国防次官が抜擢される。
[編集] 6月
- 6月3日 - 竹下幹事長、総裁選挙立候補を正式に表明。
- 6月8日 - 第13回先進国首脳会議(ベネチア・サミット)開催。
- 6月25日 - ソ連共産党中央委員会総会、アレクサンドル・ヤコブレフらが政治局員に選出される。中央委員会総会では共産党の経済活動への介入排除を決定する。
[編集] 7月
[編集] 8月
[編集] 9月
[編集] 10月
[編集] 11月
- 11月2日 - ゴルバチョフ書記長、ロシア革命70周年記念式典で大粛清を批判。
- 11月6日 - 竹下登内閣発足。
- 11月11日 - エリツィンがモスクワ市党第一書記を解任される。
- 11月20日 - 「連合」結成。
- 11月21日 - 日本赤軍のメンバー丸岡修容疑者逮捕。
- 11月26日 - 竹下首相は新型間接税導入を翌年秋に実現することを決意。
- 11月29日 - 金賢姫による大韓航空機爆破事件。
[編集] 12月
- 12月7日 - ソ連・ゴルバチョフ書記長訪米。
- 12月8日 - 米ソ首脳会談がワシントンD.C.で行われ、中距離核戦力全廃条約(INF全廃条約)に調印する。
- 12月16日 - 韓国大統領選挙が16年ぶりに行われ、盧泰愚が当選する。
- 12月17日 - チェコスロバキア共産党書記長にミロシュ・ヤケシュが就任する。