エゴール・リガチョフ
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エゴール・クジミッチ・リガチョフ(Его́р Кузьми́ч Лигачёв,Egor Kuz'mich Ligachyov 1920年11月29日 -)は、ソビエト連邦およびロシアの政治家。ゴルバチョフ時代のソ連共産党保守派の領袖。
シベリア出身。第二次世界大戦中に航空専門学校を卒業。戦後、ノヴォシビルスクで党活動を開始する。共産党官僚(アパラチキ)としては、フルシチョフによる非スターリン化に伴い台頭した世代にあたる。ブレジネフ時代にシベリアのトムスク州党第一書記となる。アンドロポフによってソ連共産党中央委員会書記(党組織担当)に任命される。1985年3月チェルネンコ書記長の死去に伴う後継書記長選出に当たっては、ゴルバチョフを支持。4月政治局員となり、イデオロギー担当書記、最高会議連邦会議外交委員長となり、ゴルバチョフ政権の「第二書記」となる。リガチョフは、元来、ゴルバチョフらとともにアンドロポフによって登用されたことからわかるように、ブレジネフ期の「停滞の時代」を改革する必要性を認識していた。しかし、ゴルバチョフがペレストロイカ政権当初に掲げた、急進的改革の姿勢とは相違し、市場経済の批判、党官僚の特権擁護など、改革に対しては次第に保守的になり、党内の保守派の代表者となっていった。ゴルバチョフ期最初期の反アルコールキャンペーンの主導に代表されるように、リガチョフの政治姿勢は強権的、硬直的ですらあった。
1987年以降リガチョフは保守的論調を強め、急進改革派と事ごとに対立していくようになっていった。レニングラードのニーナ・アンドレーエワの反ペレストロイカ論文支持や、スターリン批判、新思考外交への反対などが挙げられる。1988年秋の党人事異動でイデオロギー担当をはずされ、農業政策担当に任命される。これは、事実上の左遷であった。ゴルバチョフはリガチョフを党の役職からはずすことに成功するが、さらに党保守派からは、新たに設立されたロシア共産党第一書記のイワン・ポロスコフやレニングラード第一書記のボリス・ギダスポフが台頭し、ゴルバチョフを追い込むことになった。
ソ連崩壊に伴い、新生ロシアではロシア連邦共産党から下院国家会議選挙に立候補し当選。