高嶋秀武
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高嶋 秀武(たかしま ひでたけ、1942年4月17日 - )は元ニッポン放送アナウンサー。愛称は「ひでちゃん」、「ヒゲ武」、「ヒデ坊」。
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[編集] 略歴
- 神奈川県立横須賀高等学校では小泉純一郎元首相の一年後輩にあたる。明治大学政治経済学部政治学科卒業後、1965年にニッポン放送入社。(同社元社長の亀渕昭信は1年先輩にあたる。)ニッポン放送に入社してからは主にスポーツ番組を担当していたが、後に編成部アナウンサーとなり、夜ワイド番組などのパーソナリティを担当した。
- 『大入りダイヤルまだ宵の口』のパーソナリティの頃は長髪と口髭がトレードマークで、これに因み「高島ヒゲ武」のマイクネームで活躍。現在は「高嶋ひでたけ」のマイクネームに変更されている。
- 1977年5月9日、後輩のくり万太郎と、この6年前(1971年)に行われた糸居五郎の「50時間マラソンDJ」をさらに10時間上回る「ヒゲ武・くり万60時間マラソンDJ」を敢行。9日午後2時スタート、5月11日深夜(5月12日未明)午前2時完走。
- その人気を買われ、1979年グループ企業であるフジテレビの音楽番組「ビッグベストテン」の司会者に起用されるが視聴率が悪く半年で打ち切られる。
- その後、42歳で『高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団』のパーソナリティを担当する(1985年4月-2004年3月までの19年間)。その間、1990年10月に退社し、フリーアナウンサーとして現在に至っている。
- 『中年探偵団』終了後は、長年『鶴光の噂のゴールデンアワー』が放送されていた夕方の枠へ異動し、『大吉ラジオ』を経て、現在は、『高嶋ひでたけの特ダネラジオ 夕焼けホットライン』を担当している。
[編集] 現在の出演番組
- ラジオ
- 高嶋ひでたけの特ダネラジオ 夕焼けホットライン 月曜-金曜 15:30-17:23(ニッポン放送、2006年4月3日 - )
[編集] 過去に出演していた番組
- オールナイトニッポン(ニッポン放送) 1969年1月~1970年3月、1970年10月~1972年1月
- 大入りダイヤルまだ宵の口(ニッポン放送)
- グリコリクエスト合戦(ニッポン放送)
- ~商売繁盛土曜リクエスト~タコ社長のマンモス歌謡ワイド(ニッポン放送)
- 高嶋秀武のマンモス歌謡ワイド(ニッポン放送)
- 高嶋ひでたけの今日も快調!朝8時(ニッポン放送) 月~金曜 8:00~9:00 (1981年4月6日~1985年4月5日)
- 高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団(ニッポン放送) 月~金曜 6:00~8:30(※番組開始当初は7:00~9:00・後に6:30~9:00) 1985年4月8日~2004年3月19日
- 笑顔満開!ひでたけ・のりこの大吉ラジオ(ニッポン放送) 2004年3月29日~2005年10月28日
- 笑顔満開!ひでたけ・よしこの大吉ラジオ(ニッポン放送) 2005年10月31日~2006年3月31日
- ビッグベストテン(フジテレビ、1979年11月~1980年3月)
- 桜っ子クラブ(テレビ朝日)1991年~1994年
- ほのぼのワイド(テレビ東京系列)1991年4月~1993年9月
- 高嶋秀武のAKASAKA発スポーツまるごと60分(TBSラジオ)1992年10月~1993年3月
- 高嶋秀武・松浪健四郎のオジサンたちの血が騒ぐ!(TBSラジオ)1993年10月~1994年3月
[編集] 著書
- 言ってはならない!その一言-人はなぜ「不用意な言葉」にムッとするのか(こう書房、2007年10月、ISBN 9784769609537)
[編集] その他
- 大の大相撲好きで、昭和28年、当時の大関(のちに横綱)吉葉山の大ファンだったため、吉葉山本人に自宅に来て欲しいという内容の手紙を出したこともあった。その後、吉葉山から手紙の返事が届き、内容は「忙しくて、訪問は無理」というものだった。しかし、その後もメッセージカード(高嶋自身いわく、おそらく印刷)などが届いた。(デーモン小暮 ニッポン全国 ラジベガスにゲスト出演した際、話していた)
- 現在、大学での特別講師や地方PRの活動なども行っており、実に多方面な活躍を見せている。大学での授業の評判だが、なかなか良い授業として生徒から好評を得ているという。講座を受講したいという生徒は毎年数多くいる。
- スポーツアナウンサー時代、プロ野球実況中で年長の解説者の、関根潤三に「ねえ、関根ちゃん」とちゃん付けで呼んでしまったことがある。
- スポーツアナウンサー時代、実況中に「ここで1点がほしいですね」と言ったところ、試合後解説の関根潤三に「高嶋くん、野球はいつでも1点がほしいんだよ」と怒られた。
- スポーツアナウンサー時代、プロ野球実況中にしゃっくりが止まらなくなり、全国ネットで実況とともにしゃっくりの音が放送され、各局に「何の音か」という問い合わせが殺到した。またスポーツ紙の記者が何事かと様子を見に来たため、翌日の記事になってしまった。
- スポーツアナウンサー時代、プロ野球実況中に居眠りをしてしまい、解説者の豊田泰光に「おい、どうしたんだ!」と起こされて飛び起きたことがあるという。
- 1970年代、『山谷親平のお早ようニッポン』の取材で夏の甲子園の開会式をレポートするために大阪を訪れるも、前日に大学時代の後輩(毎日放送に在籍)と飲んで、翌朝中継の時間に甲子園球場に到着できなかった。そのため件の後輩の入れ知恵で、後輩宅のステレオで前日の予行演習の録音テープを流し、それに合わせて電話でレポートして誤魔化したことがあったという。