首長族
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首長族(くびながぞく)とは、村落内の選ばれた女性が顎から肩までの部位に金色の真鍮をコイル状に纏って首を長く見せる風習を持つ民族のこと。実際には首は伸びておらず、肩の位置が下がっている。
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[編集] 民族概要
首長族は、首を長く見せる風習を持つ東南アジア大陸部亜熱帯森林地帯に居住する民族(山地民;タイ語でChaaw Khaw)。ミャンマー連邦内ではカヤー州(旧カレンニー州)とシャン州に住み、タイ王国ではメーホンソーン県内にある三箇所の観光化された難民村落、及び北部観光地各所に住む。タイ領に暮らす首長族は準難民として扱われ、建前上、難民庇護地域からの自由な出入りは禁止されている。
通常、女性は首に金色の真鍮コイルの首輪を巻くことで首の長さを強調し、白または黒の寸胴型の上衣を羽織り、黒の筒型スカートを腰に纏う。両膝下にも真鍮コイルを巻き、両腕には銀のアルニウム製の輪を4個から10個ほどはめている。髪は首輪を際立たせるため、一般的に短髪が多く、カラフルな色彩の鉢巻と銀の簪で髪をまとめている。 一方、男性の装束は他のカレン部族と酷似しているが、祭事以外に民族衣装を着用する機会は限られるため、現代の首長族男性は一般的なビルマ人、タイ人と変わらない服装である。
彼らの大多数が信奉するのは自然精霊(とりわけ森の精霊)を崇めたアニミズム。祭祀の時シャーマンが鶏がらを使用して吉兆を占うことから、鶏を神聖なる物(食料)と考える一方豚肉も好んで食す。主食は米。料理には野菜、ハーブ、香辛料を多用し、辛くて塩気の強い料理を好む。カレン系他部族同様、住居は葺屋根高床式である。
民族の起源はチベットと言われ、その後中国雲南地域を経て現在のミャンマーに移住したと推測されるが、文字を持たない文化であったため、確証を得る証拠(文書等)は残っていない。口頭伝承とフォークソングが解明の鍵となる。彼らの言語はチベット・ビルマ語族に属する。民族内の会話ではカヤン語を使い、文字はビルマ文字を使用する。現在に至り、ミャンマー域内ではカレン系他部族にはカレンニー語を使い、ビルマ族系グループとの折衝時はビルマ語を使用する。タイ側と通商を行う者や、タイ領に避難したグループの中には流暢なタイ語を話す者が数多く存在する。もちろんタイ文字も理解し、キリスト教化した者やタイ領でNGOが主催する学校に通う一部は英語での会話が可能である。
観光立国タイにとり、とりたてて目玉のなかった北部に首長族が移住してきたことでトレッキング・ツアーの一部に「首長族観光」が組み込まれた。観光収入を得る重要な糧となった首長族だが、タイ政府の行う難民としての処遇や人道的な配慮をめぐっては、倫理的見地から国内外に批判的な意見が数多くある。民族の背後には民族自決と反軍事政権を唱える武装集団の影がちらつく。
タイの学者の報告によれば、ミャンマー域内では他にも”首長”の風習を持つ民族の存在が報告されている。
[編集] 民族呼称
首長族(Long-neck People)という呼称は民族名ではなく、観光誘致において便宜上使用される名称である。欧米人の観光客はかつて「キリン女」という蔑称で呼んだ。カレングループ内のカレンニー(赤カレン、総称としてのカヤーという語もある)一支族に数えられるが、本人たちのカレンへの帰属意識は薄い。ミャンマー側カレン系他部族は彼らを「レーコー (Lekao)」と呼ぶ。シャン族(タイヤイ族)が彼らを呼称する際は、通常「パダウン (Padawn)」と呼ぶが、この呼称はビルマ語訛であり、もとはシャン語(タイヤイ語)に由来し、「金の目印」という意味を持つ。タイ側に渡ると「パドゥン (Padaung)」と発音が変化して呼ばれる。「首長族=パドゥン族」という名称が一般化したのには、移動して来たタイ領のメーホンソーンは、その居住するす人々のほとんどがタイヤイ族(シャン族)であったため、タイヤイ語で呼称される名称が観光客にまで広く知れ渡ったのである。一部に言われる「パドゥン=首長の意」という解釈は全くの誤りである。また、タイ語ではKariang"Daeng"Khau Yaaw(首長赤カレン)と呼ばれる場合もあるが、彼らの自称が「カヤン (Kayan)」であることはよく知られていない。タイ北部のタイ人はカレン族全体を「ヤーン(Yaang)」とも呼称するが、現在は「カリアン(Kariang)」名が一般的である。タイにおける教育によって、知識を得たカヤン人は自らを「Brass Coilling Tribe(真鍮纏部族)」と呼ばれるのを望んでいる。ちなみにタイ側難民村落で共に居住する「カヨー(Kayoo)」は"耳長族"と呼ばれる。
[編集] 首長族観光について
タイ領内で準難民として特定地域で保護されるカヤン。その"戦闘避難民共同体"を訪れ、彼らの暮らしを観光することは可能である。メーホンソーンの県庁所在地がある中心部から出発するツアー(料金は催行するツアー会社によって異なるが、雨期は比較的安価である)、個人ガイドを雇って回る方法、またレンタ・バイクを使って自力で同村を訪れる方法などの方法がある。入村料は200から250バーツくらい。子供たちの授業や教会を見学したり、手織工芸などの土産物を買うことができる。村落内部で首長族を被写体として記念写真を撮る場合、マナーとしてチップを払うべきであるが、代わりに土産品を購入するとよい。また、メーホンソーン以外にも、チェンマイ、チェンラーイ周辺でも観光可能な村が存在する。ミャンマー側(特にカヤー州、シャン州)の首長族居住地域を観光することは不可能だが、タイ・メーサイから陸路で国境を越えたミャンマー・タチレークにも首長族観光村が開設された。これは明らかにタイの観光を模倣したものであろう。尚、メーホンソーン内の首長族村落に宿泊を希望する者が後を絶たないため、裏ルートを通じて首長族住民の家屋に宿泊させる個人手配のブローカーが町に存在する。難民村落内の掲示にも宿泊情報が記載され、観光客に同村での宿泊(バンガローへの投宿、キャンプ設営等)を促している。しかし、メーホンソーン内の首長族村落は「難民庇護地域」である。異文化体験を求めた同村への宿泊は違法行為であり、タイ警察に捕まれば処罰の対象になる。倫理上の観点からも、こうした軽薄かつ無謀な行為は厳に慎むべきである。
タイ・メーホンソーンにおいて「首長族観光」できる村落は3箇所ある。
- ナイソーイ村
- メーホンソーン郡庁中心部から北に向かって車かバイクで1時間ほどかかり、途中、増水すると河になる堰を渡る。村落手前3Kmは崖上の未舗装道になり、バイクで転倒する観光客が続出している。入村時、国境警備隊デスクでの署名が必要。入村料200バーツ。現地ツアーを利用するのが賢明。中等教育の学校が存在するため、他の村からの中学生高校生が集う。
- フアイスアタオ村
- 中心地から一番近く、車やバイクで30分程度の距離にある。すべて舗装道だが道中10箇所の小川を渡らければならないので、車利用のツアー客がほとんど。村落は完全に観光地化され、土産物が豊富にある。人口は少なく、中年以上と小学以下の子供が多い。入村料250バーツ。観光客には無難な場所。
- フアイプーケン村
- 中心部を南下し、パーイ河の船着場でロングテールボート(1艘につき500バーツ、ナムピアンディン国境見学を兼ねると700バーツ)に乗り換える。バイクとボートでの総所要時間は約1時間。首長族観光地の中では、人口が一番多い広大な村だが、最も不都合かつ広い意味合いで危険な地域。かつて、この村落の先の国境にあったナムピアンディン村はミャンマー軍の急襲に遭い、燃失する事態に陥り、多くの住民はフアイプーケンに避難した。渡航はお勧めできないが、秘境の中の難民村落の暮らしやNGOの活動を観察できる。入村料は200バーツ(ボート代別)。
また、散発的にミャンマー軍が違法に越境してタイ領の村落を強襲、タイ国境警察と衝突して死亡者が出る事件が発生している。これはミャンマー軍政下で抑圧されている政治的民族グループ(KNUやKNPP)の軍事部門兵士らが同国内でテロ行為を行った後、タイ領内に逃げ込むことへの報復処置、または観光化への嫌がらせと見られている。テロの多くはメーホンソーンに隣接するミャンマーの複数州で多発している。このため、2007年在チェンマイ日本総領事館は在タイ企業に対し、メーホンソーン県への渡航注意勧告を行ったが、そのソース源は地元タイにおいて著しく信憑性を欠く新聞であったことから、外務省の現地勤務の怠慢な実態が問われるところである。また、現地にいながらにして情勢把握は難しいというのか、外務省が日本人旅行客に対して渡航延期勧告はいまだ発布していない。こうした日本政府が行う同胞への異なった対処には更なる疑問が残る。 なお、2008年1月、UNHCRはこの首長族観光が「人間動物園」だとし、ボイコットを呼びかけている。背景にはカヤンの難民地位を巡る確執がタイ側と対立するためだが、NGOに後れをとったUNHCRの理念専攻型解決手法は限界と焦りを露呈させているといえる。
[編集] 首長族に関する研究
興味深い風習を持つ民族としてしばしばメディアに取り上げられているが、現地での調査上の制限や限界も手伝い、その実態解明には至っていないのが現状である。また、観光客による様々な誤解や偏見によって彼らの文化が語られることも多い(※例えば、真鍮の首輪を外すと首が折れて死んでしまうなど)。人道主義者のタイ識者らはタイ政府観光庁が主導で催す首長族観光を「人間動物園」と称し、怒りを露にして批判を行っている。 首長族と呼ばれるものの、正確には首が伸びているのではなく、幼少時から徐々に真鍮コイル増やしていく過程で顎の高さが圧力によって引き上げられ、真鍮の重みで肋骨が収縮し、肩の位置が下がることで極端な撫で肩となり、首が伸びているように見える。生物学的に首が伸びているわけではないことは、ふたりの学者(Johan Van RoekeghemとJohn Keshishian)によってすでに証明が成されている。Roekeghemが「首は伸びていない」という仮説を打ちたて、Keshishianがレントゲン撮影でそれを立証した。絵画を得意としたRoekeghemは首長族を描いた絵の数々をタイ側の難民村落に寄付し、以後の村落ではコピーして販売されている。
「首を長く見せる行為」とは、言うなれば一種の「身体改造」である。現代の彼ら自身は伝統文化と認識し、特にタイ領内の首長族は観光収入のためと理解し、その理由に言及してもあまり意味がない。一方ミャンマー側のキリスト教の洗礼を受けた首長族の女性は真鍮の首輪を着けるのをやめてしまった。尚、現在タイ領に避難したカヤン族に対し、白人宣教師たちはミャンマー側で禁止されていた英語教育と聖書購読の授業を開始した。タイ側に避難した民族でキリスト教化されているのは少数派のカヨー(耳長族)。
[編集] 首長の理由
首を長く見せる理由には以下の通り諸説ある。しかしながら、どの説も信憑性を欠いており、真実は不明のままである。
- 現代の認識
- 美である。他の部族が行う耳たぶの拡張や刺青は醜いと考える。
- 他部族との異型性を保つ。すなわち異様な格好な為、部族外の者によるレイプ、拉致を防ぎ、他部族との結婚によるグループ離反を諦めさせるため。
- 観光収入のため仕方なく…。この意見が最も多いのが事実である。
- 口頭伝承
- カヤン族(首長族)を産み落とした母胎は龍と鳳凰であった。後継者としてその両者の長い首を模している。
- 虎伝説1…カヤン族が精霊の怒りに触れ、虎を村に送り込まれた。虎が女性ばかり喉を噛み千切ったため、女性保護のため、喉に輪をはめた。
- 虎伝説2…ある日カヤン族の村に虎の群れが襲いかかり、多くの村人が食べられてしまった。祈祷師は拝礼を行い、女性を救うべく首に輪をはめた。
- 老人の語り
- かつてカヤン族は金をたくさん持っていた。しかし、そのことにより内紛が生じ、争いが起こった。金を首にはめることで争いを終結し、以後二度と争いが起こらないよう戒めのために言い伝えている。
- かつてカヤン族は質実剛健な部族であった。しかしある日ビルマ族に破れ、土地を追われた。新しい土地を見つけて定住を決めた時、一緒に敗走した王女が皆の前で「この侮辱を忘れてはならない」と強く宣誓した。その時王女は黄金に光る”パドゥン樹”を首に巻きながら演説を行った。以後、カヤン族はいつの日にか民族の権威復興と土地の奪還を果たすべく、この王女を見習ってパドゥン樹を模した”真鍮”を身に纏った。
[編集] 参考文献
- Somsong Burutsaphat, Srinyaa Khammuang (1999)"Saranukkromklumchatphan -Kariang Kayan-" Mahidol University,Nakhornpathom.
- Samnakngan Watthanatham Mae Hong Son (2006)"Prawattisat; Watthanatham Mae Hong Son" Krasuwang Watthanatham haeng Prathet Thai
- Keshishian, James A. (1979) "Anatomy of a Burmese Beauty Secret" National Geographic 155.6: 798-801.
- Van Roekeghem, Johan "The Secret of the Giraffe Woman, Finally Revealed" Appear the back of a drawing. n.d.
- BBC News (2008) "Burmese Women in Thai 'human zoo'" http://news.bbc.co.uk/asia-pacific/7215182.stm